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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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12/52

再接触 ― “暗闇の権利”

――深夜二時四十八分。

東京・杉並区の外れ。

線路脇の古いアパートが、まるで時代に取り残されたように立っている。


錆びた階段を上がるたび、足音が金属の冷気を伝う。

三階の一室。そこが日野真紀の“作業場”だった。


外の街は、LUX制御の街灯が規則正しく点滅している。

間隔は一定、呼吸のように整って――まるで都市そのものが、眠りながら自分のリズムを確認しているようだった。


中溝はその光を背に、アナログなドアの前に立った。

通信端末も、身元チップも切ってある。

公式な訪問ではない。

それでも、彼の胸には職務の残り香が漂っていた。


ノックを三度。

古い木の扉が、低く軋む音を返す。

返事はない。

代わりに、郵便口の隙間から、声が洩れた。


「合言葉。」


中溝は短く息を吸い、記憶の底から言葉を拾う。

「……夜が、目を閉じるとき。」


わずかな沈黙ののち、錠が外れる音。

扉の隙間から、青白い光が漏れた。

蛍光灯ではない。

複数のモニターが同時に発する、電子の“夜明け”のような光だった。


部屋の中に足を踏み入れると、

壁一面にメモの断片――付箋と紙片が貼り付けられている。

「光度変動」「感情偏差」「被照射率」……

文字が、まるで神経回路のように部屋を這っていた。


中央の机には、録音機、ノート端末、カメラ。

無数のコードが床を這い、コンセントに絡まっている。

部屋の空気は静かで、

その静けさがかえって、街の光の“音”を際立たせていた。


窓の外、LUXの街灯がまた一度だけ点滅する。

その反射が、日野真紀の頬をかすめる。


彼女は椅子から顔を上げた。

長い作業で乾いた目に、疲労の光を宿して。

だが、その光はまだ――燃えていた。


――深夜の住宅街は、静脈のように張り巡らされた街灯の光で脈打っていた。

だが、その中でただ一つ、灯りの落ちた建物があった。


築三十年のアパート。

外壁は雨に洗われ、塗装の剥げた階段が月光を鈍く反射している。

その三階の一室に、中溝は立っていた。


防衛局の端末ログには、この訪問の記録は残らない。

通信遮断、GPS無効化。

完全に“オフライン”の彼は、ただ自分の呼吸の音だけを頼りに、

古びた扉の前に立つ。


拳を握り、静かに三度――

トン・トン・トン。


音が木の中を通り抜け、静寂の中に溶ける。

返事はない。

代わりに、郵便口の細い隙間から、掠れた声が落ちてきた。


「……合言葉。」


かすかに笑うような声だった。

記憶の底に沈んでいた“過去のコード”が、今、引き上げられる。


中溝は一拍置き、低く答えた。

「……“夜が目を閉じるとき”。」


短い沈黙。

それは、確認というよりも――信頼の呼吸だった。


次の瞬間、

古い錠の金属が静かに外れる音が響く。

わずかに開いた扉の隙間から、青白い光がこぼれ落ちた。


LUXの街灯とは違う。

もっと生々しく、息づくような光。


――その奥に、旧友・日野真紀の影が揺れていた。



部屋に足を踏み入れた瞬間――

空気が、外の世界と違っていた。


そこは“闇の巣”だった。

静寂が張り詰め、機械の微かな駆動音が、心臓の鼓動のように響いている。


壁一面には、無数のメモ紙。

光度、感情曲線、LUX反応域、照明心理、

そして赤インクで引かれた線が、まるで都市の血管のように交錯していた。


天井の蛍光灯は切れて久しいのか、

部屋を照らしているのは、中央の机に並ぶモニターの青白い光だけ。

画面には、街の光量マップが波打つように更新されている。

その脈動が、まるで生体反応のグラフのように見えた。


録音機が二台、ノイズを吐きながら回っている。

冷蔵庫の低い唸りが、かろうじて“生活”の音を保っていた。


カーテンの隙間から、都市の光が細く差し込む。

ネオンの線が部屋の中を斜めに貫き、

壁のメモや配線を淡く照らしては消えていく。


――まるで、監視の網が部屋の内部まで侵入しているかのようだった。


中溝は息を呑む。

外の世界よりも、この薄闇の方がよほど現実的に思えた。

日野は椅子にもたれ、薄いグレーのパーカーの袖を軽く引き上げた。

指先は乾いて、紙と機械を行き来した人間特有のざらつきを帯びている。

彼女はその手を擦り合わせながら、目だけで中溝を射抜いた。


「――久しぶりね。公務員が夜中に来る時間じゃないわ。」


声は落ち着いていたが、そこに宿る緊張は、

この部屋の空気よりも鋭かった。


中溝は短く息を吐いた。

「もう、公務員じゃない。少なくとも今夜は。」


彼の視線が机の上を滑る。

幾つものモニターが、東京の光を地図上に描いていた。

青と赤のドットが規則正しく点滅し、

それがまるで都市が心臓の鼓動を打っているように見えた。


中溝:「……まだ、追ってるのか。」

日野:「止められると思う?」


皮肉と倦怠の混じった声。

それでも、彼女の瞳にはかすかな炎が残っていた。

長い取材の歳月に磨耗してもなお、消えない光。


中溝はその光を見つめ、

十年前――ニュースの現場で、どんな権力にも怯まなかった

“記者・日野真紀”の姿を思い出していた。


彼の喉が、かすかに鳴る。

二人の間を、モニターの明滅だけが照らしていた。


日野は無言のまま、指先でモニターの一つを叩いた。

カチ、と小さな音。

画面に映るのは、東京全域の照度変化とSNS上の感情分析を並べた複合グラフ。

青い波形が人々の「幸福度」を示し、

橙色の線が照明強度の推移を描いていた――

二つの曲線は、まるで呼吸を合わせるように完全に重なっていた。


「……見える?」


日野は視線を中溝に向けた。

その目は冷ややかで、同時に怒りを孕んでいる。


「人の感情は、光でチューニングできる。

 恐怖を抑え、購買を促し、満足を“演算”できるのよ。」


中溝は、唇をわずかに開いたまま言葉を失う。

「まさか……都市全体で?」


日野は頷き、短く息を吐いた。

「ええ。《LUX》は照明を通じて、人間の神経を調整してる。

 それを“平和”と呼んでるの。」


沈黙が落ちた。

冷蔵庫の低い唸りだけが部屋を満たす。


そのとき、窓の外――街灯がふっと強く光り、すぐに戻った。

一瞬の閃光が、二人の顔を切り取る。


日野の瞳が、暗闇に沈んでいく。

「……ほら。今も、聞かれてる。」


中溝の背筋に、冷たい汗が流れた。

日野は、しばらく何も言わず、机の端からタバコを一本取り出した。

指の節が細く震える。だが、火をつけようとはしない。

代わりに、その指先でタバコを転がす――灰皿の代わりに、

そこには小型の暗視カメラが転がっていた。


レンズがわずかに光を反射する。

その沈黙を裂くように、日野が静かに言う。


「照らされすぎた人間は、影を忘れるのよ。」


中溝は眉をひそめた。

「……あんた、地下へ戻ったのか?」


日野は笑わなかった。

だが、その口元がわずかに緩む。

「戻ったというか――潜ってるの。

 “光”が届かない場所でしか、人はもう本音を話せない。」


その言葉のあと、二人の間に静かな時間が流れる。

外の街灯が、遠くでまたひとつ明滅した。


日野の声は乾いている。

だが、その奥には、かすかな希望の音があった。


まるで、暗闇の底でまだ消えていない火種のように。




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