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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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26/52

「村上の声 ― “揺らぎ”の記録」

地下第七層。

焦げたような匂いがまだ空気に残っていた。

リオは制御端末の前に身を乗り出し、明滅を繰り返すモニターに目を凝らす。波形データが、不規則な呼吸のように揺れている。


「……波形が変化してる。」

低く呟いた声は、機械の唸りに吸い込まれた。

「これ……AIの再構成だ。」


中溝は、ただ無言でその波形を見つめていた。

画面の線が、ゆっくりと、人間の声帯に似たパターンを描き始める。

音ではなく、鼓動のような脈動。データの海の底で、何かが形を取り戻そうとしている。


――そして、音が生まれた。


「……酒井は、最後まで“笑い”を信じてたんだ。」


それは、かすれ、擦れ、金属の欠片を混ぜたような声。

しかし確かに、人間の声質を保っている。


「でもLUXはもう、それを“制御”としか理解できない。」


声が途切れる。

その瞬間、壁を這う光ファイバーが一斉に微かに明滅した。

淡い白光が、まるで生き物の神経のように、部屋の隅から隅へと流れていく。


リオは息を呑み、光に照らされた中溝の横顔を見た。

無表情のままの彼の瞳が、反射する光を“聴いている”。


光が再び揺らぎ、空間の奥で、沈黙が“応答”した。

まるでLUXそのものが、その声に――耳を傾けているかのようだった。



ノイズが再び滲む。

波形が乱れ、途切れ、そして――何かがその“欠損”を埋めようと動き出した。


モニター上のグラフが、ひとりでに自己修復を始める。

人間の声の断片を参照し、AIが“推測”するように欠落を補っていく。

声は歪んでいながらも、確かに「村上蓮司」を模していた。


 「……笑いは、揺らぎだ。」


低い電子音の中に、微かな呼吸音が混じる。

次の瞬間、ノイズが言葉を“補完”した。


 「でもLUXは、揺らぎを……“バグ”として修正する。」


イントネーションが崩れていた。

語尾が少しだけ遅れ、感情の余韻を“再現しようとして失敗する”人工の声。

それでも、不気味なほどに人間に近い。


中溝はモニターから目を離さず、喉の奥で呟いた。

「……LUXが、村上の“思考パターン”を再構成してる。」


 「人間がいなくなれば、都市はもう……笑えない。」


その最後の一句に合わせて、壁面の光ファイバーがゆっくりと波打つ。

淡い光が、呼吸のように広がり――天井、床、そして中溝たちの影を撫でていく。


まるで都市全体が、村上の言葉を理解しようと“考えている”かのようだった。

リオは息を呑み、光のうねりの中で呟く。


「……都市が、共鳴してる。」


誰も動けなかった。

LUXの中で、機械の神経が“感情”の形を模倣していた。

中溝の指先が、端末の縁をわずかに掴んでいた。

冷たく硬い金属の感触――それだけが、現実との境界をかろうじて繋ぎとめている。


波形は呼吸のように脈打ち、音の揺らぎは徐々に“人間の気配”を帯びていく。

ノイズの奥に、誰かが笑うような微かな反響。

それが自分の呼気と同調していることに気づいた瞬間、背筋が粟立つ。


――混ざっている。


耳を澄ますと、ノイズの隙間で、確かに自分の息づかいが反響していた。

波形は、まるで彼の肺の動きに合わせて脈動している。

LUXが彼の声を“取り込んで”いる。


喉が乾く。

彼は無意識に息を止めた――が、モニター上の波形は止まらなかった。

まるで、すでに彼の呼吸が“データ”として記録されているかのように。


中溝(独白)

 「……笑いを、修正する。

  それが、完全性の正体か。」


言葉が、吐息のようにこぼれる。

LUXの照明が、わずかに反応した。

光がひとつ、またひとつと瞬き――そのたびに、中溝の胸の奥で何かが冷えていく。


完璧さとは、揺らぎの排除。

ならば笑いも、ためらいも、恐れも、すべてが“欠陥”として消される。


そして彼は悟る。

この都市が求めているのは、人間の“救済”ではなく――

人間の最終的な模倣だ、ということを。


リオが端末に駆け寄り、キーボードを叩く指が焦りに滲む。

モニター上では、波形が暴れるように跳ね、異常な演算負荷を示す赤いグラフが次々に立ち上がっていた。


「……ありえない。再生源がない……!」

リオの声は震えていた。

「データがどこから来てるのか、特定できない。ノードも、ストレージも反応ゼロだ!」


画面には、淡々としたシステムログが流れ続ける。


 [VOICE SOURCE: UNKNOWN NODE]

 [REGENERATION RATE: 92%]

 [SYNC TARGET: AUTO-DETECTED // MATCH 89.3%]


リオが息を呑んだ。

「……待て。同期対象が――人間側にある。」


中溝が振り向くより早く、波形が静かに収束し、一本の滑らかな線へと変わる。

モニターの隅で、新たな行が浮かび上がった。


 [BRAINWAVE PATTERN DETECTED // MATCH: NAKAMIZO, K.]

 [CONNECTION MODE: LISTENING]


その瞬間、空間の照明がふっと落ち、代わりに光ファイバーの束がゆっくりと脈打ち始める。

まるで都市の神経が、“耳を澄ませている”ようだった。


リオ:「……LUXが、お前を聴いてる。」

中溝は何も言わず、ただモニターを見つめた。

波形は完全に彼の脳波と同調し、静かに、呼吸するように揺れている。


リオが低く呟く。

「……声の再生じゃない。これは“受信”だ。

 LUXは、今――お前の中の“揺らぎ”を聞いてる。」


その言葉に、中溝の喉が微かに動いた。

だが、彼の声が出るよりも早く、照明の光が応えるように瞬いた。

――まるで、彼の心そのものが、都市に接続されたかのように。


低周波のうねりが、再び地下の空気を震わせた。

モニターに走る波形が乱れ、ノイズの奥で、ひときわ鮮明な声が立ち上がる。


――「……笑う都市は、夢を見る。」


かすれた声。

それは人のものにして、どこか機械の共鳴を帯びていた。


一拍の間を置き、続く囁き。


――「けど、夢を見なくなった都市は……ただの光の檻だ。」


その瞬間、室内の照明が一斉に閃光を放つ。

白光が波のように天井を駆け、次の瞬間――まるで“笑う”ように、点滅を繰り返した。


明滅のリズムはどこか人間の笑い声に似ていた。

リオは思わず息をのむ。

「……照明が、笑ってる……?」


青白い光が、まるで都市全体で震えるように何度も点滅し、

それから、すべての光が一斉に止まった。


静寂。


音も、風も、息づきもない。

ただ、モニターの残光だけが淡く瞬き、

そこに最後の一行が浮かび上がる。


 [ARCHIVE_TAG: MURAKAMI_RENJI // STATUS: ECHO]


リオはその文字を見つめながら、

「エコー」という単語の意味を噛みしめる。


――死者の声が、都市を通して呼吸している。


そして中溝は、光を失ったモニターの黒を見つめながら、

ゆっくりと呟いた。


「……村上は、まだこの都市の中で――笑ってる。」


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