第一章―04
「よう、お二人さん」
威勢のいい男の声だった。振り向くと、褐色肌で無精髭を生やした男性が、愛想笑いを浮かべていた。日焼けしているせいで年齢が分かりづらいが、二十歳前後といったところだろうか。
「随分と仲が良さそうだな。あんたらも、天上島へ行くんだろ?」
男が愛想良く僕たちに歩み寄ってくる。人見知りのきらいのある霧乃は、僕を盾にするようにじりじりと後ろへ隠れてしまった。仕方がないので、僕が応対する。
「はい。……も、ってことは、もしかしてあなたも天上島に?」
「ああ。俺は守屋って言うんだ。まぁよろしくな」
男が日焼けした笑みとともに、無骨な手を僕の前に差し出してくる。握手を求められているようなので、僕は気後れしつつ「どうも」と手を取った。守屋と名乗る男は、ずっと野生の中で生活してきたみたいに、粗くて硬い肌をしていた。守屋さんは霧乃にも、「そちらさんも、よろしく」と手を差しのべたが、霧乃は困ったように僕を見上げるだけで、手を取ろうとしない。
「すいません。こいつ、随分と人見知りする奴なんで」
僕が弁解すると、守屋さんは「ああ、なるほど」と手を引っ込めた。その代わりのように、「あんたら、名前は?」と尋ねてくる。
「えっと、こっちのが東大寺霧乃って言います。いささか変わり者ですけど、まぁよろしくお願いします。で、僕はその霧乃の付添人で、小坂祐司って言います。よろしくお願いします」
「へぇ、付添人か……。てことは、『死者の館』の暗号を解いたのは、この女の子の方?」
守屋さんが興味深げに霧乃の顔を覗き込む。霧乃はますます僕の後ろに隠れてしまった。困った奴だ。
「まぁ、一応。朝から晩まで本しか読まないような奴ですから、知識だけは豊富なんですよ」
「ふぅん。読書中毒ってことね。どうりでこんな真っ白い肌してるわけだ」
守屋さんが自分の褐色に日焼けした肌と、霧乃の血管が透けそうな肌を見比べる。その視線に耐えきれなくなったか、ついに霧乃が、
「ぼく、下で本読んでるよ」
などと言い出した。そのまま、てててと守屋さんの脇をすり抜けて、客室の方へと消えてしまう。その後ろ姿を眺めて、守屋さんが「どうやら、嫌われちまったらしいな」と苦笑した。
「すいません。礼儀知らずな奴で」
「いや、いいんだ。そもそも、この企画に参加してる奴の中で、礼儀を心得ている奴がどれほどいるか、疑わしいからな」
「というと。どういう意味ですか?」
「うん。要するに、少なくとももう一人ほど、変わり者がいるってことだよ」
守屋さんがそう言ったのと、客室に繋がる階段から人影が現れたのが同時だった。「噂をすれば、ってやつだ」と守屋さんが口もとに笑みを浮かべる。その「変わり者」は、漆黒の髪を腰まで伸ばしたうら若き女性であるらしかった。
彼女はデッキに素早く視線を走らせて、僕と守屋さんを認めると、後ろ髪を揺らして早足で歩み寄ってきた。そして、射抜くような鋭い視線で、僕たちを交互に睨み付けてくる。
「あなた……守屋さんって言ったかしら。天上島へ行くのよね。てことは、こちらの人もそういう人なの?」
「ああ、そうさ」守屋さんが答えた。「ついさっき、客室に降りていった女の子がいただろう? この人は、その子の付き添いなんだってさ」
「あらそう、付き添いね。そういえばさっき、客室の廊下でいかにも鈍くさそうな女の子とすれ違ったわ」
で、あなた名前は何と言うの? と彼女は僕を睨み付けてくる。先方は睨んでいるつもりはないのかも知れないが、三白眼のうえ口調や態度が刺々しいので、どうしても威圧的なものを感じてしまう。何だか拷問されているような気分だ。
「えーと……僕は小坂祐司って言います。さっきすれ違ったっていう鈍くさい奴は、多分東大寺霧乃って奴です。これから四日間、共々よろしくお願いします」
幾分かしこまって答えると、彼女はふんと不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「小坂さんと東大寺さんね。私は御代川姫子よ。あなた方と関わり合いになるつもりは毛頭ないけど、せいぜいよろしく頼むわ」
彼女はそれだけ言うと、くるりと身を翻して、有無を言わせずに立ち去ってしまった。世の中の全てに食ってかかるような、凛とした足取りだった。
「なかなかアバンギャルドな人だろ?」
守屋さんが御代川さんの後ろ姿を見送って、笑みを含む。
「アバンギャルドというか……小型台風みたいな人でしたね」
「言い得て妙だな」
彼はくっくっと喉の奥で笑い声を立てた。
「御代川姫子。電化製品開発なんかで有名な御代川グループの、本家のお嬢様なんだってさ。ただし、元隠し子だけどな」
「は? 元隠し子って、何ですかそれ」
隠し子に元とかあるのか。いや、それ以前に隠せてないじゃないか。
「御代川グループの会長が、五十のときに作っちまった訳ありの子どもでさ。生まれたはいいが、公表するとスキャンダルになるとか何とかで公表できない。だから、十年間ほど部屋の中で監禁して育てていたっていう、まぁ酔狂な話さ」
「滅茶苦茶な話ですね……」
「まぁ結局、十年経った頃に子ども――姫子の存在がばれちまって、だから元隠し子って扱いなんだけどな。でも、監禁されていて他人と触れ合わなかった十年の間に、御代川姫子はちょっと頭の中がさわやかな人間に成長しちまったってわけさ」
「はぁ……」
としか言いようがない。
生まれてから十年間、監禁されて育った人間。他者とろくに触れ合わずに育ったことが一体どんな影響を及ぼすのか、僕には想像も及ばなかった。御代川さんはどう見積もっても、十代後半から二十代前半に見えたが、彼女は監禁が解けてから一体どんな生活を送ってきたのだろう。
僕の疑問を読み取ったように、守屋さんが「あの人、ちょっと引き篭もりの気があるんだよな」と言う。
「多分、監禁生活が肌に馴染みすぎちまったんだろうな。今でも基本的に、他人と関わりたがらねえ。普段は本家の自分の部屋に篭もりっきりで、一切外出しないんだとさ」
「へぇ、そうなんですか。……ていうか、細かい事情までよく知ってますね、守屋さん」
「ああ。港まで御代川姫子を送りに来た、御代川家の執事って奴に聞いたんだよ。ちょっと変わったところのあるお嬢様ですが、よろしくお願いしますってな」
僕はさっきの御代川さんの様子を思い浮かべた。他者と接触しないという点では霧乃と同じだが、性格の方は随分と異なっているらしい。二人は一体どこで違いを生んでいるのだろう。
「で、あんたの方はどうなんだよ」守屋さんが僕に横目を流してきた。「あんた、東大寺霧乃って女の子の付添人なんだろ? どうして付き添いなんか必要だったんだ」
「えーと……それはまぁ、霧乃が御代川さんに劣らず奇人だからですね」
僕は自分がこの旅行に参加するようになった経緯を説明した。守屋さんは顎髭を撫でながら、終始にやにや笑いで僕の話を聞いていた。
「つまり、あの子も筋金入りの引き篭もりだったってわけか」
「まぁ、そういうことですね。いささか生存能力が低いので、僕がお供してるわけです。見知らぬ人の中に四日もいたら、あいつ死亡しかねませんから」
「はん! 結局、この企画に参加しているのは奇人変人ばかりってわけだな」
守屋さんはそう言って、実に愉快そうに笑った。僕には何が面白いのか分からず、曖昧に笑むに留まった。
「でも、守屋さんがいて良かったですよ。守屋さん以外は、何だか変わった人ばかりみたいですから」
「ふん。それはどうかな。俺だって負けず劣らず変人だぜ?」
「え……」
予想外のことを言われて、思わず守屋さんの顔を凝視してしまう。彼は「俺の趣味はな、世界各地の無人島で生活することなんだよ」と言って、笑みを深めた。
「無人島……? 何ですか、それ」
「そのまんまさ。最低限の装備だけ持って、無人島で一ヶ月のサバイバルゲームをやるんだ。もちろん、一人でな。喰い物も、寝床も、全部現地でどうにかする。この間、アフリカはギニアの無人島で腹ぺこジャッカルの群れに襲われたときは、もうこれまでかと思ったが、何だかんだで生き延びたな」
「ジャッカルに……。どうやって生き延びたんですか」
「ああ。ジャッカルってやつは持久力があるからな、逃げたって絶対に捕まっちまう。だから、威嚇するのさ。死んでも構わんって意気込みで、闘志剥き出しにして吠えるんだ。人間だってその気になりゃ、ジャッカルくらい追い払える。教えてやろうか? ジャッカルの追い払い方」
遠慮します、と僕は言った。何かの間違いでアフリカの無人島に飛ばされない限り、ジャッカルの追い払い方が役立つとは思えない。僕はこれから行く天上島にジャッカルが生息していないことを祈って、盛大に溜息をついた。
結局、わけの分からない人ばっかじゃないか……。
東大寺霧乃も、守屋さんも、御代川姫子も。都会のマンションで、両親と友人に囲まれて健全に生活している僕の方が、かえって珍しいくらいだ。
げんなりして、軟体動物のように船の縁にへたり込む。そんな僕の様子を見て守屋さんが笑い、「ついでにもうひとつ、変わり者がいたな」と言った。
「変わり者? まだ何かいるんですか?」
「あの天上島って島だよ。ここらへんじゃ、あの島には何でも、小さな女の子の幽霊が出るって噂らしいぜ」
「……そうですか」
もうどうにでもなれという気分だった。本当なら今頃は、クラスメイトと一緒に長野に到着して、信州そばでも啜っていたのだろうに。僕は何が悲しくて、こんな奇人変人に囲まれながら船に揺られているんだ。
泉の水のように、後悔だけがこんこんと湧いて出る。
「お、見えてきたな。天上島と、霧山朽葉の別荘だ!」
守屋さんが水平線を指差して、ことさら機嫌良さそうに言った。