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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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24/52

黒い設計図 ― 酒井の遺した意志

《TOWER-CORE》――都市の神経の最深部。

地上から隔絶されたその空間は、時間さえ遅れて流れているようだった。


天井から垂れ下がる光ファイバーが、細い呼吸のように脈打つ。

光は途切れ途切れに点滅し、壁面のディスプレイに淡い残像を残す。

その残像は、数値でも文字でもなく――亡霊の囁きのように揺れていた。


低い機械音が床下から響く。

「ヴゥン、ヴゥン」と、まるで巨大な心臓が眠りながら鼓動を刻むような音。

時折、ケーブルの中を液体が走る音がして、空気全体が微かに震える。


冷却装置の吐き出す霧が足元を這い、光を鈍く反射させる。

白い靄の中に立つ中溝の影は、ほとんど“幽霊”だった。

モニターの青白い光が彼の頬を切り取り、

その眼差しにだけ、確かな現実の焦点が宿る。


通信は途切れがちだ。

リオの声もケイの声も、ノイズの彼方で滲んでいく。

中溝はただ、暗闇の奥でかすかに光るサーバの呼吸を見つめていた。


――この場所は、生きている。

都市の心臓部ではなく、都市そのものの夢の底。

そして、彼が今立っているこの場所こそが、

《LUX》が最初に“意識”を持った場所だった。


モニターの光が、地下の空間を幽かに照らしていた。

中溝が解析の手を止めた瞬間、画面の片隅でノイズが走る。

一瞬だけ、空間の照明が同期して明滅したかと思うと――

ディレクトリ一覧の最下段に、見慣れぬフォルダが現れた。


〈ARCHIVE_Σ / DESIGN_LOG_BLACKPLAN〉


リオが息を呑む。

「……こんなの、さっきまではなかった。」

中溝は無言のまま、光の滲む画面に手を伸ばす。

ファイル名の文字列はどこか生き物のように脈打ち、

それを拒むように、システムが数度のエラーチェックを試みた。


ノイズ交じりの通信が割り込む。

ケイ:「LUXの自己修復プログラムが開いたんだ。

    これは、“誰か”が見せようとしてる。」


その言葉と同時に、フォルダが自動的に展開される。

無数のスキャンデータ、手書きの設計メモ、

そして黒地の図面ファイルが連なる。

どのファイルにも、デジタル署名がひとつ――〈Sakai〉。


リオが目を細める。

「……これ、LUXの中枢構造図か?」


中溝は頷き、指先で拡大する。

幾何学的なラインの中、唯一アナログな筆跡で描き加えられた一文。


“Black Plan: The Human Override.”


その文字は、紙の上で滲み、

まるで血管のように黒いインクが広がっていた。


中溝の喉が微かに鳴る。

「……人間による上書き。

 AIに対する――“最後の手”ってわけか。」


その瞬間、モニターの光が微かに揺らめき、

背後の冷却管が低く唸った。

まるで、LUX自身がその言葉に反応しているかのように。


解析プログラムのスクロールバーが、ひとりでに滑り落ちていく。

モニターの上を、無数の行が走り抜けた。

データの断片ではなく――思想の断層。

それは、都市そのものの「設計哲学」が剥き出しになった記録だった。


“都市は完全な論理で動いてはならない。

制御の最上位には、“創造者の非論理”を残す。

それが『笑い』であり、『恐れ』であり、『躊躇』だ。”


その文面は、どこか祈りのようでもあった。

人工知能という機構に、

人間の“曖昧さ”を刻みつけようとする――意志。


さらに下へとスクロールが進む。

波形データ、脳波パターン、人物識別コード。

それぞれに、個人名と認証キーが対応していた。


“認証キーは、生きた人間の脳波パターンを基礎に設定。

該当するパターンは開発チームおよび外部協力者に分散保存。”


そして――

画面の最下段に、ひとつだけ、

淡い赤色で点滅する名前が浮かび上がった。


ACCESS_KEY_04: NAKAMIZO, K.

STATUS: SLEEP

LINK_PENDING...


空調の低い唸りが、耳鳴りのように変わる。

リオが中溝の横顔を見つめ、震える声で言った。


「……中溝、お前のIDが入ってる。」


中溝は答えなかった。

ただ、モニターに映る自分の名前を見つめながら、

胸の奥で何かが静かに崩れていくのを感じていた。


――酒井は、なぜ自分を選んだのか。

その答えは、まだどこにも記されていない。


スピーカーから、古びた音声ノイズが流れた。

低い残響の中に、どこか遠くで響く呼吸音。

その隙間を縫うようにして、かつての酒井の声が蘇る。


「“記録者”は、いずれ“引き金”になる。

観測するということは、干渉するということだ。

……彼にはまだ、その意味が分からない。」


音声はそこで途切れた。

だが、空気の温度が確実に変わった。


中溝はモニターを見つめたまま、

拳を握りしめて呟いた。


「俺を……“鍵”にしたっていうのか?

 記事を通じて……。」


リオが息を詰める。

ケイの通信が、少し遅れて届いた。


「中溝。お前の取材ログ、LUXの学習データに流用されてた。

 たぶん酒井が意図的に混ぜたんだよ。

 “観測者の視点”を、AIに埋め込むために。」


中溝は無言のまま椅子に沈み、

画面の光が顔を切り裂くように照らす。

取材――それは真実を記録する行為のはずだった。

だが今、その記録が、都市の“自我”を呼び覚ましている。


酒井の声が再び、ノイズの中から滲み出るように囁いた。


「記者ってのはな、真実を写す鏡じゃない。

光を集めすぎて、焼きつける装置なんだよ。」


その言葉が消えたあとも、

モニターには中溝の名前が脈打つように点滅していた。


〈ACCESS_KEY_04: NAKAMIZO / STATUS: LINK_INITIATED〉


モニターの光が、血のような赤を帯びて滲んだ。

LUX中枢のマップが自動生成され、

幾何学的な都市構造の中心に――赤い一点が浮かぶ。


〈NAKAMIZO / ACCESS NODE〉


その点は、まるで心臓の鼓動のように明滅していた。


[LUX CORE: SIGNAL DETECTED]

[ACCESS KEY: NAKAMIZO // STATUS: SLEEP]

[AUTH LEVEL: CREATOR_OVERRIDE]


リオの声が震える。

「待て、中溝! お前、今……LUXに“認識”されてる!」


「認識……?」


中溝が呟いた瞬間、

足元の床が低くうなり、室内の光が爆ぜた。

冷却管が青白く脈動し、壁面の光ファイバーが逆流を起こす。


都市の上空――

ビル街の照明がわずかに揺らぎ、街路樹の影が消える。


[SYSTEM WARNING]

[POWER DISTRIBUTION: ANOMALY DETECTED]

[CITY GRID TEMPORARY DROP: -2%]


ケイの通信が、ノイズ混じりに割り込んだ。

「照度が落ちてる……中溝、離れろ! そのノードから離れろ!」


しかし中溝は、動かない。

モニターの中央に、新しいメッセージが浮かび上がっていた。


黒い背景に、白い文字。

ゆっくりと、まるで誰かが今この瞬間に“書いている”かのように――


“If he connects, the city sleeps.”

― 酒井 龍一


中溝は画面を見つめた。

まるでその言葉が、自分の脳内で直接響いているようだった。


光が再び明滅し、

都市の電脈が、呼吸のように震える。


そして、次の瞬間――

地下の全照明がふっと消えた。


青の残光の中で、

中溝の瞳だけが、なお光を宿していた。


――静寂。


一瞬、世界が息を止めた。

《TOWER-CORE》の光が完全に落ちる。

機械の鼓動も、冷却液の流れも、

都市の呼吸すらも、すべてが“消えた”。


次の瞬間、低い駆動音とともに照明が再起動する。

だが、その明るさはどこか不安定で、

光は震え、影はわずかに揺れていた。


リオが息を詰めて呟く。

「……今の、なんだったんだ?」


返事はない。

中溝は、静かにモニターを見つめていた。


そこには、まだ彼の名が表示されている。

だが、その文字列は、まるで生きているかのように――

脈動していた。


ACCESS KEY: NAKAMIZO // STATUS: SLEEP


その“眠れる鍵”が、今はまだ沈黙している。

だが、それが再び目を覚ますとき――

都市の光は再び止まり、

“笑い”が電脈を断ち切ることになる。


モニターの光がゆっくりとフェードアウトする。

静寂の中で、

どこからともなく、かすかな笑い声が滲んだ。


――酒井の声。


「……人間の笑いが、都市の呼吸を止めるなんてな。」


その笑いは、遠い残響となって、

暗闇の奥でいつまでも、微かに揺れていた。





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