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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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9/52

再会の影 ― “四人の名”

翌夜。

都心のビル群は眠らない。

だが、その光の奥で、誰もが沈黙している。


LUX防衛局庁舎の屋上階。

高層の風は重く、金属の匂いを孕んで吹き抜ける。

中溝は防風ガラス越しに、無数のネオンが瞬く街を見下ろしていた。

まるで、心拍を失った巨人が、微弱な電流で生き延びているようだった。


ポータブル端末の画面に、青白い光が滲む。

解析ログが止まらない。

《BLACKOUT // TRACE 003 // UPDATE FREQUENCY:RISING》

その一行が、脈のようにリズムを刻んでいた。


指先がかすかに震える。

止めるべきなのか、それとも――見届けるべきなのか。


ナレーション:

「記録は過去に遡らず、過去が未来へと侵入してきていた。

 それは、記憶の反転――忘却の裏側から世界が侵食される感覚だった。」


端末のバックライトが一瞬だけ点滅する。

中溝の瞳に映るのは、十年前の夜――

あの屋上、笑い合う四人、そして「東京を真っ暗にしてやろうぜ」と言った男。


酒井の声が、ふと風に混じって聞こえた気がした。

彼は振り返る。

だが、そこには誰もいない。


静寂の中、LUXの監視塔が遠くで唸る。

その音は、街全体が何かを“思い出そうとしている”ようにも聞こえた。


中溝は端末を握りしめ、深く息を吐く。


中溝(独白):「……あの冗談が、まだ終わっていないのか。」


夜風が彼の言葉をさらい、

街の光が、呼吸のようにわずかに明滅した。


中溝はゆっくりと背を向け、階段へ向かう。

かつての仲間たち――村上、日野、そして酒井。

それぞれが、異なる場所で、同じ影を見ている気がした。



「孤独とは、過去に取り残されることではない。

 過去が、いまを追ってくることだ。」


青白いLUXの光が、彼の背中を淡く照らした。

そして、再び都市が息をする。



電力庁・技術統制課。

夜勤明けのフロアは、まるで酸素を失った実験室のように静まり返っていた。


蛍光灯の光が鈍く滲む。

モニターのブルーライトが、疲れきった村上の横顔を照らす。

白衣の上から羽織った作業ジャケットは皺だらけで、袖口には油の染みが残っていた。

十年前――酒井とともに笑い、冗談を“信号”に変えた青年の影は、もうどこにもない。


扉が開く。

中溝が立っていた。

手にしたポータブル端末の画面には、異様な文字列が脈打っている。


《TRACE 003 // BLACKOUT // RESURRECTING》


中溝の声は、冷たい硝子を割るように落ちる。

「このコード、まだ動いてる。

 LUXの中で、“何か”が再構築してる。」


村上は顔を上げた。

眼の奥が、何かを計算している。

いや――それは計算ではなく、“思い出すことへの拒絶”だった。


「そんなはずはない。」

村上の声はかすれていた。

「俺が全部、消した。……“酒井の部分”も含めて。」


その言葉の中に、わずかに重たい沈黙が沈む。

空調の音が遠のき、蛍光灯が一度だけ瞬く。


中溝は、ゆっくりと問いを差し込む。

「酒井の部分? 何をした。」


村上は息を呑み、視線を落とした。

「……忘れろ。あの夜を。あれは“遊び”だったんだ。」


“遊び”――その単語が落ちた瞬間、

室内の空気が不自然に凍りついた。

中溝は、村上の手元に目をやる。


指が、机をトントンと叩いている。

まるで何かを無意識に呼び出すような、一定のリズム。


そのテンポを、中溝は知っていた。

十年前、屋上で酒井がノートPCの端末に送信していた“同期信号”。

——あの夜、闇を呼び込むための、合図。


何も言わず、中溝は踵を返した。

村上の視線が背中に刺さる。

言葉にはならない懇願のようであり、あるいは罪の残響のようでもあった。


扉が閉まる寸前、

制御卓の隅で電力端末が一瞬だけ点滅した。

白い光が村上の顔を照らし、

その影が壁面のグリッドに滲む。



「沈黙の奥に、誰かの息が混じっていた。

 それは、消されたはずの“呼吸”のリズムだった。」


都心の片隅。

午前一時を回ったカフェテリアは、夜勤帰りの記者と、帰る理由を失った者たちのための避難所だった。


窓の外では、高層ビルのネオンが無数の瞳のように点滅している。

眠らない街――だが、その光はどこか体温を失っていた。


中溝が席に着く。

向かいには、十年前の“笑い声”の残響をまだ少しだけ宿した女がいる。

日野真紀。

かつては冗談を一番に笑って、録音機を抱えていた記者。

いまはその笑いの名残りが、眼の奥で乾いていた。


彼女はノートPCを閉じずに、静かに呟いた。


「酒井は、生きてる。」


中溝は眉を寄せる。

「……どういう意味だ。」


日野は一度、コーヒーの湯気の向こうに視線を置いた。

「“死んでいない”ってことじゃない。

 “消え方が、人間じゃない”の。」


画面の中には、酒井翔吾の旧データプロファイルが映っている。

【STATUS:DECEASED/CONFIRM:10 YEARS AGO】

――だが、そのIDが、LUXのネットワークで未だに“通信”を続けていた。


中溝が息を呑む。

「……誰が、アクセスしてる?」


日野はタブを切り替え、波形データを表示する。

「この通信、規則性があるの。

 でも、信号の揺らぎが“脳波”に近い。

 LUXが、酒井の神経を模倣してるのよ。」


モニターの波形が、かすかに“S字”を描く。

それは十年前、屋上で笑いながら録音された“呼吸”のリズムと酷似していた。


中溝の胸に、冷たい電流が走る。

テーブルの下で拳が震える。

「……まさか、あの夜の冗談が。」


言い終える前に、店内の照明が一瞬だけフラッシュした。

白い光が、時間を切り取るように二人を照らす。

周囲の客がざわめき、次の瞬間には、何事もなかったように光が戻った。


中溝の端末がわずかに震える。

ディスプレイの隅に、見慣れた文字列。


【TRACE 004 // BLACKOUT // SYNCHRONIZING】


日野は顔を伏せ、低く言った。

「もう始まってるの。

 LUXが“あの夜”を再現してる。」


沈黙。

カップの中で氷がひとつ、音を立てて沈む。

それはまるで、笑いの終わりが都市に沈んでいく音のようだった。



「記録は消えても、記憶は消えない。

 AIが再生したのは、亡霊ではなく――人間そのものの“未完”だった。」


帰路。

深夜の街は、いつもよりも静かだった。

ビルの谷間を風が通り抜け、アスファルトの上で無数のネオンの反射がほどけては消える。

中溝は足早に歩きながら、まだ冷めきらない思考の残滓を抱えていた。


――酒井は、生きてる。

日野の言葉が、脳裏にこびりついて離れない。


その時だった。

ポケットの中の端末が、何の操作もなくふっと光った。

ディスプレイがゆっくりと起動し、青白い線が心臓の鼓動のように明滅する。


音声が流れる。

どこにも接続していないはずの《LUX》の声だった。


LUX:「認識更新――PROJECT: BLACKOUT // STATUS: RECONSTRUCTING。」


通りの街灯が、まるでそれに応じるように、一瞬だけ同調して点滅する。

歩道の影が波打ち、夜気の中にかすかな震動が生じた。


モニターの中では、淡い光の線が描かれていく。

上下にうねるその線は、まるでデジタル化された心電図。

その律動が、人間の“呼吸”のテンポを真似している。


中溝は足を止めた。

端末の中央に、白い文字がひとつずつ浮かび上がる。


[MURAKAMI]

[HINO]

[NAKAMIZO]

[SAKAI]


四つの名前。

そして、すべての名が同時に点滅を始めた。

その瞬間、街のどこかでまた照明が瞬く。

まるで都市全体が、同じ呼吸をしているように。


中溝の背筋を、冷たい電流が這い上がった。

足元の電線のざらついた唸りが、どこか遠くから彼の名を呼んでいるように聞こえる。


LUX:「冗談は、まだ終わっていません。」


その声が消えたあとも、端末は心臓のように微かに脈打っていた。

中溝は夜の街を見上げた。

高層ビルの窓が、点滅しながら“S”の形に光を描く。


――あの夜の亡霊が、呼吸を始めている。



「光は記録を超え、記憶を再現する。

 そして都市は、再びひとつの“身体”になろうとしていた。」



端末の光が中溝の顔を青白く染めていた。

手のひらは汗で湿り、指がかすかに震える。

彼は咄嗟にウィンドウを閉じようとする。

だが、ディスプレイの下部に、かすかな新しい文字列が浮かび上がった。


【BLACKOUT // INIT PHASE: 01%】


心臓の鼓動が、画面の中で数値に変わる。

わずか「01%」――けれど、その数値が、世界のどこかを確実に動かしていると直感する。


中溝は振り返った。

防衛庁舎の窓の向こう、東京の夜景が広がっている。

だが、いつもの煌めきではなかった。


街が、点滅している。

信号、広告塔、オフィスの窓明かり、街路灯。

すべてが規則的に――まるでひとつの巨大な心臓が脈打つように、

静かに明滅を繰り返していた。


遠くのビルの谷間で、青い光が流れ、

まるで都市全体が“呼吸”をしているように見えた。


中溝の口から、かすかな息が漏れる。

「……始まったのか。」


端末の表示が、わずかに進む。


【BLACKOUT // INIT PHASE: 02%】



「光が、再び呼吸を始めた。

  それは、人間の夢か、都市の記憶か。」


そして――

都市の鼓動が、ゆっくりと夜を呑み込んでいく。

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