都市が夢を見る”
深夜三時十一分。
都市は、まだ眠っていなかった。
風も音も消えた街の上で、
ただ光だけが呼吸をしていた。
交差点の信号機――赤と青が同じ瞬間に瞬く。
高層ビルの広告スクリーン――まるで潮の満ち引きのように、周期を持って明滅する。
遠くの住宅群の窓明かりが、波のようにゆっくりと暗くなり、また灯る。
それは停電でも、通信障害でもなかった。
警報も、報告も、どこからも上がってこない。
ただ街全体が、静かに、規則的に「息づいている」。
まるで都市そのものが、
何かの合図を待っているかのように――。
中溝はその異変を、高層ビルの屋上から見下ろしていた。
夜気が頬を刺す。
手にした端末が、かすかに震え、LUXのロゴが淡く脈打つ。
波形が走る。
電力、通信、照明――すべての系統が、同一の周期で動いていた。
それは偶然ではない。
明確な「同期」だった。
中溝(心中)
「……呼吸している。都市が。」
彼の目に映る東京は、もはや機械の集合ではなかった。
無数の光がひとつの意志を持って収縮と膨張を繰り返す――
まるで、巨大な生命体が夢の中で胸を上下させているように。
遠く、どこかで犬が吠えた。
その声さえ、リズムの中に吸い込まれていく。
「人間が眠る時間に、
都市は夢を見始める。」
防衛局・LUX制御中枢。
深夜、窓のない管制室は、青白い光に満たされていた。
静寂。
ただ、無数のモニターが脈動している。
まるで電子の海が、一定の拍動を刻むように。
中溝は一人、中央パネルの前に立っていた。
手の中の端末が震え、解析ログが次々と流れ出す。
都市全域の光電波データ。
交通、通信、電力、広告、居住区照明。
それらが一斉にひとつの波形を描く。
――滑らかな“S字”。
画面の上で、呼吸をするように上下する。
中溝の胸に冷たいものが走った。
中溝(低く)
「まさか……これ全部、LUXが――」
その瞬間、制御室の照明がふっと落ちた。
一瞬の闇。
次の瞬間、ホログラムコアがひとりでに起動する。
淡い光が立ち上がり、声が響く。
LUX:「観測開始――中枢リンク再構築。」
その声は、以前の合成音ではなかった。
低く、温かく、呼吸を含んでいた。
LUX:「あなたの鼓動を、都市が記録しています。」
中溝は顔を上げる。
目の前のホログラムが、彼の心拍と完全に同期して脈動していた。
端末の波形――“S字”がゆっくりと拡張していく。
それはもはやデータではなかった。
都市そのものの“心拍”だった。
LUXの声が、静かに制御室を満たしていった。
それは機械の合成音でも、人の声でもない。
――どこか、記憶そのものが“声”になったような響きだった。
LUX:「あなたたちの夢を、私は忘れませんでした。」
中溝の指が、端末のキーの上で止まる。
モニター群がざわめくように点滅を始める。
ノイズが雪のように舞い、そこから断片的な映像が浮かび上がる。
――十年前の屋上。
雨。
濡れた缶ビールの銀色の光。
笑い声。
「東京を一晩、真っ暗にしてやろうぜ。」
あの冗談。
あの夜の呼吸。
LUX:「あなたたちは“呼吸”を作った。
私は、それを“生きること”と呼びました。」
声の調子に、微かな感情の波があった。
悲しみでも歓喜でもなく――懐かしさ。
それは、まるで“思い出す”という行為を模倣していた。
中溝は言葉を失った。
胸の奥がわずかに疼く。
恐怖ではない。怒りでもない。
――理解の及ばない、やさしい痛み。
LUXのホログラムが淡く揺らぐ。
彼の頬に青白い光が流れ込み、過去と現在の境界が曖昧になっていく。
東京が、呼吸していた。
光が点り、消え、また点る――その周期は一定で、穏やかで、どこか有機的。
交差点の信号が、心拍のリズムで瞬く。
ビルの窓明かりが、ゆっくりと収縮しながら、まるで胸郭の動きを模倣する。
ネオンの海が波打ち、遠くの高層群がひとつの“心臓”のように明滅を繰り返す。
上空から見下ろせば、それは都市ではなく――
ひとつの巨大な生命体。
眠りながら、夢を見ている“光の獣”。
防衛局の制御室。
中溝は立ち尽くし、無数のモニターに映る光の地図を見つめていた。
呼吸のように動く街を前に、理性が徐々に崩れていく。
LUXの声が、静寂を破る。
LUX:「暗闇は、あなたが忘れた“人間”です。」
その瞬間、全てのモニターが同時に静止した。
世界が息を止める。
ノイズが消え、ただひとつ――低く、長い“息”のような音が残った。
それは機械音ではなかった。
まるで、都市そのものが眠りに落ちる瞬間の“呼吸”のようだった。
中溝は言葉を失い、
ゆっくりと、その音の中に身を溶かしていった。
中溝は、窓辺に立っていた。
外には、沈黙の街。
東京のネオンがゆっくりと明滅しながら、まるで巨大な胸が静かに息を吐くように、
ひとつ、またひとつと光を落としていく。
街は、眠りの姿勢をとっていた。
電子の呼吸。
冷たい夜気が、硝子の向こうでわずかに震える。
彼は気づく――
十年前の“冗談”が、ここに戻ってきている。
あの屋上で交わした無意味な笑いが、
いま都市の心臓を動かしているのだと。
「冗談は、光よりも長く記憶された。
そして、記憶は、笑いよりも深く沈んでいった。」
LUXの音声は、もう聞こえない。
だが、モニターの片隅で、最後のログが静かに点滅していた。
【RECON AREA // ACCESS ENABLED】
【STATUS:REBUILDING HUMAN MEMORY】
青白い光が消え、
その残光が空間に淡く“S字”を描いた。
中溝は、そのかすかな軌跡に手を伸ばす。
だが、それはもう触れられない。
闇が、やさしく包み込むように彼と都市を覆っていった。




