〈記憶の断片〉 ― 過去のフラッシュバック
モニターの光が、不安定な呼吸のように明滅していた。
冷白の輝きが中溝の頬を撫で、次の瞬間には切り取るように闇が覆う。
規則を失った点滅は、まるで“誰か”が内側から光を叩いているようだった。
瞬きのたび、世界が途切れる。
そして、その隙間に何かが覗く。
白い閃光――目の奥に焼きつく残像。
それが記憶の“シャッター”を、無理やり押し開いた。
「光が瞬くたびに、記憶は裏返る。
彼にとって過去は、暗闇ではなく、光の断片だった。」
息をする音すら、機械のノイズに混ざっていく。
中溝はただ、その白い波に目を細めた。
現実の輪郭が薄れていく。
光が彼を現在から切り離し、別の“時間”へ導こうとしていた。
雨の夜だった。
渋谷の屋上。街の息づかいが、下界のネオンの海から滲み上がってくる。
アスファルトは濡れ、遠くの信号機の赤がゆらゆらと反射していた。
コンビニの袋を片手に、少年たちは笑い合っている。
笑い声は湿った空気に吸い込まれ、夜の高層ビルの谷間に溶けていく。
その中で、ひときわ高く缶ビールを掲げたのが酒井だった。
雨粒が缶の表面に散り、光を砕く。
彼の瞳はその破片を映し込みながら、街を見下ろして呟いた。
「見ろよ、東京。
まるで光の牢屋だ。」
彼の声は、風よりも軽く、しかし奇妙に深かった。
遠くのスクリーン広告が、色を変えながら街の鼓動を刻む。
若い中溝は隣で苦笑を浮かべ、少しだけ肩をすくめた。
「馬鹿言え。停電したら死ぬぞ。」
酒井は笑った。
少年らしい無邪気さと、どこか現実を拒むような響きをもって。
「死なねぇよ。
ほんの少しの間だけ、世界が呼吸するんだ。」
その瞬間、誰かが笑い、缶がぶつかり、泡が弾けた。
雨と一緒に、音がゆっくりとフェードアウトしていく。
泡のはじける音がノイズに変わり、やがて――電子的な歪みとなって、現在の“LUX”の稼働音へと重なった。
光と闇の境界が、過去と現在の境界を曖昧にしていく。
モニターのノイズが、雨音に似ていた。
電子の粒子がざらつくたびに、どこか遠くの屋上で水滴が弾けているような錯覚が生まれる。
白い光のちらつきが、中溝の瞳を断続的に照らす。
その瞳の奥に、ふいに“高校生の自分”が映り込んだ。
濡れた屋上、笑う仲間、缶を掲げる酒井。
あの夜――彼らは同じ場所に立ちながら、すでに“別の方向”を見ていた。
自分は光の側に。
彼は闇の側に。
その境界線が生まれた瞬間を、中溝は知っている。
(内心)
「――なぜ、あの言葉を笑い飛ばせなかったんだ。」
画面が一瞬、明滅した。
システムが自動的に解析を始める。
だが、その一瞬だけ、端末の隅に“未登録の信号パターン”が表示された。
【Signal Pattern:S-Shaped】
中溝の指が止まる。
呼吸が、ノイズの中で薄くなる。
“S”――酒井の頭文字。
LUXのシステム光が彼の顔を照らす。
その冷たい白は、もはや安定ではなく、
過去から届いた“揺らぎ”そのものに見えた。
酒井は缶を口に運び、わずかに笑った。
その笑いは、夜風にかき消されるほど静かだった。
雨上がりの空はまだ濡れている。
雲の切れ間からのぞく街の光が、薄い膜のように夜空に広がっていた。
ビル群の窓が星のように瞬き、遠くの街路灯が滲む。
酒井はふと、その光景を見上げたまま呟く。
「もしこの街が、一度だけ真っ暗になったら……
そのとき、何が見えると思う?」
中溝は答えなかった。
言葉の代わりに、風が吹いた。
ビルの影が揺れ、ネオンの光が歪む。
缶の中で泡が小さく弾ける音だけが残る。
その音はまるで、沈黙の中で呼吸を探すようだった。
酒井は目を細め、どこか遠くを見るように笑う。
中溝はその横顔を見つめながら、
なぜか胸の奥が冷たくなっていくのを感じていた。
――この瞬間を、ずっと覚えている。
光が美しすぎたせいで、闇の意味を考えなかった。
モニターの光がようやく安定した。
ちらつきは止まり、白い輝きが均一に部屋を満たしていく。
だが、中溝の鼓膜にはまだ“風”の音が残っていた。
ビルの隙間を吹き抜ける夜の風。
十数年前の屋上で、雨に混じって聞いたあの音。
今、この無機質な空間には、そんなものは存在しない。
それでも確かに、耳の奥で風が呼吸をしていた。
彼は静かに端末を見つめる。
ホログラフィック・ディスプレイの表面に、自分の影が薄く映る。
その影が、まるで誰かと重なっているように見えた。
唇が、わずかに動く。
「――酒井。
おまえの“呼吸”が、まだここにいる。」
冷えた空気の中、LUXの稼働音が再び一定のリズムを刻む。
それは生命維持装置のように、静かで確かな鼓動だった。
中溝はその音を聴きながら、背筋を伸ばす。
光は戻った。
だが、心のどこかではまだ“暗闇”が息をしていた。




