表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能探偵と死者の館  作者: こよる
第二章 悪意の集う夜明け
22/59

第二章―12

 僕は仰向けにベッドに倒れ込んだ。目を瞑ると、嫌でも書斎のあの光景が脳裏に蘇る。

 床に出来た血溜まり。首斬り死体。『第一の犠牲者』。

 殺人者はどうして霧山朽葉の首を斬り落としたのか。そして、何故『死者の館』を連想させるような『第一の犠牲者』という紙を残したのか。首斬りの理由、見立ての意味は?

 目を閉じて思考の海に沈んでいるうち、自分がひどく問題を無機的に捉えているということに気付く。

 この屋敷の中で現実に殺人が起こって、しかも殺人はまだ続くかも知れないというのに。

 僕たちの中の誰かが、まだ殺されるかも知れないというのに。

 何故か平然としていられる。いや、平然としているしかない。

 現実に、自分に死が近づいていること。それを理解し受け入れるだけの精神力は、僕にはないのだった。そんなことを認めてしまったら、正気を保っていられなくなりそうで。

 恐怖すらも麻痺してしまっているのだろうか。

 ふと目を開けると、自分の身体が小刻みに震えていることが分かった。無意識の反応で、止めようとしても止まらない。それどころか、ますます震えが大きくなる。

 怖い、のか。僕は。

 分からず、ただただ震える。

「ゆぅくん?」

 制御を失った自分の身体が気味悪くなり、身を丸めて縮こまっていると、霧乃に声を掛けられた。

「どうかしたの?」

 ベッドの上で丸まっている僕を見て、顔を覗き込んでくる。夢うつつのように眠たげな、霧乃の瞳。細く白い腕。淡色の長髪から、ほのかに甘い香りが漂う。

 僕は自分を悟られたくなくて、寝返りを打ち、霧乃に背中を向けた。

「別に、何でもないよ」

 そんな嘘をつく。霧乃は僕の様子に気付いたのか、「冷房、効きすぎかな?」なんて尋ねてきた。それどころか、実際にリモコンで設定温度を上げているみたいだ。どこまで呑気なんだろう、この女の子は。

「怖くないの?」

 気付くと、そんなことを尋ねていた。うん? と霧乃がこちらを振り向く気配。

「霧乃はさ、こんな状況に置かれて、本当に何も感じてないのかな、って。そう思った」

「ん……」

 霧乃がかすかに喉を詰まらせる。それから、僕の背中にもたれ掛かるようにして、自分の背中を預けてきた。

 衣服越しに伝わる、かすかな体温。

「ゆぅくんは、やっぱり怖いの?」

 どこか躊躇いがちに、霧乃が僕の心に手を添えてくる。うん、と僕は答えた。そっか、とだけ霧乃は言った。背中合わせになった彼女の身体から、かすかに心臓の鼓動が伝わってくる。それが、一人じゃないと言われているみたいで、何故か心強かった。

「ぼくは、どうなのかな。あんまし、いつもと変わらないけど」

「いつもって、どういう意味さ」

「いつも通り、永遠に醒めない夢の中」

 霧乃の答えはあまりに素っ気なかった。その冷えた声音に、僕はどこかざらついたものを感じる。

 え? と思わず振り向くと、霧乃は僕に背中を預けたまま、天井に灯るライトを漠然と眺めていた。

「ねぇ、ゆぅくん。ぼく時々思うんだけどさ、醒めない夢の中で生きることと、死んでることって、一体何が違うんだろうね」

「そんなこと……」

「もしかすると、ぼくは死ぬことをあまり怖れてないのかも知れない」

 やけに醒めた声だった。僕はどう反応していいのか分からず、黙り込む。

 東大寺霧乃。重度の読書中毒であり、本の海の中で暮らしている女の子。およそ他者と触れ合わず、読書の中にのみ価値を見出して。僕は霧乃の部屋に入ったときに時々感じる、「書葬」という言葉を思い出した。

 永遠に醒めない夢の中。

 もしかすると、この子はもう既に――。

「なんて、ねー」

 不意に、霧乃が調子の外れた声を出した。

「え?」

「冗談だよ。冗談を言ってみたのです」

 霧乃はくるりと僕を振り返った。白い頬に、淡く微笑みが浮かんでいる。

「ゆぅくんが元気なさそうだったから、元気づけようと思って。どうだった?」

「どう、と言われても……」

 頭を掻く。確かに、恐怖がどこかへ行ってしまったような気はするが。身体の震えはもう治まっていた。

 霧乃はベッドから立ち上がると、身体の後ろで両手を組んで腰を屈め、諭すように僕を見つめた。

「あのね、ゆぅくん。こういう状況で一番危ないのは、状況の異常さに我を見失うことだよ。冷静を欠けば、すべて向こうの思い通りになってしまう」

「……………………」

「冷静を保ち、状況を見つめ、論理を組み立てて可能性を絞り込む。そうやって犯人を追い詰めていくのが、今ぼくたちに出来る唯一のことだよ」

「分かってるけどさ……」

「なら、しっかりしてよ。ゆぅくんは、ぼくにとってたった一人だけの味方なんだから」

 ね? と霧乃は僕に向かって首を傾げてみせる。うん、と僕は頷いた。

 たった一人だけの味方。

 それは、僕にとっての霧乃を指す言葉でもあった。

 彼女だけは、彼女だけは絶対に犯人じゃない。何を考えているか知れない奇人ばかりが集う館にあって、その事実はあまりに心強いものだった。

 大丈夫だ。

 まだ、頑張れる。

 東大寺霧乃が、僕の隣にいてくれるんだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ