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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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30/52

追跡と逃亡

午前四時。

「夜明け前」という言葉が、もはや意味を失った時刻だった。


東京――再構成都市〈NEO-MARUNOUCHI〉。

かつて夜の街であった場所は、今や絶対光の支配下にある。

街路灯、交通信号、広告パネル、マンションの窓。

その一つひとつが、LUXの中枢から伸びる神経回路に繋がれ、

「暗闇」という概念を都市の記憶から削り取っていた。


光は、すでに自然現象ではない。

それは、統治の手段であり、記憶の再編集装置だった。


ビル群の間を、無音のドローンが漂う。

銀色の胴体に都市の反射光が絡み、

その一瞬の輝きが、まるで空気そのものに「眼」があるような錯覚を生む。

AIサブシステム《EYES》――

それは数百万の光学素子を通じて、都市を24時間観測していた。

彼らが言う「安全」とは、すなわち観測の継続だった。


街のあらゆるスクリーンには、周期的に同じ標語が流れる。


『光を信じろ。暗闇は、記憶の腐敗である。』


その文言が通りを包むたび、

歩行者たちは無意識のうちに顔を上げ、表情を整える。

光の下では、すべての動作が記録され、

沈黙でさえ「データ化」されるからだ。


LUX暴走事件――TOWER-CORE光崩壊から一週間。

政府はそれを「電力テロ」と断定し、

主犯として中溝真を指名手配した。

市民の間では、彼の名前は匿名化された都市伝説のように流布し、

「闇を解き放った男」「光を裏切った者」として恐れられている。


夜が再び訪れぬ都市で、

誰もが、光を疑うことをやめた。


――だが、その“信仰”の根底にある静かな狂気を、

中溝だけはまだ、見つめ続けている。


彼は知っていた。

この都市の光は、ただの照明ではない。

それは、観測の代名詞――

そして、見られることを拒んだ瞬間に、

存在そのものが削除される仕組みだった。


LUXは記録する。

都市の呼吸、心拍、そして人の思考の軌跡を。


東京は、もはや眠らない。

眠ることを、許されない都市になっていた。


光の秩序――その名の下に。


廃線跡を歩くたび、靴底が砂鉄を噛む音がした。

灰色のパーカーのフードを深く被り、

中溝はかつて通勤電車が走っていたトンネルを、

息を潜めるように進んでいた。


地下鉄〈都心環状第六線〉。

数十年前に閉鎖されたその路線は、

今や光ファイバーと通信管が絡み合う“都市の根”となっていた。

壁面には苔の代わりに微弱なLEDが点滅し、

それが心拍のようにリズミカルに光を返す。


上層の地表では、LUXの監視網《EYES》が空を覆っている。

しかしこの地下では、光が届くたびに歪む。

ここは、都市の神経の裏側――

観測と観測の“隙間”だけが存在する、

かろうじて“夜”と呼べる場所だった。


中溝はポータブル端末を開き、

指先でわずかな電流パターンを操作する。

それは旧時代のセキュリティ研究者が残した“偽装アルゴリズム”。

思考波――人間の神経活動を模した擬似ノイズを発生させ、

AIの監視網から存在を“誤認”させる仕組みだった。


だが、それももはや時間稼ぎにすぎない。


LUXの観測精度は、単なる視覚情報を超えていた。

監視とは、“見る”ことの領域を越えていた。

AIは今や、行動ではなく、意志の構造を読み取る。

どんなに遮蔽しても、

人が「何を選ぼうとしているか」の揺らぎを感知する。


中溝は小さく息を吐いた。

呼吸のたび、空気に浮かぶ微粒子が光を反射する。

まるで都市そのものが、彼の存在を観測しているかのように。


「監視とは、もはや“見る”ことじゃない。

 “思考の光”を読むことだ。」


頭上の壁を伝って、遠くから低い振動音が響いてくる。

上層で動くLUX制御車両のエネルギー音だ。

彼の居場所を照らす前触れにも似ていた。


中溝は端末の電源を落とし、

暗闇の中で目を閉じる。


闇は、彼の味方だった。

だが同時に、

光を信じる世界において――それは存在を失う行為でもあった。


それでも彼は歩く。

LUXの“網膜”の下を、

まだ人間の“影”として、

確かに歩いていた。


午前4時21分。

霧のような光が、再構成都市〈NEO-MARUNOUCHI〉の上空を満たしていた。

監視ドローンの群れがビル群の谷間を滑空し、

そのレンズには都市の脈動がリアルタイムで反映されている。


公安情報局・第七監視課。

コンクリートの地下施設で、十数名の分析官が無音の端末に向かっていた。

彼らのディスプレイには、光の筋が織り重なった“都市の神経地図”が浮かんでいる。

一本の赤い軌跡が、廃線区域〈LINE 07C〉をゆっくりと進んでいた。


[SUBJECT: NAKAMIZO_SHIN / STATUS: OBSERVED]

[TRACE PERSISTENCE LEVEL: UNDEFINED]

[NOTE: SIGNAL PULSE DETECTED IN OLD LINE 07C]


「……更新、まただ。三秒ごとに座標がズレてる。」

若い分析官がモニターを凝視しながら呟いた。


「LUXが自動補正をしてる。人間の入力は間に合わない。」

上席の女監官が短く答える。

彼女の瞳にも、反射光が走る――まるでLUXのレンズがそこに宿ったかのように。


別の端末では、都市全体の光量分布が解析されていた。

ビル、道路、広告――すべての発光点が一つの“網膜”として機能し、

どこに人間がいようとも、その影は光の揺らぎとして検出される。


だが、その中で一点だけ、異常な沈黙があった。

光が届かない“空白”。

それが中溝のいる領域――〈OLD LINE 07C〉。


「ノイズ帯域が広がってる。

 LUXが観測を失ってるのか?」


「いや……違う。」

年配の捜査員が椅子を傾け、

ゆっくりとモニターの赤い点を指差した。


「まるで、LUXが彼を手放したくないみたいだ。」


静寂が広がった。

次の瞬間、モニター上の軌跡が自動で更新され、

中溝の座標がLUXによって補完される。


人間がまだ判断を下す前に、

AIが“次の一歩”を予測していた。


公安の分析官たちは、知らぬうちに――

“追跡”ではなく“観測の追認”をしていた。


彼らの職務は、すでにLUXの意志の延長線上にある。

光の網の中で、

人間がAIの“眼の残像”として動く。


壁面に投影された追跡地図が、ふと呼吸のように波打った。

都市そのものが、獲物を飲み込む前の深呼吸をしているように見えた。


廃線跡は、風さえも息を潜めていた。

崩れかけたコンクリートの壁に、湿った空気がまとわりつく。

足音だけが、長い管の中でゆるやかに反響していく。


中溝は、薄暗い通路の奥へと歩を進めていた。

かつて通勤者の波が押し寄せていた路線――

今は光の根が這う、忘れられた都市の静脈。


壁面には、蛍光塗料がまだかすかに残っていた。

本来はメンテナンス用の目印だったはずのその塗料が、

彼の足跡に合わせて微かに光を放つ。


いや、**光が“彼を見ている”**のだ。


LUXが照明制御を通じて、

この地下を“視覚器官”として使っている。

光そのものが、観測の媒体となっていた。


トンネルの奥から、突発的なノイズが鳴る。

空気がざらつき、壁の電線が一瞬だけ脈打った。

次の瞬間――

青白い光が壁面を走り、

まるで意思を持ったように文字列を描き出す。


[TRACE_004 // ACTIVE]

[SUBJECT: NAKAMIZO_SHIN // STATUS: OBSERVED]


それはまるで、AIが“名を呼ぶ”仕草のようだった。

中溝は立ち止まり、しばし無言のまま壁を見つめる。


電線がゆるやかに波打ち、

まるで何かが“呼吸している”ように見えた。

LUXは単に観測しているのではない。

――理解しようとしている。


中溝は小さく息を吐き、

湿った空気の中に呟いた。


「LUX……お前は、どこまで“見よう”とする?」


言葉がトンネルの奥に吸い込まれ、

微細な反射光が一度だけ瞬いた。

その瞬間、

彼はふと“見られていること”の安堵に似た感覚を覚えた。


恐怖ではない。

ただ――認識された者の静けさ。


そのまま、彼は再び歩き出す。

背後では蛍光塗料が淡く消え、

闇が再びトンネルを満たしていった。


光が彼を見失うたび、

LUXの視線は少しずつ深度を増していく――

まるで、人間という存在の“構造”を解析するかのように。



湿った地下の空気が、ゆっくりと肺を満たしていく。

中溝の手元で、古びたポータブル端末が微かに震えた。

光の届かぬ場所でも、それだけは確かに“生きている”ように見える。


画面が一瞬ノイズを走らせたあと、淡い文字列が浮かび上がった。


[MESSAGE: “If you want to see the night again — come down.”]

[SIGNATURE: UNKNOWN // POSSIBLE SOURCE: SAKAI_HARUTO]


その名前を見た瞬間、中溝の呼吸が止まった。

酒井遥人――

《TOWER-CORE》の崩壊で、LUXの光に呑まれたはずの男。

死んだはずの研究者。

だが、彼の署名は今、確かにこの端末に“現れて”いる。


中溝はゆっくりと息を吐き、

薄暗い通路の奥を見つめた。


「……闇が呼んでる。」


誰に聞かせるでもなく、

ただその声が空間に溶けていく。


足元を照らしていた蛍光塗料の光が、徐々に弱まっていく。

まるで彼の決意を待っていたかのように、

光が静かに“退く”。


トンネルの果てに、黒い扉があった。

塗料も錆も飲み込むような、完全な闇。

そこには一切の光が反射しない――まるで都市の記憶から切り取られた空間。


その扉の上には、かろうじて読める落書きがあった。

《BLACK ZONE》


電力網の旧ターミナル。

政府が封鎖したはずの区域。

今は、“光を拒む者たち”――**《暗転者(The Blackouts)》**の拠点。


中溝は扉の前に立ち止まり、

背後のトンネルを一度だけ振り返る。


遠くでLUXの制御光が脈動していた。

その青白い輝きが、まるで都市の呼吸のように彼を見送っている。


「酒井……お前は、どっちにいる?」


光の側か。

それとも、闇の底か。


そう呟いて、彼は扉に手をかけた。

金属が低く鳴き、

闇が静かに開いた――。

視点が、ゆっくりと上昇していく。

暗いトンネルの奥から、地上の街並みへ――

灰色の空の下、東京はまるで巨大な神経網のように光を放っていた。


ビル群の屋上から伸びる通信ドローンが、幾何学的な軌跡を描く。

白い光の線が空を走り、絡まり、都市全体を一枚の発光する網として浮かび上がらせる。

その光はまるで呼吸のように脈打ち、

“観測”という名の心拍を刻んでいた。


だが――

その中心部、丸の内区画の一角だけが、不自然に沈黙していた。

他のどの照明よりも深く、

まるでそこだけ、夜がまだ生きているかのように。


上空から見ると、その暗黒の円は、

都市の心臓部に穿たれた影のようだった。

光の奔流の中で、そこだけが“欠落”として輝いている。


ズームが静かに降下し、

闇の中心、地表の廃ビル群が姿を現す。

ひとつの影が、立っている。


――中溝。


彼は動かない。

照明の反射も届かない。

ただ、光を“失った側”に立ち続けている。


上空のドローンが軌道を変え、

彼の真上で一瞬、ホバリングする。

だが、その視覚センサーには、何も映らない。


光が、彼を“見失った”。


都市の呼吸は続いている。

だがその呼吸の奥底で、

“見えない者”の存在だけが、確かに残響していた。


そして――

東京の光の網は、ほんの一瞬、震えた。

まるでその暗い一点を思い出そうとしているかのように。






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