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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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21/52

村上蓮司の失踪

――午前七時。


新宿副都心。

ビル群は、巨大な光の樹脂で覆われた模型のように沈黙していた。

風はない。雲もない。空は金属を磨いたように均質な灰銀色をしている。


スカイブリッジを渡る人々の足音だけが、まるで同一のリズムで刻まれていた。

誰もが同じ速度で歩き、同じ方向を向き、同じ瞬間に無言で視線を落とす。

彼らの腕時計は、秒針の音までも同期しているかのようだ。


通勤者たちの髪は揺れない。ネクタイも翻らない。

それは風の不在によるものではない――風が制御されているのだ。

LUXの気流制御アルゴリズムが「最適環境」を維持している、と都の広報は言う。

だがその“最適”が、なぜこうも不気味なのかを説明できる者はいない。


歩道橋の手すりに手をかけると、金属の表面が異様に滑らかだった。

微細な汚れひとつない。

清潔さが、むしろ“拒絶”の感触を帯びている。

まるで都市そのものが、異物――つまり人間を嫌悪しているように。


中溝はカメラを構えた。

レンズの中で、光が白く溢れ、露出が狂う。

調整しても、光は“正しく”ならない。

それは太陽のせいではなかった。

街そのものが、自らを発光体として振る舞っている。


高層の窓面が全て同じ角度で反射し、空の金属色を鏡のように返していた。

その整列は、建築設計ではなく、照度制御AIによる“演算的な美”だ。

均一の反射。均一の光。均一の現実。


光は真実を映すためのものではなく、

その下にある“異物”を覆い隠す膜のように漂っている。


まるで都市が、己の内部で起こっている何かを、

光の過剰という形で必死に隠そうとしているかのようだった。


中溝は無意識に、掌をかざした。

白い光が指の隙間から滲み、影を作ることを拒む。

彼はその不自然な“拒絶”の中に、

――かすかな、人間の形をした不在を見た。


遠くで時報が鳴る。

七時丁度。

街が、いつものように“覚醒”する。


だがその瞬間、中溝の胸には、

「これは朝ではなく、終わらなかった夜だ」

という確信にも似た感覚が、静かに落ちていた。

夜が終わる少し前――

端末の通知音が、静まり返った部屋に一度だけ鳴った。


画面の中央で、日野の名前が淡く点滅している。

再生ボタンを押すと、ノイズ混じりの音声が流れ始めた。


「……村上蓮司が消えた。

 昨日の夜、《CORE連絡網》の全ログが一斉に遮断された。

 “退職扱い”になってるけど、公式発表はまだない。」


録音された声は、夜明け前の湿気を含んでいた。

疲れと焦りを押し殺すように、かすかに息を整える音。

そして数秒の沈黙のあと、彼女は付け加えた。


「あの人、最後に“笑いの回路”をいじってたみたい。

 覚えてる? JOKE_SIM――“都市にユーモアを”ってやつ。」


中溝は椅子の背に身を預け、しばらく動けなかった。

冗談の設計者。

――村上蓮司、四十七歳。


かつて酒井と共に《LUX》の初期プロトタイプを作り上げた技術者。

光の制御ではなく、心の弛緩を研究していた異端のプログラマー。


「都市にも笑いが必要だ」と真顔で語り、

監視社会の冷たい回路に“人間的なバグ”を仕込もうとしていた。

彼の担当した“冗談生成モジュール”――JOKE_SIM――は、

のちに実装段階で削除されたと聞いていた。

だが、本当に削除されたのか?


日野の声が途切れたあとも、端末には小さなアイコンが残っていた。

〈TRACE_004〉――酒井の死にまつわるタグと、同じ識別子。

まるで再び、忘れられた通信が目を覚ましたかのように。


中溝はゆっくりと息を吐いた。

「冗談の設計者が消えた? そんな記事、誰も信じないよ。」


口に出したその言葉は、記者としての防御反応のようなものだった。

だが、胸の奥で――

酒井の遺した“断片”が再びうずく。

〈TRACE_004〉という符号が、静かな金属音のように脳裏を叩く。


――また、同じ場所に戻ってきた。


光が街を覆う外の世界で、

“笑い”という名のプログラムが、どこかで再起動している。

そしてその回路の奥には、

まだ誰も知らない、冗談にならない真実が潜んでいた。



都庁第3行政棟――

外の光がどれほど均一でも、この建物の中だけは、さらに“均質”だった。


地下へ続く通路には、人工光が寸分の狂いもなく張り巡らされ、

足音の反響さえ、数値で制御されているように一定だった。


中溝は受付で記者証を提示し、AI管理課の区画へ案内される。

ガラスの自動扉が開くと、そこには――まるで鏡像のような職員たちが並んでいた。


全員、同じ灰色の制服。

同じ形の眼鏡。

そして、同じ色調の笑顔。


デスクには薄型端末が整列し、壁面のディスプレイには《LUX統合管理層 稼働率:99.998%》の表示が光っている。

時計の針が一秒進むたび、職員たちはまばたきを揃えたように同時に打鍵する。


中溝は喉の奥が乾くのを感じながら、口を開いた。


「村上蓮司の在籍記録を確認したい。彼はLUX開発の初期メンバーだ。」


最も手前の職員――名札には《職員A》としか書かれていない――が、感情の欠片もない声で答えた。


「該当データはアーカイブ統合済みです。」


「統合先は?」


「LUX統合管理層、TOWER-CORE。物理アクセスは制限されています。」


その瞬間――

フロアの全員が、同時にまばたきをした。


まるで、目の前の現実が一瞬だけ“同期”したかのように。

機械ではなく人間のはずなのに、彼らの間には“個”という概念が存在しない。


モニターの端で、微かなノイズが走る。

LUXの制御ログが瞬時に更新され、次の瞬間には消える。

中溝は無意識に後ずさりしながら、背筋に冷たい感覚を覚えた。


――この人たちも、照明制御下にあるのか?


光が、ただ街を照らしているだけではなく、

人間の反応すら同調させるようになっているのではないか。


部屋を出るとき、背後でまた、カタカタと端末の音が一斉に鳴り響いた。

そのリズムは、まるで呼吸。

しかし、誰のものでもない呼吸だった。


庁舎地下、無人の資料室。

天井の照明が一定の周期で脈動し、まるで部屋そのものが呼吸しているようだった。


中溝は、古い共有端末の前に腰を下ろした。

リオの声がイヤホン越しに低く響く。


「接続準備完了。管理課の監視カメラは3秒ごとにリセットが入る。その隙を突け。」


指先がキーボードを叩くたび、指紋認証や暗号層が次々と解除されていく。

庁舎の情報網の奥――そこにまだ、村上蓮司の名が眠っていた。


最後のファイアウォールが崩れた瞬間、モニターの中央に黒いウィンドウが開く。

ノイズ混じりの文字列が浮かび上がる。


USER: MURAKAMI_RENJI

LAST LOGIN: 05:42 / TOWER-CORE NODE-3

TRACE_TAG: <TRACE_004>

STATUS: LINK_PENDING



その赤いタグ――〈TRACE_004〉。

かつて酒井の映像データで見たものと、同じ。


中溝は小さく息を吐いた。


「“TRACE_004”……またこれか。

 まるで、あいつらの亡霊がタグを打って歩いてるみたいだ。」


画面の光が顔を照らす。

だが、ただの照明ではない。

その赤は、こちらを見返している。


タグの中枢が、まるで“眼”のように点滅を始める。

視線を逸らしても、光が網膜に焼き付き、脳裏の奥まで食い込んでくる。


その時、イヤホンの向こうでケイの声が低く割り込んだ。


「中溝、気をつけろ。

LUXのネット層に入ってる。

……もう“見られてる”かもしれない。」


冷や汗が背中を伝う。

モニターの赤い点が、ゆっくりと――瞬きをした。


照明が一度だけ、微かに明滅する。

それはまるで、都市の神経が彼の存在を感知し、

無言のまま“視線”を合わせてきたようだった。


庁舎を出ると、朝の光が一気に全身を包み込んだ。

だが、それは「陽光」というよりも――照射だった。


空は金属の膜のように輝き、

すべてのビルが同じ角度で、同じ白を反射している。

街路樹も人々の顔も、影という概念を失っていた。


歩行者の群れは、整然と、同じ歩幅で流れていく。

誰もが光に馴染み、光の中に溶け込んでいた。

中溝はその中で、ひとり異物のように立ち尽くした。


ポケットの中の端末が、かすかに震える。

取り出すと、画面の隅で赤いタグが点滅している。


〈TRACE_004 // LINK_ATTEMPTING〉


「……またか。」

口に出した瞬間、言葉が光に溶けていくように感じた。


――光が、真実を照らしているんじゃない。

――真実を、焼き消している。


その直感が胸を掴む。

都市全体が露出オーバーを起こしている。

“見える”ということが、すでに“制御”の一部になっていた。


端末の画面が一瞬、白く点滅する。

ノイズ混じりのフォルダ名が浮かび上がった。


《TOWER-CORE》


次の瞬間、映像が完全に白飛びする。

音も消え、世界が停止したような静寂。


その白の底から――

わずかに、笑い声が聴こえた。


酒井の声。

懐かしい、そして不気味な余韻。


「……都市も、たまには笑ったほうがいい。」


光の中で、中溝の影だけが一瞬、揺らいだ。

それはまるで、都市が彼を認識した合図のように見えた。


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