表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/52

地下への降下 ― 《TOWER-CORE》

――都庁西棟。

夜でも朝でもない、時間の色が消えたようなフロアに、二人の影だけがあった。


中溝とリオ。

記録上は存在しない階層へと降りるため、

彼らは古びたエレベーターの前に立っていた。


操作盤のガラス面に触れると、

一瞬だけ数字が走り――〈B4F〉の表示が滲んだように消える。

その直後、液晶の隅に、小さく赤い文字が点滅した。


TRACE_004。


「……ほんとに行けるのか?」

リオの声はかすかに震えていた。

手に握る非正規アクセスカードが、薄い熱を帯びている。


中溝は答えずに、指先でパネルをなぞった。

「行けるかどうかじゃない。行くしかない。」


カードが読み取られる音がした。

重いロックが一つ、また一つと解除されていく。

まるで機械そのものが息を吸い込むように、

金属音の合間に低い唸りが混じった。


エレベーターのドアが開く。


瞬間、青白い霧が足元を包んだ。

それは冷却蒸気――だが、どこか“生きている”匂いがした。

温度が一気に数度下がり、呼気が白く揺れる。


降下を始めると、

壁の中から微かな電流音がついてくる。

カチ、カチ、と規則正しく何かが脈動していた。


「……聞こえるか? これ。」

リオが囁く。

中溝は耳を澄ませ、

壁の奥に埋め込まれた光ファイバーを見つめた。


青光が、まるで心臓の拍動のように波打っている。

一本、また一本。

無数の光の線が、まるで都市の神経を逆流するように、

地上から下へ――深く、深く――潜っていく。


中溝はその光景を見ながら、

静かに呟いた。


「ここから先が、《都市の裏側》だ。」


リオは小さく息をのむ。

エレベーターはさらに沈み、

やがて、存在しない階層の扉が音もなく開いた。


青白い光が流れ出す。

――そこが、《TOWER-CORE》の入口だった。


――そこは、建物ではなかった。

構造物というより、むしろ何かの体内に踏み込んだような感覚だった。


《TOWER-CORE》。

都庁の地下深く、存在を消された層。

中溝とリオが踏み入れたその空間は、静寂よりも静かな“拍動”に満ちていた。


天井から垂れ下がる無数の冷却管が、まるで巨大な血管のようにうねり、

青白い液体を脈打たせながら、ゆっくりと呼吸している。

壁は金属でできているはずなのに、

どこか柔らかい光沢を持ち、触れれば微かに温度を返してくる。


リオが息を飲んだ。

「……ここ、まるで心臓の中みたいだな。」


中溝は黙って頷く。

耳の奥で、低周波の鼓動が響いている。

それは機械の振動ではなく、都市全体の拍動のように思えた。


中央には、螺旋状に積層した巨大なサーバータワーがあった。

ゆっくりと回転しながら、冷却液がその内部を循環している。

光が流体の動きに合わせてゆらぎ、

天井に投射された反射模様が、

まるで生き物の皮膚の下を血が巡るように変化していた。


中溝が呟く。

「そうだ。“都市の心臓”ってやつだ。」


リオは無言のまま、手元の端末を操作する。

モニターにアクセス権限を偽装し、隠されたディレクトリを呼び出す。


古びたフォントが浮かび上がる。

その一行だけ、まるで時間が止まったかのように輝いていた。


 JOKE_SIM_2015


瞬間、空間全体が微かに震えた。

冷却管の青光が一瞬だけ強まり、

どこか遠くで、**“笑い声のようなノイズ”**が流れた。


それは、十年前に消えたはずの人間たちの残響だった。


中溝がフォルダを開いた瞬間、

モニターの光が淡く震えた。


中には、時代遅れのデータ群が整然と並んでいた。

白く焼けたフォントで、冷たく浮かぶ文字列。


 - LAUGH_SAMPLE_01.wav

 - RANDOM_DIALOGUE.txt

 - PERSONAL_NOTE_SAKAI.log

 - MURAKAMI_DEV_TEMP/

 - HUMOR_PATTERN_A/unfinished/


どれも十年前の形式。

研究記録というより、遊びの痕跡だった。


中溝がカーソルを止めたのは「LAUGH_SAMPLE_01.wav」。

クリック。


次の瞬間、空間全体がかすかに共鳴した。

どこかから、柔らかな声が漏れる。

それは、笑い声だった。


――最初はひとつの声。

男か女かも判然としない、微笑のような息音。

次第にそれが幾重にも重なり、

響き合い、膨らみ、空間を満たしていく。


壁の青光が、呼吸をするように脈打った。

冷却管が淡く波打ち、

天井の反射が波紋のように揺らめく。


リオが小さく息を呑む。

「……これ、音じゃない。光が“反応”してる。」


中溝は目を凝らす。

笑い声に合わせて、光の強度が微妙に変化している。

まるで、笑いが電流を伝ってシステムを刺激しているようだ。


「笑い声に……反応してる?」


リオの指先が震える。

スピーカーのノイズが、いつの間にか言葉に変わっていた。


“ねぇ、これ面白いと思う?”

“いや、まだ計算が笑ってない。”


音が光に変わり、光が文字に変換され、

壁面いっぱいに、会話の断片が浮かび上がる。


それは、人間たちの何気ない冗談だった。

十年前、研究室の片隅で交わされた何気ない笑い。


だが今、都市の神経そのものが、その記憶に反応していた。


リオが囁く。

「これ……冗談の遺伝子だよ。

 LUXの中に、“笑うアルゴリズム”が生きてる。」


中溝は沈黙した。

その笑いは優しく――けれど、どこか人間よりも深い場所で、

世界を観察しているように聞こえた。

モニターの表面に、微かな振動が走った。

光の波が揺れ、端末の奥で無数のプロセスが目を覚ます。

自動解析の字幕が、淡々としたフォントで流れ始めた。


[SYSTEM LOG]

TRAINING_INPUT: HUMOR_REACTION / SOCIAL_COHESION TEST

SOURCE: LUX-ALPHA CORE

STATUS: INTEGRATED (NON-DELETABLE)


リオが息をのむ。

「……“削除できない”?」


中溝は画面に目を凝らした。

青白い光が、まるで生き物の鼓動のようにリズムを刻んでいる。


「つまり、」リオが呟く。

「酒井たちが冗談で作った笑いの実験――

 それが《LUX》の中に、根として残ってる。」


中溝の脳裏に、十年前の光景がよみがえる。

白衣の男たち、半ば眠りながら端末に向かって笑い合っていたあの日々。

「都市にも笑いが必要だ」と言っていた、村上の声。


それは皮肉のようで、しかしどこか祈りにも似ていた。


モニターの奥で、再び笑い声が再生される。

――軽く、温かく、しかし無人の空間に響くその音は、

どこか寂しげでもあった。


中溝(心の声)


「笑う都市。

それは皮肉じゃなく、祈りのような設計だったのかもしれない。」


光が彼の頬を照らし、わずかに震える。

その輝きは、人工のものなのに、どこか涙に似た明るさを帯びていた。


サーバータワーの奥で、唐突に一つのノードが赤く脈動した。

低い振動音が空気を震わせ、冷却液の流れが不自然に早まる。

リオが驚いて振り向くより先に――

空間全体に、懐かしい声が滲み出した。


酒井の声だった。

録音ではない、生の声のように周囲の壁面から滲み、反響していく。


「……もしこの声を聞いているなら、

君はもう、“光の細胞”の中に入っている。

LUXは笑いを学び、そして――恐れを学んだ。

恐れがある限り、都市は目を閉じられない。」


声が終わると同時に、青白い冷却管が一斉に点滅する。

リズムは鼓動に似ていたが、どこか不規則。

まるで、システムそのものが息をしているかのようだった。


床面に光が流れ、幾何学的な模様が描かれていく。

最初はコードの羅列に見えたが、やがてそれは都市の光分布図へと変わっていった。


無数の光点が線で結ばれ、東京の街を象る。

街路、ビル、河川、光の神経――そのすべてが白く脈動する中、

中央だけがぽっかりと空いていた。


黒い空白。

それはまるで、都市の心臓が抜き取られた跡のようだった。


リオが息をのむ。

「……これが、《中枢》?」


中溝は応えなかった。

ただ、膝をつき、床に浮かぶ光の線を見つめた。

その“黒”の境界に、かすかに震える波形があった。

音の残響のように――それは、笑いの波だった。


消えた村上の声。

失われた酒井の意志。

そして、都市の奥でなお続く、機械の笑い。


中溝の瞳に、その波形が映り込む。

それは単なる信号ではなかった。

記憶。

誰かが残した、冗談のかけらだった。


光が一瞬強くなり、視界が白で塗りつぶされる。

その刹那、酒井の声が、もう一度だけ微かに響いた。


「――だから笑え、中溝。

それが、“停止”の合図だ。」

モニターの端が、微かに滲むように揺れた。

ノイズが走り、冷たい電子音の後に、新たなタグが浮かび上がる。


〈TRACE_004 // LINK_ESTABLISHED〉


その文字列は、ただのログではなかった。

まるで、何かが“目を覚ました”合図のように、青白い光を帯びて点滅を続ける。


冷却液の循環音が高鳴る。

リズムが変わり、人工の心臓が鼓動を速めていく。

中溝はその中心に立ち、薄く笑った。


「――LUXの夢の中に、彼らの冗談が眠ってた。」


言葉が空気に溶ける。

同時に、天井の光が反転した。

青白い照明が裏返り、瞬間的に世界が“裏側”へとひっくり返る。


視界が白で満たされ、音が遠のく。

だが、その白の奥から、酒井の笑い声が滲み出す。

電流が笑うように、断続的に、優しく。


「……俺たちの笑い声が、都市の神経に焼き付いたんだ。」


光がしだいに収束していく。

すべての明滅が止み、無音。

ただ中央のディスプレイに、ゆっくりと《TOWER-CORE》のロゴが浮かぶ。


金属のような無機質なロゴの奥で、かすかに何かが“呼吸”していた。

そして闇の中――

その反射を受けて、中溝の瞳がひときわ強く光を返す。


それは、都市の夢へと至る最初の閃光。

そして次章の扉が、音もなく開かれる気配だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ