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無能探偵と死者の館  作者: こよる
第四章 『死者』たちの夜
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第四章―09

 しんしんと更けていく夜。静かに降り続く雨。二人だけの部屋。かすかな安堵感と、ひたすらの静寂。

 御代川さんの部屋に集まって行われた話し合いでは、結論は出なかった。それどころか、考えれば考えるほど、謎が深まってしまうようにさえ感じられた。

 真っ暗な洞窟を、地図もなく手探りで探索していく感覚。僕たちが置かれている状況は、それに限りなく近い。前に進めば進むほど、奥へと続いている分岐が無数に現れてくる。そしてさらに、その分岐の先までもが幾重にも分岐していて、しかもその道の先は必ずどこかで行き止まりになっている。僕たちは来た道を引き返し、シラミ潰しに可能性を潰していく。そんな方法で本当に答えに行き当たるのか、僕には分からない。いや、行き当たるかも知れないが、犯人が皆殺しを完遂する方が先なのかも知れなかった。

 そんな不安を誰もが胸に抱きながら、しかし、今日の話し合いは打ち切りとなった。寝て、明日に備えようというのだ。全員が大広間に集まり、交代で寝るという案は出なかった。残されたのは四人。交代で夜警をして、充分に寝られるほどの人数ではなかったのだ。

 結局、それぞれの部屋に戻って鍵を掛け、さらにドアの前にバリケードを作って犯人の侵入を防ぐ、というアイデアが採用された。なにしろ、部屋の扉を開ける方法は、自分が持っている鍵とマスターキーの二つしかなく、マスターキーの方は完全な防御システムに守られているのだ。斧を振り下ろしても割れない透明なボックスケースには腹が立ったが、今になってみると強靱な防御システムは僕たちの心強い味方だった。

 ただ、一つだけ気になることと言えば……。

 この部屋に置いてあった霧乃の文庫本。そのページ数が変わっていた、という奇怪な出来事。

 侵入不可能なはずのこの部屋に、僕たち以外の何者かが出入りした、という事実。

 一体どうやって、そして何のために?

 頭の冴えない僕が考えても、分かるはずはなかった。

「ねえ、ゆぅくん」

 風呂上がり、バスルームから寝室に戻ると、珍しくも霧乃は読書していなかった。ほんわか暖色系のゆったりパジャマに身を包み、ベッドに腰掛けている。かすかにシャンプーの香りがするのが、僕の心を和ませてくれた。

「なにさ」

 僕は霧乃と向かい合うように、自分のベッドに腰掛けて問う。霧乃は何気なく首を傾げて、

「ゆぅくんは、学校で数学って習ってるの?」

 そんなことを尋ねてきた。

「数学……? 高校生なら、普通は誰だって習ってると思うよ。まぁ、僕は苦手だけど」

「ふぅん。ああいうのってさ、一つの大門があると、大門の中で(1)、(2)、(3)って感じで分かれてるよね。(1)、(2)で出した答えを使って、(3)を解くみたいなの」

「あぁ……あるある。僕なんか大抵、(1)だけ出来て(2)で詰まるから、(1)、(2)の答えを使って解く(3)は、絶対に解けないんだ。卑怯だよね、あれ」

 なんて言いながら、僕は霧乃が何を言いたいのか、何となく分かったような気がした。

「まさか……霧乃は、この事件もそういうパターンだって言いたいわけ? つまり、第一の殺人、第二の殺人を正しく解けないと、第三の殺人は絶対に解けないようになってる……って?」

「まぁね」

 霧乃は真っ白な頬にわずかに笑みを含み、

「ぼく、色々と考えたんだけど、第三の事件はなかなか一筋縄じゃいかないよ。まず、ぼくたち全員にアリバイがあること。それから、古橋さん=海に落ちた=泳げない=死亡っていう図式が崩しがたくて、古橋さんが犯人だって断定できないこと。ついでに言えば、誰かがこの部屋に入ったという事実と、消えた御代川さんの死体の謎も……。どうも、この謎のすべてを解決するには、素直に物事を考えていたんじゃ駄目みたいなんだよ」

「というと? ひねくれた視点で物事を見ればいいのか?」

「んー……。確かに、ある意味ひねくれないとね。ぼくたちはきっと、どこかで見過ごしちゃったんだよ。正解の道に続いている、隠された分岐道を」

 隠された分岐道……。そんなものが、今までの過程にあったのだろうか。

 (1)、(2)を正解しないと、絶対に解けない(3)の問題。

 僕たちはどこで道を間違えてしまったんだろう。(1)、(2)の問題のどの過程で、何をどう勘違いしてしまったというのか。

 いや、あるいはもっとそれ以前から?

 (1)、(2)を解くにあたって、当然の前提としていた事柄が、実は真実じゃなかったとしたら――。

 僕たちがこの島にやって来た時点から、誰かの嘘に騙され続けているのだとしたら――。


 一体何が嘘で、何が真実なんだ。


 分からない。

 分からなくて、怖い。

 一旦何かを疑い始めれば、それは僕が立っている世界の基盤にまで亀裂を生じさせ、僕の世界を崩壊させる。足下を失った僕は、まるで奈落の底までどこまでも落ち続けていくかのようで。

 僕は一体、何を信じたらいいんだ。

 霧山朽葉でも古橋さんでも、守屋さんでも御代川さんでも伊勢崎さんでもない。そんな連中、信用できない。

 東大寺霧乃か?

 分からない。

 もし、もしこの子までもが、僕に嘘をついているとしたら。目の前にいるこの東大寺霧乃が、偽物だとしたら。僕に話した推理が、すべて僕を間違った方向へ導くための罠だったとしたら。

 この子が、犯人だったとしたら――。

「ゆぅくん?」

 霧乃が心配そうに表情を曇らせ、僕を覗き込んでくる。雪のように真っ白で、水のように淡くて、そして何より愛しい霧乃の、眠たげな顔。

 それが、ぐにゃりと歪む。 

 白い肌が裂け、内部から黒色と赤色とに染まった毒々しい皮膚が現れる。

 透明な長髪は漆黒に染まり、槍のように鋭くなって振り乱れる。

 僕を見ている眠たげな瞳が充血し、真っ赤に染まる。

 東大寺霧乃が牙を剥き、僕に襲い掛かってくる……。

「――――――――」

 それが限界だった。

 胃の底からこみ上げてくるものを、僕は抑え込めなかったのだ。次の瞬間、僕は四肢を引きつらせ、その場で嘔吐していた。

 食道を逆流した物体が、口から吐き出される。抑えようもなく客室の絨毯を汚す。不快な低音。饐えた胃酸の臭い。その全ての輪郭が曖昧で、ピントがぼけていた。くらくらと目眩がして世界が幾重にもぼやけ、身体のバランスを見失っている。

 身体を貫く嘔吐感に、その場に倒れ込みそうになったとき。

 ぐっ、と誰かに肩を抱きかかえられた。

 前のめりになった身体が、そこでどうにかバランスを持ち直す。

 肩越しに首を巡らせると、霧乃がいつになく真剣な表情で僕を見つめていた。

「大丈夫だから。ゆぅくん」

 瞳に生命力の輝きを灯し、柄にもなくそんなことを言う。唇を噛み、頬を強張らせたその表情は、真剣そのもの。ぼくが一緒にいるから、なんて、そんなこと言わないで欲しい。僕は自分がどんどん嫌になっていってしまうじゃないか。

 でも今はそんな抵抗の余裕すらなく、ただ生理的欲求に身を任せる。

「全部、吐いた方がいいよ。我慢しなくていいから」

 そう言って、霧乃が背中をさすってくれる。そんな彼女はもう、化け物の姿に映ったりはしなかった。

 胃の底が沸き上がるような吐き気に、もう一度身体を震わせる。

 霧乃は黙って身じろぎもせず、ただ僕の背中をさすってくれていて。

 こんな状況だからこそ、

 雨の孤島に閉じ篭められ、殺人鬼と一緒に時を過ごさなければならない今だからこそ、

 僕の背中に触れているその手が、泣きたいくらい頼もしかった。

 情けない、けれど。

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