第二章―02
大広間には、重たい沈黙が漂っていた。誰もが混乱を来しているというのに、口を開くことすら出来ない。古橋さんの口から伝えられた事実は、それだけの衝撃を持って僕たちの上にのしかかった。
――霧山朽葉が、殺されたんだ。
神妙な表情をした古橋さんは、「亡くなった」でも「死んだ」でもなく、「殺された」という表現を使った。そのことが余計に、僕たちに圧迫を与えた。
古橋さんの隣では、メイドの伊勢崎さんが青い顔をして俯いている。唇を噛み、恐怖に耐えようとしている様子だったが、彼女の肩は小刻みに震えていた。彼女が霧山朽葉の――死体の――発見者であるらしかった。
はっきり言って、僕は何が起こったのか理解できないでいた。混乱していたのだ。
殺された? 霧山朽葉が?
頭ではその単語を認識しているのに、その言葉が一体どういう意味を持つのか、まったく理解できない。まるで脳のシナプスが焼き切れてしまったみたいだった。頭の中では、ただ「霧山朽葉が、殺されたんだ」という古橋さんの声だけが、ぐるぐると渦を巻いている。
「待ってくれ」
ずるずると自分の奥底に落ち込んでしまいそうな僕を、その声が現実に引き摺り戻した。音源を辿ると、守屋さんが古橋さんに向かっていた。
「霧山朽葉が殺されたって……それは一体、どういうことなんだ」
「言葉通りの意味だよ」
古橋さんは根が医学者だからということもあるだろうが、いささか冷静を保っているように見えた。
「書斎――この屋敷の一階に書斎があるんだけど、そこで朽葉が殺されていたんだ。発見者は僕じゃなくて、こちらの伊勢崎さんだけどね」
そう言って、彼女は自分の隣で震えている小間使いを見やった。しかし、伊勢崎さんには状況を説明する余力がないだろうと考えたのか、「僕の方から説明させてもらうと」と言って、続ける。
「今朝、伊勢崎さんが起きて、大広間へ向かう途中のことだ。彼女によると、書斎のドアが半開きになっていたらしい。それで、不審に思って中に入ってみると――」
霧山朽葉が死んでいた、という事実を、古橋さんは沈黙で示した。
「ちょうどその時、僕が一階へ降りてくるところだったんでね、伊勢崎さんは僕に報せに来たというわけさ。その後、僕は彼女と一緒に、書斎へ向かった」
「そんなことはどうでもいい!」守屋さんが声を荒げる。「そんなことより、書斎なんだな。書斎にその……死体、があるわけだな」
「ああ、そうだ」
古橋さんは神妙に頷いた。
「じゃあ、とにかく書斎だ。書斎へ行ってみようじゃないか。この目で見ないと、そんな話、信じられるわけがねぇ」
守屋さんは半ば怒ったような調子で言い散らすと、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。「みんなも、一緒に来てくれよ」と言って、大広間を出ていこうとする。その背中に、古橋さんが声を掛けた。
「余計な忠告かも知れないけどね、あんまり精神力のない人は見ない方がいいよ。一晩ならともかく、一生うなされる羽目になる」
「そんなに、ひどい状態なのか」守屋さんが振り返った。
「惨状、という言葉を使うべきだろうね。悪趣味にも程がある」
古橋さんはそう言って、全員の顔を見回した。どうする? と尋ねるみたいに。
古橋さんの隣でぐったりしている伊勢崎さんは、どう考えても再び書斎に入るほどの元気はなさそうだった。膝の上で組んだ彼女の手が、小さく震えているのが分かる。
一方の御代川さんは頬杖を突き、例によって不機嫌そうな顔で向かいの壁を睨んでいる。このことについてどう思っているのかは、いまいち分からない。彼女はもしかすると、他者についてそもそも興味がないのかも知れなかった。
その他、守屋さんは書斎へ行くものとして……さて、霧乃はどうだろう。僕は隣席に座っている変わり者の友人を、ちらりと眺めた。
霧乃は、テーブルの角をじっと見据えたまま、微動だにしていない。その表情は驚愕や恐怖というよりも、何か考え事をしているというふうだった。かすかに眉をひそめている。珍しい表情だ、と僕は意味なく思った。
「東大寺さんと小坂くんは、どうする?」
古橋さんが僕たちに意志を尋ねてくる。僕はちらりと霧乃に目を馳せたが、彼女の方は僕を見ることなく、「ぼくは行くよ」と静かに答えた。それなら、と思って、僕も「行きます」と答える。
結局、伊勢崎さんと御代川さんを除いた全員で、書斎へ向かうことになった。