第三章―04
「でも、いよいよもって『死者の館』ね。この屋敷」
御代川さんが冷ややかに言った。
「屋敷に監禁されていた少女。その後に起こった謎めいた事件。そして今、何者かに小説家が殺害されているなんて。『死者の館』そのものだわ」
「確かにな」守屋さんが同意する。「この屋敷に『死者の館』とかいう名前が付けられていたら、本当にそのものだ」
「あら。そんな名前なんか付いてなくても、役者が揃ってるじゃないの」
御代川さんは三白眼を守屋さんに向け、唇を歪めた。
「五年間孤島に一人で暮らしていた小間使い。ドイツ留学で殺人をして、日本に追い返された異端児。無人島生活を趣味とする物好き。部屋に閉じ篭もって外部と接触しない引き篭もり。それに、本がお友達の素敵な読書中毒さん。みんながみんな、まともに他者とつながりのない人間ばかり……。そういう意味でなら、この屋敷はまさに生きながら死んでいる『死者』たちの集う館――『死者の館』と称して差し支えないんじゃないかしら?」
御代川さんの言に、大広間には薄気味悪い沈黙が流れた。生きながら死んでいる『死者』たちの集う館……。そのフレーズがどこか説得力を持って、皆の上にのしかかっているようだった。
「霧山朽葉が『死者の館』の下巻を発表してなくて残念だったわね。下巻を読めば、犯人が誰なのかも分かるというのに。――それとも」
御代川さんは一息置いて、嘲るように口もとに笑みを含んだ。
「霧山朽葉は、あえて下巻を書かなかったのかも知れないわね。何故なら、この屋敷に集まった私たちが、その下巻を演じることになるのだから」
「……………………」
誰かが息を呑む気配がした。まさか、と守屋さんが呟いた。霧山朽葉は誰かに殺されているんだ。そんなこと、考えていたはずがない。
でも――と考えてしまう、一つの可能性。
あまりに『死者の館(上)』と似ているという、この屋敷の状況。監禁されていた少女、五年前の事件、殺害された小説家。見立て殺人。
まさか、霧山朽葉は全てを知りながら、この小説――『死者の館(上)』を書いたのではないか。
未来を予見し、自分が殺されるという運命を分かっていながら。『死者の館』の下巻は、この屋敷に集まった『死者』たちが演じるのだ……。
そこまで考えて、僕は思考を振り払うように頭を振った。常識的に考えて、そんなこと有り得るはずがないじゃないか。霧山朽葉が未来を予見していた、だなんて。この異常な状況に、正常な思考力までもが奪われているみたいだった。知らないうちに狂気へと染まっていく精神に、戦慄を覚える。
「まぁいいわ。お喋りはこのくらいにして、私はそろそろ休ませてもらうから」
やおら御代川さんがそう宣言して、立ち上がった。唐突なことだったので、守屋さんが「何だよ、おい」と面食らったように呼び止める。
守屋さんは彼女の皿を指差して、
「まだ、メシが半分も残ってるじゃねえか。喰わなくていいのか?」
「私はあなたのような野蛮人と違って繊細なのよ。人が殺されているというのに、夕食をがつがつ食べるような趣味はないわ」
「しかしだな……」
守屋さんが言い淀んでいるところに、古橋さんが「ここで一緒にいた方がいいよ、御代川さん」と鋭く忠告した。
「はっきり言って、この屋敷は危険だ。熊切千早なる謎の人物がどこかに隠れていて、機会を窺っているかも知れないんだよ。もう暗くなっているのに一人で廊下なんか歩いていたら、間違いなく狙われる。危険だ」
「ふん。謎の人物ね……。あなたたちも、いい加減に現実逃避をやめたらどうかしら。本当は認めたくないだけなんでしょう? この中の誰かが、連続殺人を予告した犯人なんだ、ってことを。それを認めるのが怖いから、いもしない第三者なんてものを犯人に仕立て上げようとする」
「……………………」古橋さんは何も言い返さず、ただ黙って唇を噛んだ。
「それにね、ありがたいことに犯人は、見立て通りに殺人を進めてくれるらしいわ。『死者の館』によれば、第二の被害者は毒殺――。この夕食で何も起こらなかったということは、今日はもう何も起こらないわよ」
そういうわけだから、お休み。そう言って、御代川さんは誰が止めるのも聞かずに、欠伸を洩らしながら大広間を出ていってしまった。大広間の壁に掛けられている時計によれば、今はまだ午後七時だ。寝るにはいくらなんでも早すぎる、と思ったが、御代川さんは他人と一緒にいるだけでストレスを感じる体質であることを思い出した。どこまでも厄介な人だ。
薄暗い回廊に御代川さんの後ろ姿が消え、重たげな音を立てて観音開きの扉が閉ざされる。
大広間の中には、降りしきる雨が屋敷を叩く音と、気まずい沈黙だけが残された。