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無能探偵と死者の館  作者: こよる
第五章 嘘に包まれた真実
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第五章―02

屋敷の夜明けが近かった。

 東の空がうっすらと白んで、水平線から太陽が昇ってくる。屋敷の外壁はその光を受けて、さながら鏡のように輝く。恐ろしい夜の終わりは同時に、僕に殺人の終焉をも告げているようだった。

 結局、火事は僕と霧乃の部屋を燃やし尽くしただけで済んだ。

 屋敷が全焼の事態に陥らなかった一番の要因は、炎が他の部屋に燃え移らなかったことだ。僕と霧乃のいた十二号室は真っ黒焦げになってしまったが、逆に言えば炎は十二号室に閉じ篭められていたということになる。

 僕たちが天上島の浜辺まで泳いで戻り、大急ぎで屋敷に辿り着いた頃には、守屋さんと伊勢崎さんが事態に気付いていた。屋敷中の消火ボンベを掻き集めて、二人が消火活動に当たってくれていたのだ。雨の助けもあり、その後まもなく火は消し止められた。 

 気付けば、消火活動をしている間に日が昇っていた。

 延焼を防いでくれていた恵みの雨も、いつしか上がっていた。屋敷を取り囲む森の緑は、雨に濡れた部分を太陽に照らされて、きらきらとした輝きに満ちている。昨日、あれだけ黒々として不気味に見えた海も、太陽の下で淡い水色を取り戻していた。

 火が消し止められたのが朝の五時半くらいだったが、それからまた一眠りする気にはなれず、僕と霧乃、守屋さん、伊勢崎さんの四人は大広間に集まっていた。

 その大広間に、その紙があったのだ。


『熊切千早の監禁部屋にて待つ』

 

 例によって定規を使って書かれた、不自然な赤文字。大広間の長テーブルの上に、その紙はピンで留められていた。これが犯人からのメッセージであることは、もはや議論の必要すらなかった。

 現在、僕たちは大広間のテーブルで、この紙をどう解釈すべきか考えているところだった。

 紙を握っているのは守屋さんだ。彼は顎に手を当てて、片手に持っている紙を下目で睨んでいる。守屋さんは消火活動でも最前線で一番よく働いてくれたが、その表情に疲れは見えない。さすがジャッカルと闘う男だ。

 守屋さんと対照的なのが伊勢崎さんで、彼女は膝の上に両手を置き、困ったように目を伏せている。昨日はよく眠れなかったと見えて、目の下にくまが出来ていた。顔色も悪い。

 霧乃はというと、彼女は昨日の夜から、眠気のする目を封印しているらしかった。獲物を追い詰めた猫のように、ともすれば危険なほどぎらぎらと瞳を輝かせている。本気モードの証拠だ。

「しかし」

 紙を眺めていた守屋さんが、口を開いた。

「この犯人は、俺たちのことを完全に馬鹿にしてやがるみたいだな。『熊切千早の監禁部屋にて待つ』だってよ。デートの待ち合わせじゃあるまいし」

 けっ、と彼は嫌気を飛ばした。

「きっと、その監禁部屋ってところには毒針か何かが仕掛けられてるんだろうぜ。あるいは爆発物かも知れん。部屋を見付けて扉を開いた途端、ドーンだ。こいつは明らかに罠さ」

「そうかな?」と霧乃。「ぼくは、これは罠じゃない……何か意味のあるメッセージだと思うよ。罠にしては、いくらなんでも露骨すぎるもん。これはきっと、犯人側からの僕たちに対する、何らかの働きかけだよ」

「働きかけ、だと? 馬鹿言うなよ」

 守屋さんは皮肉に肩をすくめて、

「今まで犯人からの働きかけは文字通り死ぬほどあっただろうが。今さら何をしようってんだよ。おい、伊勢崎さん。あんたはどう思う?」

「わたし……ですか?」

 伊勢崎さんは急に指名されて、少し驚いたように目を丸くした。それから、再びゆるゆると視線を落として、

「わたしはただ……もうこれ以上、何も起こらなければ、と。何も起こらないなら、何だっていいんです」

 詰まるように喋って、それだけで黙り込む。彼女の言葉はこの場にいる全員の総意でもあった。

 伊勢崎さんはあまり積極的に発言するような人じゃないけど、だからこそ喋ったときには、彼女の一言は場の空気に強く影響してくると思う。僕たちは何となく発言しづらくなって、黙り込んでしまった。

 犯人からのメッセージ。『熊切千早の監禁部屋にて待つ』。これをどう解釈すべきか。

 僕としては、これはほとんど直感だけれど、乗ってみてもいいような気はした。これは罠じゃない。何となくだけど、そんな気がする。

「実を言うとね」

 場の緊張を破ったのは、霧乃だった。

「ぼくにはもう、事件のだいたいの流れは読めてるんだよ。第一の事件、第二の事件、第三の事件。それから、消えた御代川さんの死体や、不可能なはずの客室への侵入、昨日の火事についても……。この事件を解くには、たった一つの方法しか考えられないんだよ」

「何だと……。まさか、犯人が分かったっていうのか?」

 守屋さんが霧乃に視線を向ける。つられて、僕と伊勢崎さんも霧乃を見やった。

 彼女は静かに、そしてはっきりと頷いた。

「ぼくの推理が正しければ、このメッセージは罠じゃない。そこへ行けば、きっとこの事件のすべてが解明される。それでも、やっぱりこのメッセージを無視する?」

「……………………」

 守屋さんはテーブルに肘を突いて両手を組み、俯いた。無視するかどうか、迷っているというふうだ。

 しばらくの沈黙。

 やがて彼は顔を上げると、厳粛に言った。

「じゃあ、このメッセージの場所へ行く前に、あんたの推理ってやつを聞かせてもらおう。そして、その推理に全員が納得したら、このメッセージは罠じゃないと信用する。三人とも、それでいいか?」

 守屋さんは霧乃、僕、伊勢崎さんの順に視線を巡らせた。僕たちは三人とも、静かに頷いた。

 最後に守屋さんが、力強く頷く。

「決まりだな。じゃあ、聞かせてくれよ。その推理ってやつをさ」

 守屋さんに促されて、東大寺霧乃は静かに話し出した。

「じゃあまず、一連の事件の論点について簡単に説明するよ。

 この屋敷で起こった事件が、大きく三つに分かれるっていうのはいいよね。まず、書斎で霧山朽葉が殺され、首を斬られていた第一の事件。次に、御代川さんが毒殺された第二の事件。最後に、古橋さんが中央バルコニーから突き落とされた第三の事件。  

 この三つの事件には、それぞれ特徴的な謎があるんだよ。第一の事件では、犯人はどうして霧山朽葉の首を斬り落とし、頭部を隠蔽したのか。第二の事件では、犯人はランダムに交換された毒入りの食器からどうやって自分の身を守り、かつ御代川さんを殺害したのか。第三の事件では、そもそもどうやって犯行を成し遂げたのか。ぼくたち四人には全員にアリバイがあったし、第三者の可能性も考えにくい。かといって、古橋さんの自作自演=古橋さんが犯人という説は、古橋さん=海に落ちた=泳げない=死亡という図式が完璧で、崩す余地がないから否定される。じゃあ擬似的な密室状態だった屋敷の二階で、犯人はどうやって犯行を成し遂げたのか。

 三つの事件に関する大まかな謎はこのくらいだよね。ここまでは、いい?」

 霧乃はそこで言葉を区切って、他の三人の顔を見回した。それぞれが神妙な表情で頷く。

「じゃあ、ここからは謎解きに入っていくよ。

 この事件の中で一番特徴的なのは、やっぱり第三の事件だよね。常識的に考えれば不可能な、密室状態の中での犯行。この一連の事件を解く鍵は、この第三の事件に詰まっていると言っても過言じゃないんだよ。

 確かに、密室状態での犯行というのは一見、不可能に見える。でも、犯行が起こったからには、どこかに抜け道があるはずだよね。そして、この抜け道の可能性が限られているという意味では、密室状態での犯行ってのは意外と脆いんだよ。全員に犯行が可能だった第一の事件、第二の事件に比べれば、この第三の事件は犯行の可能性が限られている分、考えやすい――。だから、この屋敷で起こった一連の事件を解き明かすには、第三の事件から考えていくのが正解なんだ」

「そんなこと言っても」

 僕は反論した。

 古橋さんが二階の中央バルコニーから突き落とされた第三の事件では、犯行当時、僕たち四人――僕、霧乃、守屋さん、伊勢崎さん――は全員、屋敷の一階にいたのだ。すなわち、ちゃんとしたアリバイがある。それに、この屋敷に僕たち以外の誰かが潜んでいて、そいつが古橋さんを突き落とし、僕たちの隙をついて逃げたというのも、考えにくいとして否定されたはずだ。そのうえ、古橋さんの自作自演説だって、さっき霧乃が言ったように否定されている。あの人は確かに海に落ちたし、確かに泳げなかったし、だったら結果として確かに死亡してしまうのだ。

 しかし、霧乃は首を振った。

「ぼくたちはそこで、もう一つの可能性を考え忘れていたんだよ。確かに、第三の事件では、ぼくたち四人にきちんとアリバイがあった。でもあの時、実は一人だけ、犯行が可能だった人物がいるんだよ」

「犯行が可能だった人物……?」

「そう。堂々と二階にいて、堂々とアリバイがなくて、にもかかわらず、ぼくたちが見逃してしまった人物――」

 霧乃は全員の顔をゆっくりと見渡して、種明かしのように彼女の名前を口にした。

「御代川さんだよ」

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