第五話:新たな局面
影羅睺と憑羅睺の混合型を打ち倒し、封禍衆本部での新たな使命を与えられたシンたち。
しかし、羅睺が日常に潜む脅威は、決して消え去ることはない。
それは、羅睺がこの世界の影であり、人々の負の感情が尽きない限り、永遠に存在し続けるからだ。
彼らが背負った重圧は、以前にも増して重くのしかかっていた。
翌日、シンは授業中、激しい疲労と頭痛に襲われていた。
羅睺との戦闘で虚淵の力を限界まで使った反動だろう。
全身が鉛のように重く、彼の意識は朦朧としていた。
授業中にもかかわらず、彼の視界は歪み、羅睺の影が教室の隅でうごめいているのが見える。
それは実体を持たない下位の羅睺だったが、彼の疲弊した霊核は、それらの存在を過剰に捉え、脳に直接ノイズを叩きつけていた。
『はぁ……。キミってホント、繊細すぎるんだから。ボクの力が強大すぎるせいか、器がこのザマじゃあね。』
溟禍の呆れた声が、シンの意識に響く。
しかし、その声はどこか心配しているようにも聞こえた。
彼女はシンに力を与えることで、彼の身体が受ける負荷も理解している。
虚淵の力は、羅睺を滅ぼすための武器であると同時に、彼の身体を蝕む劇薬でもあった。
「大丈夫〜?シンくん?」
隣の席の鈴が、小さな声でシンに話しかけた。
彼女の顔には、珍しく心配の色が浮かんでいる。
護神家として常に冷静沈着であろうとする彼女の表情から、その動揺が見て取れた。
「少し、疲れているだけ……」
シンはそう答えるのが精一杯だった。
しかし、彼の身体から微かに漏れ出す虚淵の瘴気を、鈴は敏感に察知していた。
それは羅睺の瘴気とは異なる、冷たく、それでいて圧倒的な力を持つものだった。
放課後
シンは意識が朦朧としたまま教室を出た。
廊下を歩いていると、彼の視界が大きく歪み始める。
羅睺が見える彼の目は、普段よりも増して羅睺の影を捉え、その全てが彼の意識に流れ込んでくるようだった。
廊下の壁に羅睺の顔が浮かび上がり、床には羅睺の腕が伸びている幻覚が見える。
「っ……!」
シンは頭を抱え、その場にうずくまる。
全身が熱く、吐き気に襲われる。
羅睺の幻覚が彼の視界を覆い、過去の記憶がフラッシュバックする。
両親が虚淵の残滓に殺された日の光景が、鮮明に蘇ってきた。
羅睺が、無表情で自分を見つめている。
あの時の恐怖、無力感、そして絶望が、再び彼の心を支配しようとしていた。
『はぁ……全く、これだから繊細な人間は嫌だよ。ボクの力は、そんな脆弱な意識を簡単に壊してしまうんだ。』
溟禍の声が、遠く聞こえる。
シンは、その声にすら応えることができなかった。
意識の暗闇へと沈んでいく中、誰かが彼に駆け寄ってくるのを感じた。
「憑陰シン君!」
それは、トワの声だった。
彼女はシンに駆け寄ると、すぐに彼の脈と霊核の状態を真理鏡で調べた。
真理鏡の画面には、シンの霊核が激しく点滅し、不安定な虚淵の波動が暴れ狂っている様子が映し出されていた。
「霊核の不安定化……虚淵の力が、彼の精神を蝕み始めています!このままでは、暴走しかねません……!」
トワは焦りの声を上げた。
彼女の冷静さが揺らぐほどの異常事態だった。虚淵の暴走は、この学校、いや、この街全体を無に帰しかねない。
「神楽さん、早く彼を保健室へ!」
鈴が駆けつけると、シンを支え、トワは彼の身体から漏れ出す瘴気を抑え込もうと、結界の力を微弱に発動させた。
二人の支えに、シンはなんとか意識を保ち、保健室のベッドに横になることができた。
保健室の冷たい空気が、少しだけシンの熱を持った身体を冷やす。
鈴は彼の身体から漏れ出す瘴気を抑え込もうと、結界の力を微弱に発動させる。トワは真理鏡でシンの状態を解析し続けていた。
「どうして……どうしてこんなことに……」
シンは意識が途切れ途切れになりながらも、自分の不甲斐なさを呪っていた。
仲間を守るどころか、自分の力のせいで、また誰かを巻き込んでしまうかもしれない。そんな恐怖が、彼の心を締め付けた。
その時、シンは身体に温かい感触が触れるのを感じた。
それは、トワが彼の額に当てた濡れたタオルだった。
「憑陰くん、しっかりしてください。あなたの精神は、まだ虚淵に呑まれていません。」
トワの声は、いつもと同じ冷静な声だったが、その響きには、どこか優しさが混じっていた。
「私のデータによると、虚淵の力が霊核を不安定にしている原因は、あなたの精神的な疲労と、過去のトラウマによるものです。虚淵の力を完全に制御するためには、羅睺との戦いだけでなく、あなたの精神を安定させることも必要なのです。」
トワは淡々と説明しながらも、その手つきは優しく、シンの汗を拭き続けていた。
彼女にとって、シンは究極の研究対象。
しかし、今この瞬間、彼女はただ、彼を心配しているように見えた。
「あなたの力は、羅睺を滅ぼすための、希望の光です。それを、私たちが、護神家と明神家が、必ず守りますから。」
鈴の声が、シンの意識に届く。彼女の言葉は、まるで彼の心を縛っていた枷を解き放つかのように、彼を安堵させた。
シンは、朦朧とする意識の中で、二人の姿をぼんやりと見ていた。
羅睺が見える異質な自分を恐れず、監視対象だった自分を、仲間として受け入れてくれた二人。
そして、自分の力を、羅睺を滅ぼすための希望だと信じてくれた。
『はぁ……キミってホント、幸せ者だね。ボクの最高のショーを、特等席で見せてやる価値があるってことだ。』
溟禍の不機嫌な声が、シンの心に響く。
しかし、シンは、その声を聞いて、ほんの少しだけ微笑んだ。
シンは、温かい手と優しい声に包まれながら、深い眠りへと落ちていった。彼の隣では、鈴とトワが、静かに彼の回復を見守っていた。
それは、羅睺との戦いの最前線で、互いを守り、支え合う、新たな仲間たちの、確かな絆の始まりだった。
トワの看病のおかげで、憑陰シンは翌日にはだいぶ動けるようになっていた。
体のだるさはまだ残るものの、頭痛や羅睺の幻覚は消え、意識もクリアになっていた。
登校すると、トワが心配そうにシンを見つめている。
鈴は相変わらず冷静な表情だが、その瞳の奥には、シンを案じる気持ちが見て取れた。
放課後
シンは一人で家に帰ろうとしていた。
羅睺との戦い以来、トワと鈴が彼の監視を兼ねて付き添ってくれていたが、今日は二人に迷惑をかけたくないという思いが強かった。
しかし、玄関を出ると、トワがシンを待っていた。
「憑陰くん。今日は、私があなたの家に泊まります。」
トワは淡々と告げた。
その言葉に、シンは驚いて目を見開く。
「え、でも、僕はもう大丈夫ですし……」
「大丈夫ではありません。霊核の不安定化は、一朝一夕では治りません。それに、あなたの精神はまだ不安定です。羅睺の瘴気に引き寄せられて、また羅睺が現れる可能性も否定できません。明神家として、あなたを放っておくわけにはいきません。」
トワの言葉に、反論の余地はなかった。
シンは、トワが自分を心配してくれていることを感じていた。
彼女に迷惑をかけたくないという思いは強かったが、それ以上に、羅睺と一人で向き合うことへの恐怖が、彼の心を締め付けていた。
『はぁ……キミってホント、寂しがり屋なんだから。でも、ボクの最高のショーに、観客が増えるのは嬉しいことだね。』
溟禍の不機嫌そうな声が、シンの心に響く。しかし、シンは、その声にすら応えることができなかった。
シンとトワがシンの家に着くと、トワはすぐにシンに休むように促した。
彼女は家の中を警戒するように見て回り、羅睺の気配がないことを確認した。
夕食の時間。
トワがキッチンに立つ。
「憑陰くんは休んでいてください。私が夕食を作ります。羅睺と戦うためには、体力をつけなければなりません。」
シンはトワの優しさに感謝しながら、リビングで待つことにした。しかし、しばらくすると、キッチンから不穏な音が聞こえてきた。
「っ……!どうして、こんなことに……」
トワの焦りの声が聞こえ、シンがキッチンを覗くと、そこには焦げ付いたフライパンと、無残な姿になった野菜が散乱していた。
トワは、料理本を見ながら必死に料理しようとしていたが、どうにもうまくいかないようだった。
「ごめんなさい、憑陰くん。料理は、私の専門ではないようです。」
トワは肩を落とし、申し訳なさそうにシンに謝る。
その表情には、いつも見せる冷静なトワからは想像もできない、無力感が浮かんでいた。
『はぁ……ホント、役立たずなんだから。ボクの器に食べさせる料理がこんなにヘタクソだなんて、恥ずかしい限りだよ!』
溟禍の呆れた声が、シンの心に響く。
しかし、シンは、その声にすら応えることができなかった。
「……あの、もしよかったら、僕が作ります。得意なわけじゃないですけど、簡単なものなら作れます。」
シンがそう言うと、トワは驚いてシンを見つめた。
「ですが、憑陰くんは休んでいなければ……」
「大丈夫です。料理くらい、できますから。」
シンはトワを安心させるように微笑んだ。
シンがキッチンに立つと、トワは何も言わずにシンを見つめていた。
シンが包丁を握り、野菜を切り始める。
その手つきは、不器用ながらも、どこか慣れているようだった。
両親を亡くしてから、シンは一人で生活してきた。
料理も、生活の一部として、いつしか身についたものだった。
トワは、シンが料理をする姿を、まるで未知の羅睺を解析するかのように、興味深そうに見つめていた。
シンがフライパンに油をひき、野菜を炒め始める。
ジュウジュウと美味しそうな音がキッチンに響き渡る。
「……どうして、そんなに料理が上手いのですか?」
トワがシンに尋ねる。
その声には、知的な好奇心と、かすかな羨望が混じっていた。
「上手くないです。ただ、一人で生活していると、自然と……」
シンの言葉に、トワは言葉を失った。
彼女は、明神家のお嬢様として、何不自由なく育ってきた。
料理も、食事も、全て使用人が用意してくれていた。
彼女は、家族の温かさを知らないわけではなかった。
しかし、その温かさは、彼女の心の奥底には届いていなかった。
彼女にとって、家族は、明神家の使命を継ぐための、道具のようなものだった。
「……私の両親は、私が羅睺の解析に特化できるよう、私に必要のないことは、全て排除しました。料理も、その一つです。私が羅睺の解析に集中できるよう、料理は全て、使用人が用意してくれました。」
トワは、自らの過去を語る。
その声には、感情がほとんどなかった。
しかし、その言葉の奥には、彼女が感じてきた孤独が隠されていた。
シンは、トワの言葉を聞いて、何も言えなかった。
ただ、シンは、料理を続ける。
美味しそうな匂いがキッチンに広がり、食卓には温かい料理が並んだ。
「……美味しい。」
トワが、静かに呟いた。
その言葉には、偽りのない感動が込められていた。
彼女は、シンが作った料理を美味しそうに食べる。
シンは、その光景を見て、心が温かくなるのを感じていた。
両親を亡くして以来、一人で食べてきた食事。
誰かと一緒に食べる食事は、こんなにも温かいものだったのかと、シンは久しぶりに知った。
「この料理には、温かさがあります。……私の家では、感じることのできなかった温かさが。」
トワの言葉に、シンは、何も言えなかった。
ただ、シンは、トワの笑顔を見て、心が温かくなるのを感じていた。
羅睺との戦い、虚淵の力、そして孤独。
それらが全て、この温かい食卓で、癒されていくようだった。
シンは、誰かのために戦うことの意味を、この温かい食卓で、改めて感じていた。羅睺を滅ぼすだけでなく、誰かを守ること。
そして、誰かと共に、温かい時間を過ごすこと。
それが、シンが戦う理由だった。
作者は料理は親からの教えで冷蔵庫にあるもん全部入れて、何か分からんものが出来る料理が下手な人です。