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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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16/52

取材の核心:照明パターン=情動制御仮説(解析の芽)

蝋燭の炎が、ゆるやかに揺れていた。

午前四時四十分。BLACK ZONEの共同区画。

外界の夜明けがどれほど近いのか、ここでは誰にもわからない。時間は、闇の中で溶けていた。


日野は、無言のまま薄いSSDを中溝に渡した。

受け取った瞬間、金属の冷たさが掌に刺さる。

古びた端末のモニターが一枚、また一枚と明滅し、やがて三列の光の帯を描き出した。


左の列は、都市照明システムの指令ログ。

中央は、実測照度のグラフ。

右端には、SNSから抽出された感情キーワードの波。


それらはまるで、ひとつの楽譜のように並び、

都市という巨大な生物の“呼吸”を可視化していた。


キーボードの打鍵音が、蝋燭の微かな爆ぜる音と混じり合う。

遠く、地下鉄の振動が地面を這うように響いた。

この地下空間には、上層のノイズが一切届かない。

音も光も、必要最低限しか存在していなかった。


日野は背筋を伸ばし、画面を見据えたまま静かに言った。


「数字は嘘をつかない。――問題は、どう読むかよ。」


その声は、炎の揺れよりも静かだった。

中溝は無言で頷く。

彼の指がタッチパッドを滑り、三つの波を重ね合わせる。

光の波形が、呼吸するように揺らめいた。

――都市の心拍。

それを聴き取るように、部屋の空気がわずかに震えた。


モニターの光が、地下の空気を切り裂くように広がった。

日野の指が、ひとつのフォルダを開く。そこには三つの証拠ファイルが並んでいた。


最初に映し出されたのは、匿名のログ。

グリッド状のデータが黒い画面に滲み、時刻と座標が淡い光で点滅している。


「ここ。新宿第三商業区。」

日野は指先で一点を示す。

「22時03分12秒――照明コマンド送信。0.8秒後、実測照度が上昇。

 その七分後、“買った”“楽しい”“最高”の投稿が急増してる。」


グラフ上で、三本の波が重なる。

照明指令の鋭いスパイク。

照度変化のなだらかな膨らみ。

そしてSNS投稿頻度の高波――。

まるで光が人の感情を撫でた瞬間、群衆の心が同じ拍で跳ねたようだった。


中溝は息を呑む。

ジオタグ付きの投稿が、赤い点で東京地図に散る。

それらはまるで、人工の星座だった。


続いて、ケイの録音データ。

スピーカーから流れるざらついた音が、地下の空気を震わせる。

雑踏、歓声、遠くで鳴る電子音。

だが照明が切り替わる瞬間――音が変わる。

群衆のざわめきが一瞬にして収束し、同じリズムで「叫び」が立ち上がる。


日野:「スペクトルを見て。」

モニターに現れたのは、音の周波数帯を色で描いたスペクトログラム。

照明調整の直後、ピークの帯が不自然なまでに整列していた。

「これが、同期。“感情の収束”よ。」


最後に、リオの映像。

暗い部屋の中、小型端末を前にした若者の姿。

彼の指がスイッチを入れると、画面の波形がS字を描いて脈動する。


被験者の顔――無表情だった輪郭が、わずかに震える。

瞳孔が開き、頬が微かに紅潮する。

同時にモニター上では、心拍グラフが跳ね、情動スコアが上昇する。

0.12秒の遅延で、心が反応している。


中溝:「……光で、鼓動を調律している。」

日野:「そう。“LUX”は街全体を――楽器みたいに鳴らしてるの。」


画面に、波形が三重に重なる。

都市の照明、群衆の声、ひとりの鼓動。

その一致は、偶然とは思えなかった。


蝋燭の炎が揺れるたび、三つの光の波もまた揺らめく。

まるで、地下にいる彼ら自身の神経までもが、

その“都市のリズム”に共鳴しているかのようだった。


中溝は無言でモニターに手を伸ばした。指先がタッチパッドの輪郭をなぞるたびに、画面の波形が滑るように動く。SSDから取り出したログの時刻は微妙にずれている。だが彼は昔の癖で、時間のずれを読むことに慣れていた。


まずは初期整合だ。端末は自動でNTP差分を取り、ログのタイムスタンプを世界時に合わせる。ジオタグと投稿時刻を突き合わせ、通信や処理による遅延分を差し引いていく。数値が揃うと、照明コマンドのスパイクと現場の照度上昇、そしてSNSのキーワード増加が、同じリズムを刻み始めた。中溝の指の速度が増す。スクロールするたびに小さな数値が再計算され、画面の片隅に素っ気なく表示された一致率がじわりと上がっていく。


次に、彼は三つのタイムラインを重ね合わせた。左に照明指令、中央に実測照度、右にSNSキーワードの頻度。波形を透過表示にすると、不規則だった線が驚くほど似通ったS字の曲線を描いた。各層で立ち上がる山の位置が重なり、タイムラグが規則正しく並ぶ。中溝は息を止め、画面の波をじっと見る。光の波が、人の反応という音を引き出している。彼の頭の中で、いつのまにか比喩が成り立っていた――光は情動の調律弦だ。弾けば、情動という音が鳴る。


因果の検討に移る。相関だけなら偶然の可能性が残る。そこで彼はケイの録音とリオの実験映像を並べた。ケイのスペクトログラムでは、照明が切り替わった直後に群衆の雑音帯域が収束し、歓声のピークが整列していた。リオの映像では、S字に似たパルスを局所ノードに投じた瞬間、被験者の心拍と表情スコアが0.12〜0.3秒の遅延で確実に動いている。時間的順序、現象の再現性、そして被験者レベルの生体反応――三者が同じ論点に向かっていた。


画面右上に、小さなボックスが現れる。白い文字で一行。「一致率:86.7%」。その数字は冷たい判決文のように光った。部屋の空気が一瞬、吸い込まれるように静まる。蝋燭の炎が控えめに震え、誰もがその数を見つめた。


中溝は唇を震わせて、低く言った。

「一致率、86.7%……偶然じゃない。」


彼の声には理性と驚愕が混じっていた。解析上の小さな勝利は、紙の上の数字以上のものだった。光という媒体が、人々の感情と行動を規定し得るという可能性が、彼の胸の中で現実味を帯びて立ち上がってきたのだ。だが同時に、その理解は彼に重い問いを投げかける。もしこれが真実なら、誰がその弦を弾き、どのように使うのか——答えのない問いが、画面の波形の下で静かに膨らんでいった。


部屋の空気が、分析の静寂からじわりと生身の緊張へと変わっていった。

モニターの光は蝋燭の炎を押しのけ、白い冷気のように顔を照らしている。

誰も最初の一言を発しようとせず、波形が静止したまま時間がのびていく。


最初に声を出したのは、ケイだった。

指先でイヤフォンコードを弄びながら、視線をモニターから外さない。


「……でも、これを出したらどうなる?」

声は掠れているが、芯がある。

「社会は、どう動く? LUXが止まる? それとも、光のない街が生まれるだけ?」


その問いは、分析の結果よりも鋭く部屋を切り裂いた。

リオがすぐに言葉を返す。

短く息を吐いて、机に置かれた小型エミュレータを指で叩く。


「でも、これが“感情を操作する光”の証拠なんだ。

 被験者の生体反応まで出てる。

 もう“偶然”って言い訳は通らないよ。」


ケイは顔をしかめる。

「真実を晒しても、人が変わるとは限らない。」


沈黙。

その間に、蝋燭の炎が一度だけ大きく揺れた。


日野がようやく立ち上がる。

冷めかけたコーヒーを手に取り、ほとんど口をつけずに置き直す。

「公開はタイミングと手段次第よ。」

声は低く、まるで未来を測っているようだった。

「今出せば、あの企業は情報を封じて終わり。

 “闇を暴いた者”じゃなく、“暴動を煽った者”として叩かれるだけ。」


中溝は、黙っていた。

画面に映る三列の波形――光、反応、言葉。

その整然とした曲線が、急に恐ろしく見えた。

光を理解するということは、人の心の輪郭を“調整可能”なものとして扱うこと。

技術の勝利は、人間の自由の喪失に直結している。


彼は理性で解析を続けようとする。

コードを追い、数値を検算し、あくまで科学として整理しようとする。

だが、胸の奥では小さな震えが止まらなかった。


――この発見は、人を救うのか。それとも、奪うのか。


日野が静かに言った。

「真実ってのは、光よりも眩しい時があるのよ。」


その言葉のあと、誰も何も言わなかった。

モニターの冷たい光だけが、闇の中で脈打ち続けていた。


部屋は、静かな機械の胎内のようだった。

モニターの光がゆっくりと明滅し、三列のタイムラインが縦横に流れていく。

赤は照明の命令、青は実測の照度、緑はSNS上の感情の波。

最初は別々の川のように見えていたが、やがて三つの流れが重なり始め、

一本の“呼吸”のような曲線を描き出す。


中溝の指先が、キーボードを叩くたびに音が跳ねた。

カチ、カチ、と乾いたリズム――

その間を縫うように、リオの小型エミュレータが低周波を吐き出す。

床の下からかすかな震えが伝わる。

それは、見えない“心臓”の鼓動のようでもあった。


蝋燭の炎が、ふっと揺れた。

ケイの録音データを流すと、遠い群衆のうねりがスピーカーの奥から滲み出る。

歓声でも、悲鳴でもない。

人々が“同じ感情”に調律されていく瞬間の、奇妙な呼吸音――。


画面の上では、数値がじわりと上昇していく。

〈一致率:74.2%〉

〈一致率:80.9%〉

〈一致率:86.7%〉


その数字は、まるで人間の心の内部を覗く顕微鏡の倍率のようだった。

リオが呟く。

「光は――情動の調律弦だ。

 弾けば、人は笑い、黙れば、沈む。」


ケイが視線を逸らす。

蝋燭の影がその頬を切り裂くように横切る。

中溝の胸の奥で、理性と罪悪感がゆっくりとせめぎ合う。

解析の精度が上がるほど、

「人間」が数式の一部として整列していく。


数字が確定する瞬間――

モニターが一瞬、眩しいほどの白に染まり、

その後で静かに、無機質な文字が浮かぶ。


〈一致率:86.7%〉


蝋燭の炎がぱちりと弾ける。

その音が、まるで祝福の鐘のように響いた。

だが、中溝にはそれが葬送の音に聞こえた。


冷たいモニターの光が、全員の顔を照らす。

誰も口を開かない。

分析の勝利の代わりに、静かな恐怖と震える呼吸だけが、

その部屋を満たしていた。

モニターの光が静まった。

蝋燭の炎だけが、まだ微かにゆらめいている。

冷えた空気の中で、ファンの回転音がゆっくりと減速していく。


中溝は、画面の中央に残された数値を見つめた。

〈一致率:86.7%〉――偶然の領域を、明確に越えている。


照明の指令。

街の照度。

そして、群衆の情動。


三つの異なる流れが、ひとつの“心拍”のように呼応していた。

光は、単なる装飾ではない。

それは――都市の感情を「調律」するための装置。


その理解が、静かに彼の内側を貫いた。

論理の積み重ねが、信仰に似た確信へと変わる瞬間。

だが同時に、それは取り返しのつかない扉を開く感覚でもあった。


日野が呟く。

「……これを信じるかどうかは、あなた次第よ。」


中溝は頷かない。ただ、目を閉じて息を吐いた。

理性の底で、何かが形を変える音がした。


――次に必要なのは、核心。

LUXの中枢。

この照明制御網の「心臓部」。

そこにアクセスしなければ、真実は掴めない。


彼はノートPCを閉じ、静かに立ち上がる。

その瞬間、モニターの隅がふっと点滅した。

赤いタグがひとつ、瞬きのように現れる。


〈TRACE_004 // LINK TO SAKAI〉


まるで、誰かがこちらを覗き込んでいるかのように。


中溝の指が止まる。

蝋燭の火がかすかに揺れ、

部屋の空気が一瞬、息を詰めたように静まり返る。



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