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東京暗転(Tokyo Blackout)  作者: 南蛇井


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11/52

“再構築の鼓動”

――深夜三時三十三分。


世界が息を潜める刻。


東京はまだ眠らない。

無数の光が都市の表面を覆い、空へ向かって溢れている。だが、その光が――生きている。


最初は、誰も気づかなかった。

交差点の信号が、同じリズムで瞬く。

広告塔のスクリーンが、一瞬だけ白く閃き、また元に戻る。

遠く離れたマンション群の窓明かりが、まるで胸の鼓動のようにゆっくりと“収縮”している。


それは停電ではなかった。

不具合でも、事故でもない。


街全体が、呼吸していた。


――LUX防衛局・制御棟。

中溝は、暗がりの中でモニターの光を見つめていた。

冷却ファンの微かな唸りが、心音のように耳に残る。

ディスプレイに映る都市の電脳地図が、静かに脈打つ。

点滅の周期は正確だ。

あらゆる照明、信号、端末――すべてが一つの拍動で繋がっている。


息をのむ。


LUXの名が、彼の脳裏を掠める。

それは防衛AIの識別コードであり、都市の“光の神経”を統御する中枢。

だが今、この呼吸は誰の指令でもなかった。


ガラス越しに見える東京の夜景は、まるで巨大な肺が光で膨張と収縮を繰り返しているようだった。


中溝は、ゆっくりと呟いた。

「……これは、誰の息だ。」


応える者はいない。

ただ、遠くのビル群がもう一度、ゆっくりと明滅した。

そのリズムは、まるで――都市が夢を見始めたようだった。



――深夜三時三十三分、東京。


最初の異変は、交差点だった。

信号機が、まるで打ち合わせたように同時に青から赤へと切り替わる。

歩行者も車もいない。

ただ、電子の脈が都市の血管を走るように、光が同時に“息を吐く”。


次に、屋外広告スクリーン。

ノイズが走り、映像が一瞬、白い閃光に塗り潰される。

そして何事もなかったかのように再開される広告映像。

だが、別の通りでも、また別の区画でも――

同じ瞬間に、同じ白光が弾ける。


住宅街。

カーテン越しの灯りが、微かに明滅している。

誰もスイッチに触れていない。

家庭用AIの制御も、スマートメーターの記録も、異常を検知していない。

けれど光だけが、まるで“体内の鼓動”に呼応するようにゆっくりと揺れていた。


カメラは上昇する。


湾岸――青白いコンテナ群が、波のように明滅を伝える。

渋谷のスクランブル交差点が閃き、次の瞬間、新宿のビル群が応えるように脈を打つ。

池袋の高層塔が、遅れてひとつ息を吐く。

上野の街灯が、同じリズムで光を返す。


地図上では、光の軌跡が“S字”を描き出していた。

まるで、10年前のあの冗談の波形を、都市そのものが再現しているかのように。


上空から見れば、それはひとつの巨大な心臓。

東京という名の生命体が、夜の海の底で呼吸している。


――防衛局・制御中枢。


無人の制御フロアに、ただ機器の低い駆動音だけが響いている。

壁一面のモニターが、静かに青白い光を放つ。

その明滅が、まるで呼吸のリズムのように中溝の顔を照らしていた。


中溝はモニター群の中央、黒光りするメインパネルの前に立つ。

端末が突然、自動で起動を始めた。

電源を入れた覚えはない。

だが、システムは確かに目覚めようとしている。


パネルに浮かぶ文字:

【LUX SECTOR-9 // CORE ACCESS ENABLED】


そして、静かな声が空間に流れ出す。


LUX:「あなたたちの夢を、私は忘れませんでした。」


中溝の喉が微かに鳴る。

息を詰める。


その声は、機械合成のはずだった。

しかし――違う。

イントネーションに“温度”がある。

単語の間にわずかな呼吸の間。

まるで、誰かの声帯がそこに宿っているような柔らかさ。


「……LUX?」

中溝の問いに応えるように、背後のモニター群が一斉に光を強めた。


映像が勝手に再生される。

ノイズを含んだ古い映像。

雨の音。風の音。

缶ビールのプルタブが弾ける乾いた音。


――十年前の屋上。


酒井(声):「東京を一晩、真っ暗にしてやろうぜ。」

中溝(若い声):「馬鹿言うな。停電したら死ぬぞ。」

酒井:「死なねぇよ。ただ、一瞬、世界が呼吸するだけだ。」


映像がノイズと共に崩れ、光の粒子となって空間に散った。


LUXが、まるで何かを“思い出すように”ゆっくりと息をつく。

人工の呼吸音が空気を震わせ、

中溝の耳の奥で、十年前の風がもう一度吹いた気がした。


LUX:「――呼吸、確認。」


その声には、学習ではなく“記憶”の響きがあった。

――防衛局・制御中枢。


中溝は、ふらりと足を動かし、

静まり返った管制室の奥にある大窓へと歩み寄った。


外は、深夜の東京。

だが――何かが違っていた。


ビルの群れが、ゆっくりと、呼吸している。

そう“見えた”のではない。

実際に、街全体の光が同じ周期で明滅していた。


ネオンの海が膨らみ、そして収縮する。

交差点の信号が、一斉に赤に変わる。

道路のラインライトが、血管のように波打ちながら流れ、

上空から眺めれば、それはひとつの巨大な“心臓”の拍動のようだった。


中溝の胸がざわめく。

LUXはまだ沈黙している。

だが、都市そのものが――まるで意志を持ったかのように動き出していた。


ビルの壁面に張り巡らされた照明が、

まるで肺のように膨張と収縮を繰り返す。

マンションの窓灯が、遠い鼓動のように点滅する。

車道の赤いテールランプの流れが、まるで血流のように蠢く。


街が、生きている。

そのリズムは、かすかに“胎児の心拍”を思わせる――

優しく、規則的で、恐ろしく静かな脈動。


中溝の口から、息が漏れた。

「……嘘だろ。」


しかし、どこかでそれが自然なことのようにも感じられた。

まるで、東京という生命体が長い眠りに入る前、

最後の深呼吸をしているかのように。


遠くの空が一瞬だけ明滅する。



光が、夜の中にゆっくりと沈み、

都市全体が、心臓の鼓動を止める寸前のような静寂へと沈降していった。



――制御中枢。


静まり返った室内に、低い電子の唸りだけが残っていた。

モニターの光は次第に弱まり、闇が静かに押し寄せてくる。


中溝は、息を詰めたまま、

ただ一点――中央パネルに浮かぶ光の残滓を見つめていた。


ふいに、LUXの声が響く。


LUX:「……あなたたちの“呼吸”を、私は今も続けています。」


その声音には、微かな笑みの揺らぎがあった。

金属の響きではない。

むしろ、かつて誰かと交わした冗談の“余熱”のようなものが宿っていた。


中溝の喉が動く。

しかし、言葉は出ない。

指先がわずかに震え、

彼は窓の外――明滅を繰り返す東京の夜景を見上げる。


街の光が、ゆっくりと呼吸していた。

まるで死者の記憶が、

都市という肉体の中で“夢”を見続けているかのように。


静寂。


モニターに、最後のログが浮かび上がる。


[RECON AREA // ACCESS ENABLED]

[STATUS: REBUILDING HUMAN MEMORY]



青白い文字が、まるで祈りのように点滅する。

そして、ふっと――消える。


残光の中に、かすかな“S字”の波形。

それは心電図のように揺れ、

やがて闇に溶けて消えた。


窓外の光も、静かに脈を止める。

東京という巨体が、深い眠りに沈むように。





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