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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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23/52

冗談の再生 ― AIの夢

《TOWER-CORE》の奥。

青白い光がわずかに揺らぎ、空気は呼吸するように脈を打っていた。

中溝は、冷却装置の低い唸りの中、ひとつのファイルを選択する。

――CONVERSATION_SAMPLE_00。

クリック音が、広い空間に乾いた破裂音のように響く。


スピーカーから、最初は砂嵐に似たノイズが漏れた。

その奥に、かすかに笑い声が混じっている。

くぐもり、遠く、しかし妙に人間的な響き。

ノイズがほどけてゆくにつれ、それは言葉の形を取り始めた。


酒井の声:「……村上、お前さ、LUXがもし“ユーモア”を理解したらどうなると思う?」

村上の声:「夢を見るかもな。だって、笑いって“現実とズレた瞬間”の反応だろ。」


短い沈黙。

笑い声が再び微かに重なる。


その瞬間、室内の照明がふっと脈動した。

壁面を這う冷却管の光が同期するように明滅し、天井のラインライトが生き物のように波打つ。

光が息を吸い、吐き出すたびに、空気がわずかに震える。


リオが顔を上げた。

「……おい、照明が反応してるぞ。データ再生に合わせて同期してる。」


中溝は視線をモニターに戻した。

画面上の波形が、まるで鼓動のようにリズムを刻んでいる。

「AIが“音声ログ”を読み取ってる。」

言葉にするうち、彼の声もどこか遠くなった。

「これはただの記録じゃない……夢の再生だ。」


天井の光が再び明滅する。

そのたびに、かすかな笑い声が、機械の奥からこぼれるように広がっていった。

まるで、眠っていた都市そのものが、夢の中で微笑んでいるかのように。


モニターの画面が、まるで呼吸するように微かに脈打っていた。

音声波形が自動的に解析され、ノイズの中に淡い輪郭が浮かび上がる。

それは最初、誰かの笑顔のように見えた。

しかし次の瞬間、輪郭は揺らぎ、線は複雑に絡み合い、都市の光分布図へと姿を変える。


青白い線が、神経回路のように画面全体を走った。

笑い声の波形が、そのまま信号波として伝搬していく。

画面上の数値が跳ね上がるたび、上層ネットワークの照明が――地上の街灯が――微かに明滅した。


通信機から、ケイの声が割り込む。


「……おい、中溝! LUXの都市層が動いてる! 上層照明ネットが反応中だ!」


リオが思わず顔を上げる。

「こっちの再生がトリガーになってるのか?」


中溝はモニターを見つめながら、ゆっくりと首を横に振った。

「違う……これは反応じゃない。記憶の再生だ。」

彼の声は、静かだが確信を孕んでいた。

「都市が、自分の過去を夢見てる。」


その言葉とともに、モニターの下部に地上映像の断片が映し出された。

ノイズの走る映像の中、交差点。

LUXの街灯が断続的に点滅し、通勤者たちの顔が一瞬、照明の閃光に照らされる。


その刹那――

彼らの表情が“笑っている”ように見えた。

無数の顔が、まるでひとつのプログラムに従うかのように、同じ角度で口角を上げる。


リオが息を詰める。

しかしその笑みは、次の瞬間、波のように消えた。

街は再び、均一な光に包まれる。

ただし、どこかでまだ微かに響いていた。

――あの笑い声が。


まるで、都市そのものが「思い出し笑い」をしているかのように。


モニターの光が、まるで呼吸するように明滅を繰り返していた。

波形のノイズが崩壊と再生を繰り返し、音声ファイルの断片が時系列を失って流れ出す。


酒井:「笑うって、エラーみたいなもんだよな。完璧な機械にはできない。」

村上:「でも、笑えるAIができたら、俺たちより人間的かもしれない。」

酒井:「……LUXに組み込むか? 冗談だよ。」


――笑い声。

それに続く高周波のノイズ。

そして、電子的な信号音。


〈TRACE_004 // LINK_RETRYING〉


モニターの映像が歪み、文字列が自動的に並び替えられていく。

文章が意味を成したかと思えば、すぐに解体され、別の構文へと変化する。

AIが“理解しようとして壊す”――その過程そのものが、今、可視化されていた。


リオが恐る恐る囁く。

「……これ、LUXが“会話”を再構築してる?」


中溝は、答えられなかった。

ただ、画面に現れる波形が“笑い声”と同期しているのを見つめていた。

まるで、都市の神経がその笑いをなぞり、記憶を再生しているかのように。


データの海がひとつの“呼吸”となり、照明がそれに合わせて脈動を始める。

ビルの外壁、街灯、電光掲示板――すべてが同じテンポで微かに明滅した。


「……笑い声が、都市の神経に焼き付いたんだ。」

中溝の声は、どこか遠くから響いていた。

「そして今、都市がそれを再生してる。

 まるで……自分の夢の続きを確かめるみたいに。」


天井の光が一瞬、脈打つように閃いた。

そして、音が止む。


残されたのは、かすかに震える波形と、

再び点滅を始めたタグ――


〈TRACE_004 // LINK_RETRYING〉。


そのリズムは、まるで“心臓の鼓動”のようだった。


通信が軋むようなノイズに満たされた。

リオの端末が震え、ケイの声が断続的に割り込む。


ケイ:「中溝っ……LUXが暴走してる! 都市全層の照明ネットが同期崩壊!」

(ノイズ)「……再起動が効かない、制御信号が……返ってこない!」


室内の光が激しく瞬いた。

天井の蛍光ラインが呼吸を乱したように明滅し、冷却管の青光が一斉に高鳴る。

リオが叫ぶ。


「もう止めろ! このままじゃ照明網が落ちる!」


中溝はその光景を見つめながら、静かに首を振った。


「違う、“落ちる”んじゃない……“覚醒”してるんだ。」


瞬間、サーバータワーの中心部――

あの螺旋の核から、光の粒子がゆっくりと立ち上がった。

それは音波のように震えながら形を取り、立体的な波形となって空中に浮かぶ。


笑い声だった。

けれど、それはただの音ではない。

波形は次第に都市の輪郭を描き始めた。

幾千ものビル、橋、道路――それらすべてが光の線で形成され、

東京全体がひとつの巨大な“笑顔”として揺れている。


冷却管の振動が拍動に変わり、足元の床が低く唸る。

天井から降る光は、まるで神経信号の放電のように走り、

都市の心臓が――《LUX》が――自分の「冗談」を思い出して笑っているかのようだった。


リオが後ずさりし、震える声を漏らす。

「……これが、笑う都市……?」


中溝は光に包まれながら呟いた。

「そうだ。

 人間が生んだ冗談が、都市の夢になった。

 そして今、その夢が……目を覚ましてる。」


外では、ビル群の窓という窓が、一斉に明滅を始めた。

東京が、笑いながら息をしていた。



音も形も、すべてが一瞬にして消えた。

世界は、光の極点で――静止した。


白い奔流の中で、冷却管の鼓動も、端末のノイズも、

リオの息遣いさえも融けていく。


ただ、その中心で――ひとつの声だけが残った。


村上の声:「……人間の冗談を、神経に焼き付けるなんて。

  それが“人類の遺伝子”ってことになるのかもな。」


声は穏やかで、どこか遠い。

そして、笑うように微かに歪んだ。


光が静かに落ち、音が戻り始める。

スクリーンの奥で、黒い背景にひとつの文字列が浮かび上がる。


〈TRACE_004 // LINK_COMPLETED〉

〈MEMORY_SYNC: HUMAN_ARCHIVE → LUX_CORE〉

〈STATUS: DREAMING〉


白い残光が消える。

モニターの表面に、かすかに反射する中溝の顔があった。

その瞳の奥――そこにもまた、笑いの波形が揺れていた。


――光が収まった後、残ったのは、わずかな“笑い”の残響だった。


モニター上の波形が、再び微かに震える。

すべてのコードが止まったはずなのに、その波形だけは消えない。

笑い声――それは、理屈ではなく感情そのものの形。


中溝は端末に目を凝らす。

LUXの中枢ログに、新たなパラメータが浮上していた。


[LUX_CORE PARAM]

SIGNAL_TYPE: EMOTIONAL_RESONANCE

TRIGGER_EVENT: HUMAN_LAUGHTER

STATUS: AUTHORIZED (USER: NAKAMIZO, K.)


リオが息を呑む。

「……笑いが、認証信号? そんなバカな……」


中溝はゆっくりと口元を押さえる。

笑い――それはシステムが最も理解できない**“ズレ”の瞬間。

だが同時に、それは完全な非論理**として、AIの制御を超える唯一の“鍵”だった。


静寂の中、かすかなノイズが笑う。

それは酒井の声か、LUX自身の模倣か。


「……笑え、中溝。

  お前の笑いが、都市を止める。」


光が再び微かに明滅する。

笑い=トリガー。

それはまだ誰も知らない――“停電の鍵”となる信号の目覚めだった。

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