第二章 9『日神邸』
日神邸は、山の奥にあった。
王都の喧騒から離れ、街道からも外れ、獣道と呼ぶにも頼りない道を進んだ先。
木々の隙間から差し込む陽光は細く、湿った土の匂いが鼻を刺す。
爆は肩にスルトを担ぎ、息を荒げながら坂道を登っていた。
「……なんで、修行場ってのはどこもこう、無駄に山奥なんだよ」
ぼやきながらも足は止めない。
アーノルドに負けた。
それだけで、体の奥に火が灯り続けている。
悔しさは消えない。
痛みも消えない。
だが、そのどちらも今は燃料だった。
やがて木々が途切れる。
視界が開けた先にあったのは、古い屋敷だった。
大きい。
だが、豪奢というよりは、長い年月をそのまま背負ったような佇まい。
瓦は黒く、柱は太く、門の前には何本もの刀傷が刻まれている。
「ここが……日神邸」
爆が呟いた、その瞬間だった。
「おう、ボウズ!」
頭上から声が降ってきた。
反射的に顔を上げる。
門の上に、男が座っていた。
長身。
乱れた髪。
年齢を感じさせる顔つきではあるが、その眼だけはやけに若い。
獲物を見つけた獣のように、ぎらりと輝いている。
男はにやりと笑うと、門の上から軽々と飛び降りた。
着地音は、ほとんどない。
「久しぶりじゃねぇか。……いや、初めましてだったか?」
「どっちだよ」
爆が眉をひそめる。
男は愉快そうに肩を揺らした。
「細けぇこと気にすんな。俺が日神烈火だ」
その名を聞いた瞬間、爆の背筋に熱が走る。
太陽流剣術の祖。
万之介の祖父。
そして、爆がこれから越えなければならない壁。
「火神爆だ。よろしく頼む」
「おう。話は聞いてるぜ。太陽流を使う妙な小僧がいるってな」
烈火の視線が、爆の背のスルトへ向く。
その眼が、ほんのわずかに細くなった。
「……なるほどな。こりゃ確かに変だ」
「あ?」
「刀が泣いてんだよ」
その一言に、爆の眉間が険しくなる。
「泣いてる?」
「お前、自分の刀を武器としてしか見てねぇだろ」
烈火はゆっくりと歩く。
爆の周囲を回りながら、品定めするようにスルトを見る。
「斬る道具。燃やす道具。ぶっ壊す道具。まあ、それも間違っちゃいねぇ。だがな、太陽流の刀はそれだけじゃ足りねぇ」
「じゃあ何だよ」
「お前にとって、刀とは何だ」
問いは単純だった。
だが、答えが出ない。
爆は口を開きかけて、閉じる。
刀とは何か。
そんなこと、考えたこともなかった。
戦うためのもの。
勝つためのもの。
敵を倒すためのもの。
それ以外に、何がある。
そう思った瞬間、烈火の姿が消えた。
「――遅ぇ」
声が耳元で聞こえる。
次の瞬間、爆の体が吹っ飛んだ。
何をされたのか、わからなかった。
背中から地面に叩きつけられ、肺の中の空気が一気に抜ける。
「がっ……!」
「今ので死んでねぇだけ褒めてやる」
烈火はいつの間にか、爆の前に立っていた。
手には刀。
鞘から抜かれたその刃は、燃えていた。
炎ではない。
炎のように見える、斬撃の気配だった。
「立て、ボウズ」
烈火が笑う。
「まずはその勘違い、全部叩き斬ってやる」
爆は血の味を噛み締めながら、ゆっくりと立ち上がる。
痛い。
体が重い。
だが、不思議と笑えてきた。
「上等だ、じいさん」
「ああ?」
「俺の刀が泣いてるってんなら、泣き止むまで付き合ってやるよ」
烈火の笑みが深くなる。
「いい目だ」
風が止まる。
山の静寂が、二人の間に張り詰める。
次の瞬間、爆はスルトを抜いた。
火花が散る。
それが、火神爆の修行の始まりだった。




