第二章―10
ガラス戸の外の空は、灰色だった。
雨が霞のように白く煙っているせいで、視界が悪い。見えるはずの隣の島も霞の向こう側で、まるでこの島だけが世界から隔離されてしまったようだった。大量の雨粒が地面を打つ、地鳴りのような音が、巨大な化け物の呻き声のように聞こえる。
僕は雨に煙る黒々とした海原をしばし眺めてから、部屋のカーテンを閉ざした。
「すっかり、嵐の孤島だねぇ」
自分のベッドに寝転がって、読書している霧乃が言う。
「もっとも、嵐じゃなくても脱出できないかな。連絡手段もないし、ボートが使えないんじゃさ」
「嵐はオマケってわけか……」
僕も自分のベッドに腰を降ろした。まだ午後の二時だというのに、大雨に見舞われたこの屋敷は薄暗く、死んだように静まり返っている。せめてセミの鳴き声でも聞こえれば、まだ元気づけられたのだろうが。
屋敷内の探索では、めぼしい収穫は熊切千早に関することだけだった。熊切千秀には千早という名前の隠し子がおり、その娘はこの屋敷に監禁されていたらしいということ。その認識が、全員に共有された。
もっとも、それだけの情報では僕たちはどうしようもなかった。その熊切千早が今もこの屋敷に潜んでいるという証拠は、何ひとつとして見付からなかったのだから。
その後、このまま夕食まで全員で大広間にいたらどうか、という意見も出されたが、御代川さんが癇癪を起こして喚き散らしたため、一旦解散という流れになった。
客室に鍵を掛けさえすれば、誰も入ってくることは出来ない――。
その事実が、僕たちの唯一の安心材料だった。なにしろ、全部屋の鍵を開けられるマスターキーはあのボックスの中にあり、誰にも手に取ることは出来ないのだから。
その後、僕と霧乃はこの十二号室へ戻っていた。
僕としては大広間にいても構わなかったのだが、霧乃が「ここじゃ、落ち着いて本も読めないよ」と我が儘を言い出したのだ。およそひ弱な彼女を一人にさせるわけにもいかず、僕も一緒に部屋に戻ったのだった。
「しかし、霧乃は呑気だよな。ほんとに……」
隣のベッドに転がる読書娘を眺めていると、ついそんな呟きが漏れる。「んー?」と霧乃はだらけきった反応を寄越した。
「ただでさえ、人が一人殺されてるっていうのにさ。おまけにこんな屋敷の中に閉じ篭められて、外は陰気な大雨だってのに。よく平気で本なんか読んでいられるな、と思って」
「雨の日は読書するに限るよ、ゆぅくん」
霧乃は目尻の下がった眠たげな瞳を細め、わずかに微笑んだ。
「こんな状況、ぼくたちじゃ、どうしようもないからね。犯人さんがいい人であることを祈るだけだよ」
「いい人なわけないだろ……」
無用な突っ込みを入れて、僕は溜息をついた。
動き回っているときは気付かなかったが、こうして緊張が解けると、自分がひどく疲弊しているのが分かる。頭が鈍く痛み、身体は鉛のように重たかった。それと同時に、こうして霧乃と二人でいることに、知らず知らず安堵している自分に気付く。
こんな奇怪な屋敷だ。
いくら変わり者とはいえ、この女の子は僕にとって唯一信頼のおける仲間だった。
「それとも、ゆぅくん。暇つぶしに探偵ごっこでもする?」
霧乃がベッドから半身を起こして言った。
「探偵ごっこ? なにそれ」
「そのまんまだよ。今まで見てきたことを整理して、そこから色んなことを推理してみる。どうせ、他にやることもないしね」
「ふぅん……。よく分からないけど、ただ読書してるよりはいささか建設的かもね」
何が建設的なのか、自分で言っていてよく分からなかったが。
霧乃は「じゃあ、状況の分析から始めようか」と言って、話し出した。
「死体の発見は今日の朝、伊勢崎さんだったよね。ぼくたちは大広間に集められて、霧山朽葉の死を知り、その後書斎へ死体を見に行った。発見された死体は、斧で首が斬り落とされていて、そばには『第一の犠牲者』という紙が置かれていた。その後で、電話が破壊されているということを知った。こんなところかな」
「うん。それで合ってる」
「じゃあ次に、犯人が絞り込めないか考えようよ。犯行があったのは多分、昨夜。ぼくは部屋にいたから知らないけど、昨日の夜はみんなで談話・遊戯室にいたんじゃなかったかな?」
「うん。霧乃と御代川さんと伊勢崎さんを除いたメンバーが、二階の談話・遊戯室にいたんだ。もっとも、僕は一番先に抜けたから、その後どうなったのかは分からないけど」
「ふぅん……」
霧乃は少し唸って、
「じゃあ、アリバイは誰にもないと考えた方が良さそうだね。犯行は誰にでも可能だった、と。つまり、現時点では犯人の絞り込みは出来ない」
「それじゃ駄目じゃないか」
「駄目じゃないよ。まだ、状況で検討すべき部分がいくつかあるからね。いい、ゆぅくん? 今までの状況で気になるのは、大きく二つだよ。つまり、どうして霧山朽葉の死体は首が斬り落とされていたのか、ってことと、ぼくたちの置かれた状況が『死者の館』によく似ている、ってことの二つ」
「ふむ。それで?」