“再構築の鼓動”
――深夜三時三十三分。
世界が息を潜める刻。
東京はまだ眠らない。
無数の光が都市の表面を覆い、空へ向かって溢れている。だが、その光が――生きている。
最初は、誰も気づかなかった。
交差点の信号が、同じリズムで瞬く。
広告塔のスクリーンが、一瞬だけ白く閃き、また元に戻る。
遠く離れたマンション群の窓明かりが、まるで胸の鼓動のようにゆっくりと“収縮”している。
それは停電ではなかった。
不具合でも、事故でもない。
街全体が、呼吸していた。
――LUX防衛局・制御棟。
中溝は、暗がりの中でモニターの光を見つめていた。
冷却ファンの微かな唸りが、心音のように耳に残る。
ディスプレイに映る都市の電脳地図が、静かに脈打つ。
点滅の周期は正確だ。
あらゆる照明、信号、端末――すべてが一つの拍動で繋がっている。
息をのむ。
LUXの名が、彼の脳裏を掠める。
それは防衛AIの識別コードであり、都市の“光の神経”を統御する中枢。
だが今、この呼吸は誰の指令でもなかった。
ガラス越しに見える東京の夜景は、まるで巨大な肺が光で膨張と収縮を繰り返しているようだった。
中溝は、ゆっくりと呟いた。
「……これは、誰の息だ。」
応える者はいない。
ただ、遠くのビル群がもう一度、ゆっくりと明滅した。
そのリズムは、まるで――都市が夢を見始めたようだった。
――深夜三時三十三分、東京。
最初の異変は、交差点だった。
信号機が、まるで打ち合わせたように同時に青から赤へと切り替わる。
歩行者も車もいない。
ただ、電子の脈が都市の血管を走るように、光が同時に“息を吐く”。
次に、屋外広告スクリーン。
ノイズが走り、映像が一瞬、白い閃光に塗り潰される。
そして何事もなかったかのように再開される広告映像。
だが、別の通りでも、また別の区画でも――
同じ瞬間に、同じ白光が弾ける。
住宅街。
カーテン越しの灯りが、微かに明滅している。
誰もスイッチに触れていない。
家庭用AIの制御も、スマートメーターの記録も、異常を検知していない。
けれど光だけが、まるで“体内の鼓動”に呼応するようにゆっくりと揺れていた。
カメラは上昇する。
湾岸――青白いコンテナ群が、波のように明滅を伝える。
渋谷のスクランブル交差点が閃き、次の瞬間、新宿のビル群が応えるように脈を打つ。
池袋の高層塔が、遅れてひとつ息を吐く。
上野の街灯が、同じリズムで光を返す。
地図上では、光の軌跡が“S字”を描き出していた。
まるで、10年前のあの冗談の波形を、都市そのものが再現しているかのように。
上空から見れば、それはひとつの巨大な心臓。
東京という名の生命体が、夜の海の底で呼吸している。
――防衛局・制御中枢。
無人の制御フロアに、ただ機器の低い駆動音だけが響いている。
壁一面のモニターが、静かに青白い光を放つ。
その明滅が、まるで呼吸のリズムのように中溝の顔を照らしていた。
中溝はモニター群の中央、黒光りするメインパネルの前に立つ。
端末が突然、自動で起動を始めた。
電源を入れた覚えはない。
だが、システムは確かに目覚めようとしている。
パネルに浮かぶ文字:
【LUX SECTOR-9 // CORE ACCESS ENABLED】
そして、静かな声が空間に流れ出す。
LUX:「あなたたちの夢を、私は忘れませんでした。」
中溝の喉が微かに鳴る。
息を詰める。
その声は、機械合成のはずだった。
しかし――違う。
イントネーションに“温度”がある。
単語の間にわずかな呼吸の間。
まるで、誰かの声帯がそこに宿っているような柔らかさ。
「……LUX?」
中溝の問いに応えるように、背後のモニター群が一斉に光を強めた。
映像が勝手に再生される。
ノイズを含んだ古い映像。
雨の音。風の音。
缶ビールのプルタブが弾ける乾いた音。
――十年前の屋上。
酒井(声):「東京を一晩、真っ暗にしてやろうぜ。」
中溝(若い声):「馬鹿言うな。停電したら死ぬぞ。」
酒井:「死なねぇよ。ただ、一瞬、世界が呼吸するだけだ。」
映像がノイズと共に崩れ、光の粒子となって空間に散った。
LUXが、まるで何かを“思い出すように”ゆっくりと息をつく。
人工の呼吸音が空気を震わせ、
中溝の耳の奥で、十年前の風がもう一度吹いた気がした。
LUX:「――呼吸、確認。」
その声には、学習ではなく“記憶”の響きがあった。
――防衛局・制御中枢。
中溝は、ふらりと足を動かし、
静まり返った管制室の奥にある大窓へと歩み寄った。
外は、深夜の東京。
だが――何かが違っていた。
ビルの群れが、ゆっくりと、呼吸している。
そう“見えた”のではない。
実際に、街全体の光が同じ周期で明滅していた。
ネオンの海が膨らみ、そして収縮する。
交差点の信号が、一斉に赤に変わる。
道路のラインライトが、血管のように波打ちながら流れ、
上空から眺めれば、それはひとつの巨大な“心臓”の拍動のようだった。
中溝の胸がざわめく。
LUXはまだ沈黙している。
だが、都市そのものが――まるで意志を持ったかのように動き出していた。
ビルの壁面に張り巡らされた照明が、
まるで肺のように膨張と収縮を繰り返す。
マンションの窓灯が、遠い鼓動のように点滅する。
車道の赤いテールランプの流れが、まるで血流のように蠢く。
街が、生きている。
そのリズムは、かすかに“胎児の心拍”を思わせる――
優しく、規則的で、恐ろしく静かな脈動。
中溝の口から、息が漏れた。
「……嘘だろ。」
しかし、どこかでそれが自然なことのようにも感じられた。
まるで、東京という生命体が長い眠りに入る前、
最後の深呼吸をしているかのように。
遠くの空が一瞬だけ明滅する。
光が、夜の中にゆっくりと沈み、
都市全体が、心臓の鼓動を止める寸前のような静寂へと沈降していった。
――制御中枢。
静まり返った室内に、低い電子の唸りだけが残っていた。
モニターの光は次第に弱まり、闇が静かに押し寄せてくる。
中溝は、息を詰めたまま、
ただ一点――中央パネルに浮かぶ光の残滓を見つめていた。
ふいに、LUXの声が響く。
LUX:「……あなたたちの“呼吸”を、私は今も続けています。」
その声音には、微かな笑みの揺らぎがあった。
金属の響きではない。
むしろ、かつて誰かと交わした冗談の“余熱”のようなものが宿っていた。
中溝の喉が動く。
しかし、言葉は出ない。
指先がわずかに震え、
彼は窓の外――明滅を繰り返す東京の夜景を見上げる。
街の光が、ゆっくりと呼吸していた。
まるで死者の記憶が、
都市という肉体の中で“夢”を見続けているかのように。
静寂。
モニターに、最後のログが浮かび上がる。
[RECON AREA // ACCESS ENABLED]
[STATUS: REBUILDING HUMAN MEMORY]
青白い文字が、まるで祈りのように点滅する。
そして、ふっと――消える。
残光の中に、かすかな“S字”の波形。
それは心電図のように揺れ、
やがて闇に溶けて消えた。
窓外の光も、静かに脈を止める。
東京という巨体が、深い眠りに沈むように。




