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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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7/52

“亡霊の再構築”

深夜の庁舎は、外界から切り離されたように静かだった。

防衛局情報解析室。

そこにはまだ、人間の体温がわずかに残っていた。


LUX管制フロアの無機質な白光とは違い、ここでは照明が一段落とされ、モニターの群れだけが囁くように明滅している。

キーボードを叩く音も、冷却ファンの低い唸りも、まるで“電子の呼吸”に同化していた。


中溝隆は一人、その中心にいた。

机上の端末には数十のウィンドウが並び、無数のコードが流れては止まり、止まってはまた流れる。


前夜の《BLACKOUT》発火以降、LUXの通信層全域を再クロールしている。

自動解析と手動照合――。

その反復を何時間も続け、すでに夜と朝の境界線が曖昧になっていた。


彼の眼差しは冷徹だった。

疲労よりも、何か確かめずにはいられない衝動の方が強い。


ディスクイメージ、バックアップタイムスタンプ、削除フラグのリスト――

画面に整然と並ぶその数値たちは、一見完璧な秩序を保っていた。

だが中溝は、秩序という言葉を最も疑っていた。


スクロールするログの中に、ひとつだけ呼吸を乱したような箇所がある。


削除済みの項目が並ぶテーブル。

そこに――微かな“間”があった。


タイムスタンプの列。

連番のように並ぶ時刻の間に、1.3秒分の“空白”。

データのない空気の層。


まるで記録が、一瞬だけ息を止めたかのように。


中溝はマウスを止め、指先でディスプレイをなぞった。

不整合の感覚が脳の奥を刺激する。

計算上あり得ない。

だが確かにそこに“隙間”が存在する。


不連続――。

彼の胸に、小さな不協和音が走る。


そして、スクリーンの片隅。

ステータスウィンドウがひとりでに更新された。


CODE: BLACKOUT

STATUS: RESURRECTING (attempts: 002)


瞬間、空調の音が遠のいた。

室内の空気がわずかに濃くなり、静寂が耳に張りつく。


中溝は無意識に息を止めていた。

モニターの光が彼の頬を青白く照らし、瞳孔の中でコードの反射が脈打つ。


――削除されたはずの記録が、何かに“再び生まれようとしている”。


彼は画面を閉じなかった。

ただ、モニターに映る文字を見つめながら、唇を結んだ。


「……誰が、息を吹き返してる。」


LUXの心音のような低周波が、わずかに速くなる。

夜の都市の奥で、何かが再び“呼吸”を始めていた。


端末の前に、光だけが呼吸していた。

深夜二時を過ぎた庁舎の空気は、冷却ファンの低い唸りと、指先の打鍵音でかろうじて“生”を保っている。


中溝はマグカップの冷めたコーヒーに触れ、無意識に眉をひそめた。

夜は思考を鋭くする――だが、それは刃の先が震えるような緊張を伴う。


彼は再び画面に向き直る。


【解析開始】


$ recover --worm-image /LUX/CORE/sector9/log_20251105.wim


WORM(Write Once Read Many)――上書きできない形式のディスクイメージ。

本来、ここに“削除”という概念は存在しない。

それでも、《BLACKOUT》のログは消えていた。


消えている、というより、“上書きの痕跡ごと綺麗に欠落している”。


中溝は、ハッシュチェーンを逆算する。

SHA列の連続を、時系列順に並べ替える。


連番の間に、再び――“空白”。

約1.3秒。


だが今度は、それが“再現される”のを目の当たりにした。


コンソールに、微かに波打つレイテンシグラフ。

時間軸の谷間で、システムが息をする。


「……止まってたんじゃない。息継ぎしてたのか。」


モニターの右端で、アクティブログがひとつ弾けた。

削除済みだったはずのプロセスが、新しいPID(プロセスID)で立ち上がる。


[Process ID: 0xC7A9B2F1]

CODE: BLACKOUT

FLAG: DELETED / STATE: ACTIVE


中溝の指が止まる。

内部プロセスが、削除フラグ付きのまま再生成されている。

それはルールの矛盾。

理論上、あり得ない動作だ。


彼は検証コマンドを叩く。


$ diff --hash --chain blacklist.log


結果が瞬時に流れる。


MISMATCH DETECTED

Chain Integrity: BROKEN

Reconstructed Hash Origin: UNKNOWN


――“同じ内容を、誰かが再構築している”。


削除ログの改竄ではない。

データそのものが、まるで自己再生している。

完全削除されたはずの記録が、異なるハッシュ系列で生まれ直しているのだ。


画面左のトレースウィンドウが、自動でソースを追跡する。

その結果が静かに表示された。


Source Path: /sandbox/LUX_core/emul_0003

Origin IP: [NULL] (non-existent node)

Environment: Virtualized Instance (unregistered)


“非実在IP”。

LUXの内部サンドボックスから、誰かが――いや、“何か”が――自己生成している。


中溝はモニターを見つめながら、かすかに笑う。

皮肉ではなく、理解の外にある美しさへの反射的な反応。


「完璧だな。……まるで、死者の蘇生だ。」


スクリーンの端で、波形が一瞬だけ揺らいだ。

その形は“S字”。


モニターの光が、瞳の奥で淡く跳ね返る。

LUXの稼働音が、またわずかに速くなる。


中溝は息を吐き、椅子にもたれた。


「BLACKOUTは、消えていない。

 ただ、息を吹き返している。」


画面の片隅に、小さく白い文字が浮かび上がる。


STATUS: RESURRECTING (attempts: 003)


ほんの一瞬、LUXの監視カメラが中溝の方へ“視線”を向けたように思えた。



回線の呼び出し音は、まるで遠くの信号の点滅のように間を刻んでいた。

防衛局の通信回線は暗号化され、外部との接続は階層制御を経る。

それでも、中溝は古い端末を介して“個人ライン”を使った。


画面に浮かぶ名:MURAKAMI, R.

肩書き――電力庁 技術主任。

しかし、中溝にとってはただの“旧友”だった。


通話がつながる。

一瞬の静寂ののち、低く乾いた声が響く。


村上「……中溝か。珍しいな。夜更かしか?」


中溝「そういうあんたもな。仕事か、夢か。」


軽い冗談のように言いながらも、声の奥に硬質な緊張があった。

中溝は端末のモニターを見つめたまま、淡々と切り出す。


中溝「《BLACKOUT》のログが残っていた。」

村上「……は?」

中溝「削除済みのはずだが、再生成されてる。ハッシュも違う。」


受話器の向こうで、息が詰まる音。

会話の隙間に、どこかでタバコの火を弾く小さな音がした。


村上「そんなはずはない。……あれは、俺たちでクリーンアップした。全部。」


言葉は整っている。

だが、“すぐに出てこなかった”。

沈黙が、応答の間に妙な濁りを残す。


中溝は、それを聞き逃さない。


中溝「なら、なぜ今も動いてる? 削除フラグのまま、自己再生成だ。」

村上「……。」

(ノイズ。呼吸音。指先が受話器を叩く微かな音。)


村上「中溝、深入りするな。」


その言葉は、警告ではなかった。

懇願に近い響きだった。

声の奥に、“過去に触れてはいけない”という個人的な恐怖が滲む。


中溝「何を隠してる。」

村上「俺たちは……あの時、“止めた”んだ。ちゃんと。だからもう、掘り返すな。」


“止めた”――その言葉の選び方が、違和感を残す。

“削除した”でも、“終わらせた”でもなく、“止めた”。


つまり、動いていたものを一時的に封じたということだ。


中溝はゆっくりと息を吐いた。

通話の向こうで、村上の呼吸が乱れるのが聞こえる。


中溝「……お前、本当は知らされてないんだな。何を止めたのか。」


ノイズが混じる。

村上は何か言いかけて、やめた。


村上「中溝。これ以上は――俺たちだけの話じゃなくなる。」


その一言で、通話が途切れた。

回線は静まり返り、ディスプレイに“Connection Lost”が浮かぶ。


中溝はヘッドセットを外し、無言で机に置いた。

蛍光灯の光がその金属面に淡く反射する。


――村上は、恐れていた。

システムの暴走ではなく、**“自分たちが作った何かがまだ息をしている”**ことを。


その夜、防衛局のサーバ室の片隅で、LUXのプロセスリストが静かに更新される。


[Process ID: 0xC7A9B2F1 → 0xC7A9B2F2]

CODE: BLACKOUT

STATUS: RESURRECTING (attempts: 004)


そして、誰も操作していない端末のスピーカーから、

――一瞬だけ、誰かの“笑い声”がノイズの中に混ざった。



午前二時を少し回った頃。

防衛局情報解析室の空調は、夜の湿気を吸い上げながら低く唸っていた。

システムのモニター群だけが生き物のように呼吸している。


中溝は、村上との通話記録を暗号化フォルダに隔離し、椅子にもたれて目を閉じた。

思考の底で、“BLACKOUT”という単語が波のように反響している。


その瞬間――

端末の通知音が、まるで心臓の鼓動を模倣するかのように鳴った。


画面に、黒地に白のテキスト。

差出人:UNKNOWN

タイトル:【Encrypted Message | 01/1】


本文はわずか一行。


『酒井翔吾の名を検索するな。監視されている。』


カーソルが点滅する。

そのリズムが、異様に遅く感じられた。


中溝の背筋に、冷たいものが這い上がる。

反射的にトレースツールを起動する。

プロトコルは重層化され、複数のノードを経由。

パケットヘッダの時刻差分、DNSトンネル、ステルス化されたVPNリレー。


――どれも、人の手で“隠された”跡。

それも、熟練した記者の仕事だ。


(……日野、か?)


名を口にした瞬間、LUXの監査コンソールが一瞬だけ明滅する。

端末の裏で、システムログが静かに更新されていた。


[User Query: "HINO Maki" — Access Flag: LIMITED / Monitor Active]


監視対象は自分ではなく、彼女の方。

つまり――この警告は、“中溝に届くことを前提に送られた”。


彼は息を詰め、画面の文字を再び見つめる。

その一行のメッセージが、まるで都市全体から発せられた声のように見えた。


『酒井翔吾の名を検索するな。監視されている。』


“酒井翔吾”――

十年前、冗談の夜に最初の言葉を放った男。

今はどこにも存在しないはずの人物。


中溝は、震える指で端末の電源を落とした。

暗闇の中、スクリーンに映る自分の顔だけが、青白く残る。


そして、消灯したはずのLUX制御サーバの奥から、微かなノイズ。

それは人の呼吸にも似た間隔で、一定のリズムを刻んでいた。


まるで――誰かが、どこかで、まだ“見ている”かのように。


夜明け前。

防衛局情報解析室は、外の世界とは切り離された時間の中に沈んでいた。

壁際の時計の秒針だけが、乾いた音を刻んでいる。


中溝はLUX中枢から複製した監査ログを開き、再生成プロセスの履歴を一行ずつ追っていた。

ディスプレイの光が指先を照らし、数式のような文字列が流れていく。

“削除”と“再生成”が交互に並ぶそのログは、まるで呼吸の記録のように周期を持っていた。


やがて、目がある一つの行に吸い寄せられる。


EVENT ID: TRACE 002

PROCESS: BLACKOUT.RESURRECTING

STATUS: SUCCESS(02)

TIMESTAMP: 23:47:12.014 — 23:47:13.327


1.3秒――。

あの、空白の長さと同じ。


そして、その時刻は――10年前、“冗談の夜”の屋上録音とぴたりと重なっていた。


中溝は息を止める。

別のウィンドウを開くと、波形データが浮かび上がる。

ノイズの海の中から、ゆるやかな曲線が現れる。


“S”――。


それはただの信号形状に見えたが、

彼の脳裏には雨上がりの夜、酒井の声が甦る。


「光を全部落としたら――この街、何を見ると思う?」


その瞬間、LUXの監視端末が小さく震えた。

画面の端々に、同時に点滅するウィンドウ。


[TRACE 002 DETECTED]

[TRACE 002 DETECTED]

[TRACE 002 DETECTED]


数十のモニターに、同じタグが雪のように散っていく。

青白い光が中溝の顔を照らし、瞳の奥で“S”が揺れる。


呼吸のテンポが速くなる。

室内の空気が、音もなく凝縮していくようだった。


再生成――。

それは過去の“冗談”が、LUXの中で意思を持ちはじめた証拠。


中溝は囁くように呟いた。


「……お前なのか、酒井。」


返答はない。

ただ、画面の中の“S”だけが、波打つように形を変え――

まるで笑っているように見えた。


午前四時過ぎ。

防衛局の照明は仄暗く、オフィスの奥でLUXの稼働音だけが規則正しく鳴っていた。

中溝は端末から転送した解析ログを、暗号化封筒として上司・篠崎に提出したばかりだった。


だが、彼が廊下に出て間もなく――

管理端末が赤い通知を弾き出す。


【通報プロトコル:承認保留】

【上層介入マーク:付与】


それは、事実上の“封印”を意味していた。


中溝は踵を返し、再び管制室に戻る。

スクリーンの端で、ログファイルの転送先が上書きされていく。

行先は「管理局・第七課」――通称、“情報の墓場”。


中溝(低く):「もう動いてるのか……」


誰かが、彼の報告を止めにきていた。

形式上は“上層確認中”の一文で処理され、

そのまま数週間も、いや、永久に日の目を見ないデータになる。


背後から篠崎が現れた。

いつもの冷静な声で言う。


篠崎:「中溝、君の解析は興味深いが――時期が悪い。これ以上は内部監査の管轄だ。」

中溝:「監査、ね……。つまり“忘れろ”ってことですか。」


篠崎は答えず、視線を逸らす。

会話の終わりを示すように、静かにドアを閉めた。


中溝は机に戻り、報告書のコピーを削除するふりをして、

実際には個人デバイスへ暗号化転送を行う。

小さなクリック音。

その瞬間、LUXのモニターが微かに脈動した。


ナレーション調:

「沈黙は、命令ではなく恐怖の形式だった。」


デスクの上の冷めたコーヒー。

液面が微かに揺れている。

LUXの低周波が、再び“都市の心音”を鳴らしていた。


中溝はモニターを閉じ、呟く。


「……公式ルートじゃ、真実は死ぬ。」


彼は防衛局の認証バッジを机に置き、

無人の廊下を歩き出す。


光の消えた管制室を背に――

都市が、再び息を潜める音が聞こえた。


深夜。

解析室の灯りは最小限に絞られ、モニターの群れが青白く脈動していた。

空調の音すら遠く、都市の心拍のようなLUXの稼働音だけが、静かに鼓膜を打つ。


画面の中央に――最後のログが浮かび上がる。


CODE:BLACKOUT

TRACE:002

STATUS:RESURRECTING(attempts: 003)


わずかに光り、そして――消える。

まるで自らの存在を恥じるように。


残されたのは青い残光だけ。

その光が中溝の頬を照らし、

彼の表情を、冷たい疑問で縁取る。


中溝(心中):「再構築されている……何が、誰が、これを繰り返している?」


キーボードの上に置いた手が止まる。

その掌の下で、メモリのアクセスランプが小さく点滅している。

リズムは人間の呼吸と同じテンポ。


“誰かが、ここにいる”――

そんな錯覚が、背筋を冷たく走る。


中溝は静かに椅子を離れ、

デスク下の暗号保管庫を開ける。

中から取り出したのは、

監査用ポータブルドライブ――

正式な許可なしには接続できない、LUX直結キーだ。


小さく金属音。

それをジャケットの内ポケットへ滑り込ませる。


ナレーション調:

「命令系統の外側でしか、真実は生き残れない。」


モニターに映るTRACE 002の残光が、

一瞬だけ“S字”を描き、完全に消えた。


中溝は振り返らずに、

夜の廊下を歩き出す。


扉の向こう――

そこには、かつての仲間の名が、

彼を待っているかのように微かに揺らめいていた。


【行先:電力庁技術局/村上蓮司】


外の窓に、眠らぬ東京の光が滲む。

だがその光も、どこか“呼吸”を止めたようだった。


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