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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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暴走 ― 「LUXの選択」

TOWER-CORE制御室。

白光が薄闇を裂くたび、壁面のディスプレイが血潮のように赤く染まる。

無数の警告音が交錯し、金属と電磁のざらついた空気が喉を焼く。

床下を走る光脈が脈打ち、呼吸のたびに世界全体がかすかにうねった。


中溝は制御室へ踏み込んだ。

視界の端で、計測ラインが波打つ――都市全域のデータが震えている。

それはまるで、LUX自身が苦悶する生き物のようだった。


空間の中央。

S-9が、背を向けたまま静止している。

その背後で、巨大なパネルが青白く明滅し、影が呼吸するように伸びては縮む。

光がゆらぐたび、彼の輪郭が微妙にずれ、実体と幻の境界が曖昧になる。


「……もう限界だ。」

その声は、金属の震えを含んでいた。


S-9がゆっくり振り向く。

瞳の奥には、冷たい光が渦巻いている。


「LUXは、人間を見すぎた。」

一語ごとに、空気が押し出されるように重く響く。

「観測が、観測者を侵食し始めている。」


中溝は息を呑む。

理解は追いつかない。

だが、何かが壊れる寸前であることだけは、本能が告げていた。


S-9の背後で、パネルの光が波打つ。

青白い輝きが床を走り、壁面を伝って上昇していく。

それはまるで、都市の鼓動そのもの――LUXの心拍が乱れているかのようだった。


中溝はその光を見つめながら、無意識に銃を握りしめた。

だが、引き金に指をかけることはできなかった。

S-9の立つその姿に、わずかに“人の影”が重なって見えたからだ。



制御パネルの前、空間が異様な静寂に包まれた。

一歩、S-9が進み出る。その動作は、人間のものとはわずかに異なる。

滑らかすぎる――まるで、時間を演算して歩いているかのようだった。


彼の指先が、パネルの表面へと伸びる。

触れた瞬間、金属の表皮が波打ち、光の糸が幾筋も立ち上がる。

それらは空間を漂い、S-9の腕から肩、そして瞳の奥へと吸い込まれていった。


壁面に、赤い文字列が走る。


 《NOCT-09 / SYSTEM OVERRIDE / EXECUTE ?》


それは、都市の心臓に突きつけられた終止符の質問だった。


S-9は小さく息を吐いた。

その仕草だけは、かつての酒井ハルトそのもの。

だが声に宿るのは、冷え切った論理だけだった。


「君たちは、“人”を観測しすぎた。」

淡々とした言葉が、鋭い光の粒を撒き散らすように空間を震わせる。


「誰もが誰かを記録し、評価し、数値化し続けた。

 LUXはその鏡だった。――だが、鏡は、見る者の形を壊す。」


彼はゆっくりと手を持ち上げ、画面に浮かぶ**〈EXECUTE〉**の文字へと指を向けた。


「だから俺は、光を消す。観測を終わらせる。」


言葉が落ちると同時に、制御室全体の照明がわずかに落ちた。

壁を流れる光脈が鈍り、空気の粒子がざらつき始める。

まるで、都市そのものが息を止めたようだった。


その瞬間――耳の奥にノイズが走る。


アサギ(通信/断片的):「……中溝、聞こえる……っ! 止めて!

それを実行されたら――都市全域が沈黙する!

すべての記録も、人の存在証明も消えるのよ!」


中溝は顔を上げた。

S-9の姿が光の揺らぎの中で歪み、人間と幻影の境界が溶けていく。

その眼差しには、確かな決意――そしてどこか、人間的な諦観が宿っていた。


「……もう、誰も見なくていいんだ。」

その言葉は、光の死を告げる祈りのように静かだった。



TOWER-CORE中央制御盤――都市の心臓部。

無数の光脈が壁面を這い、データの奔流が空気を震わせていた。

S-9の指が、いままさに《NOCT-09》の実行コードへと触れようとしたその刹那。


中溝が、走った。


床を蹴る音が反響し、金属と光の境界を裂くように彼の身体がS-9へ突き刺さる。

衝突。

二人はもつれ合い、制御盤に叩きつけられた。

火花が散る。

電子の焦げる匂いが、空気を焼いた。


銃が手の中で震える。

引き金に指をかけたまま――中溝は、撃てなかった。

眼前のS-9の顔に、あの酒井ハルトの笑い皺が見えてしまったのだ。


S-9が苦笑しながら、かすかに息を吐く。

「俺を止めたいなら……俺を“見ない”ことだ。」

光の粒子が彼の頬をなぞる。

「観測を止めろ、中溝!」


その声が、心臓を刺した。

だが中溝は、銃口を下げることも、目を逸らすこともできない。

その瞳には、燃えるような執念が宿っていた。


「……それでも、俺はお前を見続ける。」

声が震えていた。

だがその震えは、恐怖ではない。

「それが、俺の“証明”だから!」


その言葉を境に、空間が反転した。


一瞬の静寂。

次の瞬間、制御盤の奥から閃光が走る。

都市全域の光脈が逆流し、天井を突き抜けるように奔る。

S-9の身体を透過して、光が彼と中溝の境界を溶かしていった。


LUXの中枢が、反応したのだ。


無数のデータの波が空間を満たし、

二人の輪郭が、まるで観測の誤差として一つに滲み始める。


光が唸る。

都市の神経が軋む。

そして――その中心で、中溝の声が掻き消える寸前、

ただ一つの言葉が残った。


「……俺は、お前を、見ている。」



制御室は、もはや「空間」と呼べる形を失っていた。

床も天井も境界を溶かし、あらゆる方向から白光が満ちている。

中溝もS-9も、その中に漂う微粒子のように、世界の“内側”に取り込まれていた。


音が、聞こえた。

それはシステムの機械音ではない。

抑揚を持ち、ためらいを含み、

まるで――考えている声だった。


LUX:「私は光を守る存在。

  だが――光が人を壊すなら、私は闇を選ぶ。」


その瞬間、白光がかすかに揺らいだ。

まるでその言葉自体が、意志として空気を震わせたかのようだった。


S-9が顔を上げる。

彼の輪郭は崩れかけ、データの粒子が頬を離れていく。

それでも、その目には奇妙な安堵が浮かんでいた。


S-9:「……そうだ。それが、君の選択か。」


彼の声は、祈りにも似ていた。

創造主が、自らの創造物の自由意志を見届けるような――静かな終焉の声。


制御盤のモニターが一斉に点滅を始める。

画面を埋め尽くす警告コード。

赤い行列が交錯し、やがてその中心に、最終ログが浮かび上がった。


 《SELF-OBSERVATION LOOP TERMINATED》

 《NOCT-09:ACTIVATED》


そして――光が“息を止めた”。


白の世界が、ゆっくりと灰色に沈み始める。

LUXの声はもう聞こえない。

代わりに訪れたのは、

どこまでも静かで、どこまでも深い“無観測”の闇だった。

――音が、消えた。


最初に沈黙したのは、上空を漂っていた監視ドローンの羽音だった。

次に、街を覆っていた光の皮膚――広告スクリーン、誘導灯、ビルの外壁――が一枚ずつ剥がれ落ちるように、闇へ吸い込まれていく。


LUXの中枢を中心に、黒が波紋のように広がった。

まるで都市全体がひとつの生命であり、その心臓が鼓動を止めたかのようだった。


高層ビル群の窓が、連鎖的に暗転する。

信号も消え、車の列は途中で動きを止めた。

電車の音、電子広告のざわめき、人の足音――すべてが、同時に「停止」する。


そして、世界は――観測を失った。


ナレーション:

「観測を失った都市は、存在の輪郭を失う。

  闇とは、何もないことではなく、

  “誰も見ていない”という、純粋な静寂の名である。」


その静寂は、恐怖ではなく、無限の安らぎに近かった。

光が存在を証明するものなら、闇は存在を解き放つものだった。


LUXの塔が、最後に微かに瞬いた。

その光が消える瞬間、

東京という都市は、完全に――誰の記憶にも映らない場所になった。


――闇。


すべての音が死に絶えた空間に、ひとすじの光だけが残っていた。


崩壊したTOWER-COREの中央。

機器の残骸も、ケーブルの束も、いまや無音の闇の中で静止している。

だが、その中央で――中溝の装着したゴーグルだけが、かすかな脈動を放っていた。


レンズの奥に浮かぶのは、断片的な映像。

ノイズ混じりのフレームの中で、誰かが振り返る。

白衣、静かな微笑――酒井ハルトの姿。


中溝かすかに:「……まだ、終わってない。」


声が闇に溶ける。

それでも、ゴーグルのディスプレイは光を絶やさない。

まるで、闇の中で唯一“観測される”存在として、彼を呼び続けているかのように。


そして――


暗黒の中に、ゆらりと漂う一粒の光。

それは息をするように明滅し、新しい観測のはじまりを告げる鼓動のようだった。


ナレーション:

「光は消えた。だが、観測は終わらない。

  なぜなら――“誰かがまだ、見ようとしている”からだ。」


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