第六話:交錯する思惑
温かい食卓を囲んだ翌朝、シンは不思議なほどに身体が軽くなっていた。
頭痛も疲労感も消え、羅睺の影も普段よりもずっと薄く感じられる。
それは、トワの看病と、誰かと共に食事をしたという、心の温かさのおかげだと、シンは無意識に感じていた。
彼の霊核は、昨日の不安定さが嘘のように、穏やかな波動を保っていた。
「おはよう、憑陰くん。」
シンがリビングに行くと、トワはすでに朝食の準備をしていた。
昨夜の失敗が嘘のように、食卓には彩り豊かな朝食が並んでいる。
焼きたてのパンからは香ばしい匂いが立ち上り、スクランブルエッグはふんわりと焼き上げられていた。
「これ、トワさんが作ったんですか?」
シンが驚いて尋ねると、トワは少し照れたように俯いた。彼女の頬は、微かにピンク色に染まっている。
「昨夜、徹夜で料理のデータ解析と、シミュレーションを繰り返しました。結果、この程度の料理は、作れるようになりました。」
トワは淡々と答えたが、その表情には、どこか誇らしげな色が浮かんでいた。シンは、トワの努力に感謝しながら、朝食を口にする。
トワが作った料理は、昨夜のシンの料理とはまた違う、知性と情熱が込められた、温かい味がした。
「……美味しいです。」
シンがそう言うと、トワの頬がさらに赤くなった。
その表情は、いつもの冷静なトワからは想像もできない、可愛らしさがあった。
シンは、トワの新しい一面に触れ、彼女への思いが、友情とはまた違う、甘い感情へと変化していくのを感じていた。
その日の放課後
シンとトワは封禍衆本部から呼び出しを受けた。
本部に着くと、鈴もすでに到着していた。
彼女もまた、シンの回復を喜び、トワの料理の頑張りを称賛した。
三人は、連れ立って会議室に向かう。
重厚な扉を開け、会議室に入ると、そこには見慣れない女性が立っていた。
彼女は、シンたちと同じくらいの年齢だが、その身体からは、羅睺を圧倒するほどの強大な霊気が放たれている。
まるで、羅睺を滅ぼすためだけに生まれてきたかのような、鋭い霊圧だった。
「君たちが、憑陰シン、神楽鈴、真理トワね。私は、天衝サキ。今日から君たちと、羅禍討伐作戦を遂行する。」
女性は、天衝サキと名乗った。
彼女の瞳は、羅睺を憎む、強い光を宿していた。
その視線は、羅睺を滅ぼすという一つの目的に向かって、まっすぐ突き進む、研ぎ澄まされた刃のようだった。
「天衝サキ……。同年代の封禍衆の中でも、羅睺を最も多く討伐している、天才的な封禍師……」
鈴が静かに呟いた。
サキの強大な霊気は、鈴をしてそう言わせるほどのものだった。
護神家の天才である鈴ですら、サキの霊圧に圧倒されているのがわかる。
「天衝サキ……。羅睺討伐に特化した、戦闘型の封禍師……。興味深いデータですね。」
トワは、サキの霊気を真理鏡で解析し、興奮したように呟いた。
彼女にとって、サキは未知の羅睺を凌駕する存在。
その戦闘スタイルや霊力の運用方法を解析することで、羅睺との戦いをより有利に進められると考えている。
サキは、シンをまっすぐに見つめた。
「あんたが、虚淵を宿した少年、憑陰シンか?虚淵の力は、羅睺を圧倒する。でもな、その力に頼ってばかりじゃ、いつか足を掬われる。羅睺は、常に進化している。あんたのその力も、いつか羅睺に通用しなくなる日が来る。」
サキの言葉は、シンを厳しく戒めるものだった。
シンは、サキの言葉に、何も反論できなかった。
羅睺との戦いで、彼は虚淵の力に頼ってばかりいた。
自分の力ではない、溟禍の力に。
そのことを、彼は誰よりも深く理解していたからだ。
『はぁ……キミってホント、肝心なところで弱気なんだから。そして、お前はボクの最高のショーに、水を差すんじゃないよ!』
溟禍の不機嫌な声が、シンの心に響く。
しかし、サキの言葉は、シンの心を深く揺さぶっていた。
「今回の羅禍討伐作戦は、羅禍の活動が活発化している地域での、大規模なものになる。羅禍は、羅睺が融合し、知能を持った、厄介な存在だ。羅禍の背後には、羅睺を操る組織の影が見え隠れしている。」
サキは、羅禍討伐作戦の詳細を説明し始めた。
シンたちは、羅禍討伐作戦に組み込まれることになり、より過酷な戦場へと身を投じることになる。
羅禍は、羅睺とは異なり、知能を持っている。それは、羅睺を操る組織の存在を示唆していた。
「君たちには、羅禍討伐作戦の中で、羅禍を滅ぼすための、新たな戦術を確立してもらいたい。羅睺と虚淵、そして君たちの知性と力。それらを組み合わせた、新たな戦術を。」
封禍衆本部のトップが、三人に新たな使命を課した。
シンは、サキの言葉と、封禍衆本部のトップの言葉に、心が揺れていた。
羅睺を倒すために、虚淵の力を使う。
それは、彼が最も恐れていたことだった。しかし、トワと鈴の存在が、彼の心を支えていた。
「……僕、頑張ります。」
シンがそう言うと、トワと鈴は、シンを信じるように静かに頷いた。
サキは、シンをまっすぐに見つめ、何も言わなかった。
しかし、その瞳には、シンへの期待と、羅睺への憎悪が混じっていた。
彼らの運命は、今、新たな局面へと向かっていた。羅睺を巡る壮絶なバトルが始まる。
羅禍討伐作戦は、封禍衆本部から派遣された羅禍専門の討伐チーム、通称「ストライカー」と共に、羅禍の活動が活発化している郊外の廃工場で始まった。
シン、鈴、トワ、そして新たに加わった天衝サキの四人は、廃工場の入り口で待機していた。
夜闇に包まれた廃工場からは、これまでシンが感じた羅睺の瘴気とは比べ物にならないほど、濃く、そして禍々しいものが立ち上っている。
それは、まるで世界そのものが腐敗していくかのような、おぞましい霊圧だった。
「羅禍は、羅睺が人間の負の感情を吸収し、融合することで生まれる、知能を持った羅睺だ。羅睺とは違い、人型しか存在しない。そして、その霊核は、通常の羅睺の数十倍の霊力を持つ。」
サキが淡々と羅禍について説明する。
彼女の瞳は、羅禍への憎悪と、羅禍を滅ぼすという使命感に燃え上がっていた。
彼女は、羅禍を滅ぼすためだけに生きている、そんな印象をシンに与えた。
「羅禍は、羅睺を操る知能を持っている。つまり、羅禍の背後には、羅睺を操る組織の影が見え隠れしているということです。」
トワが真理鏡を使い、羅禍の瘴気を解析する。
彼女の表情は、いつもの冷静さを保っているが、その瞳の奥には、羅禍の謎を解き明かそうとする、知的な好奇心が燃え上がっていた。
「私たちは、羅禍を殲滅し、羅禍の背後にいる組織の情報を得る。各自、自分の役割を全うするように〜」
鈴が任務中でも明るい気だるげな声で、三人に指示を出す。
彼女は、護神家の天才として、この作戦の指揮を任されていた。
彼女の言葉には、羅睺を滅ぼすという、揺るぎない決意が込められていた。
シンは、再び羅睺と戦うことへの恐怖に襲われていた。
しかし、彼の隣には、鈴とトワ、そしてサキがいた。
孤独な戦いではない。仲間と共に、この戦いに挑むことができる。
その思いが、シンの心を支えていた。
「行くぞ!」
サキの鋭い声と共に、四人は廃工場へと足を踏み入れた。
廃工場の内部は、羅睺の瘴気に満ち、視界はほとんど効かない。
しかし、シンには、羅睺の影がはっきりと見えた。
羅睺の瘴気の中で、羅禍が、羅睺を率いて、シンたちを待ち構えていた。
「羅禍、発見!羅禍の数は、一体。しかし、羅睺の数が異常に多い。羅禍が、羅睺を統率しています!」
トワが真理鏡を使い、羅禍の位置を特定する。
羅禍は、廃工場の奥にいた。
羅睺の群れを率いて、シンたちを待ち構えている。羅禍の背後には、羅睺の影がうごめいていた。
それは、まるで羅睺が羅禍に引き寄せられ、羅禍の力を増幅させているかのように見えた。
「私が羅禍の動きを封じる!その隙に、憑陰くんが羅禍の霊核を狙って!」
鈴が叫び、弓を構える。無数の羅睺が、シンたちに襲いかかってきた。
鈴は、羅睺の群れを浄化の矢で薙ぎ払い、羅禍の動きを封じようと、結界を張り始めた。
彼女の結界は、羅睺の瘴気を浄化し、羅禍の動きを鈍らせる。
「私は、羅禍の霊力を解析する!絶対に羅禍の弱点を見つけるから!」
トワが真理鏡を使い、羅禍の霊力を解析し始める。
彼女の知性が、羅禍の謎を解き明かす。
彼女の真理鏡には、羅禍の霊力、羅睺の霊力、そして羅禍が羅睺を操る霊力のデータが映し出されていた。
「あんたは、羅禍の霊核を狙う。あんたの虚淵の力なら、羅禍の霊核を無に帰すことができる。邪魔な羅睺は、私が全て叩き潰す!」
サキが叫び、剣を抜く。
彼女の豪快な剣技が、羅睺の群れを次々と薙ぎ払い、シンへの道を切り開いていく。
彼女の剣は、羅睺の瘴気を切り裂き、羅睺の存在そのものを消し去っていく。
シンは、鈴とトワ、そしてサキが、自分のために戦ってくれていることを感じていた。孤独な戦いではない。
仲間と共に、羅禍に挑むことができる。その思いが、シンの心を奮い立たせた。
『ボクの最高のショーを、心ゆくまで堪能するがいい。……キミも、ボクの足を引っ張らないようにな、シン。』
溟禍の傲慢な声が、シンを鼓舞する。
それはまるで、彼を舞台へと誘う、悪魔の囁きのようでもあり、最高の相棒からのエールであるようにも聞こえた。
シンは、漆黒の刀を構え、羅禍へと向かって、夜闇の中を駆け出した。
羅睺の群れが、シンに襲いかかってくるが、サキの剣技が、羅睺の群れを薙ぎ払う。
鈴の結界が、羅禍の動きを封じ、トワの解析が、羅禍の弱点を見つける。シンは、三人の力を借りて、羅禍へと肉薄する。
羅禍は、シンに襲いかかろうとするが、鈴の結界に阻まれる。
羅禍は、結界の中で暴れ狂うが、その動きは完全に封じられる。
シンは、羅禍の霊核の中心を、羅睺の瘴気を通して視認した。
そこは、羅禍の負の感情の根源、そしてその存在を支える核だ。
シンは深く息を吸い込み、全身の霊力を刀に集中させる。
漆黒の刀身が、禍々しいほどの光を放ち始めた。
それは、虚淵の力が完全解放された証だ。
「『無明一閃・虚空断罪』」
虚淵の力を完全に纏った一閃は、結界の中を駆け抜け、羅禍の霊核のまさに中心を貫いた。
羅禍は絶叫と共に、光の粒子となって砕け散っていく。
その光景は、あたかも漆黒の宇宙に星々が弾け飛ぶようだった。
羅禍が完全に消滅し、廃工場には静寂が戻った。
羅禍の瘴気が晴れる中で、シンは、その場に膝をついた。
全身から力が抜け、激しい疲労が彼を襲う。
しかし、その顔には、羅禍を討ち果たしたという、確かな達成感が浮かんでいた。
鈴とトワ、そしてサキがシンに駆け寄る。
鈴の表情には、安堵と共に、彼の力に対する複雑な感情が混じっていた。
トワも真理鏡を仕舞い、その瞳はシンをまっすぐに見つめていた。
サキは、シンをまっすぐに見つめ、何も言わなかった。
しかし、その瞳には、シンへの期待と、羅睺への憎悪が混じっていた。
「すごいね、やっぱりシンくん……。あなた、本当に虚淵の力を扱えるなんてね....。」
鈴が言葉を詰まらせた。
彼の力は、確かに恐ろしい。
だが、羅禍から街を守ったのは、紛れもなくシン自身だった。
「これで、今回の羅禍は完全に浄化されました。憑陰シン君の能力……改めて、特異点として認識する必要がありますね。」
トワは冷静に分析しながらも、その声には、シンへの新たな尊敬の念が滲んでいた。
シンは二人を見上げた。彼らは、羅禍を恐れることなく、共に戦ってくれた。そして、彼の中にいる溟禍の力を受け入れ、自分を信じてくれた。
『はぁ……全く、キミはボクの最高のアシストを、また、最後まで見ててくれたんだな。流石にそこまで頑張らなくても良いけど、この僕でも心配しちゃうよ。』
溟禍の声が、疲労困憊のシンの意識に優しく響いた。
その声は、傲慢な中に、かすかな満足感と、そして温かい響きを帯びていた。
シンは、その声に無意識に惹かれている自分に気づいていた。
彼らの戦いは、まだ始まったばかりだ。
しかし、この夜、四人の封禍師の間に、確かな絆が芽生えた。
そして、シンの中に宿る虚淵の存在は、彼らの運命を、より深く、そして激しいものへと導いていく。
面白かったらリアクションしていだたくと嬉しいです。