第四話:虚淵と器の共鳴
夜闇に包まれた学校の校庭裏。
憑陰シンが影羅睺と憑羅睺の混合型へと駆け出した瞬間。
彼の全身から噴き出した漆黒の霊気が、周囲の羅睺の瘴気を押しやり、夜空の下で異様な光を放った。
彼の瞳は深淵のように黒く染まり、その表情には、普段の内気なシンからは想像もできないほどの、強い決意が宿っていた。
「憑陰くん、無茶だよ止まって!」
トワが叫ぶが、彼の足は止まらない。シンは、意識の奥底で溟禍の存在をはっきりと感じ取っていた。
それはまるで、彼女の力が彼の一部となり、羅睺を滅ぼすという一つの意思に統合されたかのようだった。
『ボクの力を、心ゆくまで使うがいい、シン。お前はボクの、唯一の観客だからな。』
溟禍の傲慢な声が、シンを鼓舞する。
それは、彼に絶対的な力を与える、甘美な誘いでもあった。
混合型は、シンが放つ虚淵の力に反応するように、禍々しい瘴気をさらに膨れ上がらせた。
巨大な腕が振り下ろされ、地面が大きく揺れる。
シンはそれを紙一重でかわし、漆黒の刀を構えた。
『無明一閃!』
シンが放った居合の一閃が、混合型の腕をかすめる。
それは羅睺の肉体を断ち切るだけでなく、その精神を揺さぶる一撃だった。
羅睺は苦悶の声を上げ、瘴気を乱れさせる。しかし、混合型はすぐに体勢を立て直し、シンを押し潰そうと迫り来る。
「憑陰くんの霊核の出力、限界を超えている
わ……!このままでは、身体が持たない!」
トワが真理鏡でシンの状態を解析し、焦りの声を上げた。
虚淵の力は絶大だが、その代償もまた大きい。
シンの身体からは、微かに黒い血管のような模様が浮かび上がっていた。
「私が援護するね!」
鈴が叫び、素早く弓を構える。
彼女は羅睺の攻撃からシンを守るように、
連続で
『浄化の矢』
を放った。
矢は正確に混合型の急所を突き、羅睺の瘴気を削り取る。
「憑陰くん、羅睺の右腕、動きが鈍い!その隙に、霊核の中心を狙って!」
トワも真理鏡から得た情報を瞬時に分析し、シンに的確な指示を飛ばす。
彼女の知性が、羅睺のわずかな隙を見逃さない。
シンは、トワの言葉に従い、再び混合型へと切り込んだ。
羅睺の攻撃を紙一重で避けながら、その巨大な右腕へと肉薄する。
しかし、羅睺が放つ瘴気が彼の視界を奪おうとする。
『はぁ……キミってホント、肝心なところでボクの邪魔をするんだから。まったく、仕方ないね!』
溟禍の声が響き、シンの瞳から漆黒の霊気が噴き出した。
それは羅睺の瘴気を瞬時に払い除け、彼の視界をクリアにする。
「……っ!」
シンはその隙を逃さなかった。
羅睺の右腕に刀を突き立て、そのまま大きく切り裂く。
羅睺は再び苦悶の声を上げ、その巨大な身体が大きく揺らいだ。
「今です!神楽さん、結界を!」
トワの指示に、鈴は即座に反応する。
『天結方陣!』
鈴が弓を大きく引き絞り、放たれた光の矢が混合型の周囲に突き刺さる。
矢が着弾した瞬間、眩い光の波動が広がり、混合型を完全に囲む強固な光の結界が形成された。
羅睺は結界の中で暴れ狂うが、その動きは完全に封じられる。
「憑陰くん!虚淵の霊核を開放して!羅睺を完全に無に返して!」
トワが叫ぶ。結界の中で暴れる羅睺の霊核の中心を、シンは羅睺の瘴気を通して視認した。
そこは、羅睺の負の感情の根源、そしてその存在を支える核だ。
シンは深く息を吸い込み、全身の霊力を刀に集中させる。
漆黒の刀身が、禍々しいほどの光を放ち始めた。
それは、虚淵の霊核が器によって解放された証だ。
『無明一閃・虚空断罪』
シンが放ったのは、ただの居合ではなかった。
虚淵の力を完全に纏った一閃は、結界の中を駆け抜け、羅睺の霊核のまさに中心を貫いた。羅睺は絶叫と共に、光の粒子となって砕け散っていく。
その光景は、あたかも漆黒の宇宙に星々が弾け飛ぶようだった。
羅睺が完全に消滅し、校庭裏には静寂が戻った。結界も静かに霧散していく。
シンは、その場に膝をついた。
全身から力が抜け、激しい疲労が彼を襲う。
しかし、その顔には、羅睺を討ち果たしたという、確かな達成感が浮かんでいた。
鈴とトワがシンに駆け寄る。
鈴の表情には、安堵と共に、彼の力に対する複雑な感情が混じっていた。
トワも真理鏡を仕舞い、その瞳はシンをまっすぐに見つめていた。
「すごい、シンくん……。本当に……倒しちゃうなんて....」
鈴が言葉を詰まらせた。彼の力は、確かに恐ろしい。だが、羅睺から学校を守ったのは、紛れもなくシン自身だった。
「これで、今回の羅睺は完全に浄化されました。憑陰シン君の能力……改めて、特異点として認識する必要がありますね。」
トワは冷静に分析しながらも、その声には、シンへの新たな尊敬の念が滲んでいた。
シンは二人を見上げた。
彼らは、羅睺を恐れることなく、共に戦ってくれた。
そして、彼の中にいる溟禍の力を受け入れ、自分を信じてくれた。
『はぁ……全く、キミはボクの最高のショーを、最後まで見ててくれたんだな。』
溟禍の声が、疲労困憊のシンの意識に優しく響いた。
その声は、傲慢な中に、かすかな満足感と、そして温かい響きを帯びていた。
シンは、その声に、無意識に惹かれている自分に気づいていた。
彼らの戦いは、まだ始まったばかりだ。しかし、この夜、三人の封禍師の間に、確かな絆が芽生えた。
そして、シンの中に宿る虚淵の存在は、彼らの運命を、より深く、そして激しいものへと導いていく。
影羅睺と憑羅睺の混合型を打ち倒した翌日、憑陰シン、神楽鈴、真理トワの三人は、封禍衆本部へと呼び出された。
放課後の校舎を後にし、黒塗りの車に乗り込む。
シンの心臓は、終始、不規則なリズムで高鳴っていた。
昨日の戦いで感じた高揚感と、虚淵の力への恐怖。
そして、これから向かう場所が、自分のような存在をどう判断するのかという不安。
様々な感情が渦を巻く中、彼は助手席から窓の外をただ見つめていた。
「大丈夫だよ〜憑陰くん。私たちがついていらからね〜」
後部座席に座る鈴が、静かにシンに語りかけた。
その声はいつもと同じく冷静だったが、その瞳は、まるで彼の心を読み取るかのように、優しく彼を見つめていた。
鈴の隣では、トワが真理鏡を片手に、本部の地下にある結界や霊力の流れについて淡々と説明している。
彼女の言葉は、シンを落ち着かせようとする彼女なりの気遣いだと、シンは感じ取っていた。
車は、街の喧騒から離れ、人通りの少ない旧市街の一角にある、一見すると何の変哲もないビルへとたどり着いた。
しかし、その内部は、重厚なセキュリティドアと、複雑な霊力結界によって厳重に守られていた。
二人の封禍師がIDカードをかざし、厳重なチェックを通過していく。シンの心臓はさらに速く脈打ち始めた。
本部の地下深く、無機質な部屋にシンが足を踏み入れると、そこにはスーツ姿の女たちと、厳めしい表情を浮かべた封禍師たちが座っていた。部屋の中央にある大きな円卓を囲むように、十数人の男女が着席している。
彼らの視線は、シンの中に宿る溟禍の存在を探るように、鋭く突き刺さった。
その霊圧は、羅睺とは全く異なる、しかし羅睺を圧倒するほどの強大なものだった。シンは思わず息をのむ。
「憑陰シン君。昨夜の件、詳細な報告を受けました。君の体内の虚淵の力、その存在と能力は、我々の常識をはるかに超えるものです。」
封禍衆本部のトップと思われる女が口を開いた。
彼の言葉には、賞賛と警戒、そして計り知れない戸惑いが混じっていた。女は、シンを危険視している。
だが、同時に、その力を必要としていることも、彼の言葉の端々から感じ取れた。
「虚淵の力は、羅睺を凌駕する。それは紛れもない事実です。しかし、その力は両刃の剣。制御を失えば、羅睺以上の災厄となりかねない。」
シンは身を固くした。
彼らからすれば、自分はいつ暴走するかわからない爆弾のような存在なのだ。
「そこで、君たちに新たな任務を命じます。」
男は、鈴とトワをまっすぐに見つめた。
「神楽鈴、真理トワ。君たちには引き続き、憑陰シンの監視を継続してもらいたい。だが、監視だけではない。これからは、君たちの知性と力で、彼の虚淵の力を羅睺討伐に活用する方法を確立してもらいたい。羅睺と虚淵、本来相反する二つの力を、羅睺を滅ぼす剣へと昇華させるのだ。」
鈴とトワは、迷いなく頷いた。彼女たちにとって、シンという特異な存在は、護神家と明神家の使命を全うするための、新たな「鍵」となっていた。
「そして、憑陰シン君。君には、封禍衆の一員として、羅睺との戦いに身を投じてもらいたい。」
シンは驚きに目を見開いた。ずっと羅睺から逃げ、力を恐れて生きてきた自分が、今、羅睺と戦うことを求められている。
『はぁ、ようやくボクの出番ってわけだ。キミたち、退屈な話し合いは終わりにして、さっさとボクの最高のショーを始めようじゃないか!』
溟禍の傲慢な声が、シンの心の中で響く。
彼女は、この状況を心から楽しんでいるようだった。
会議が終わり、三人は本部の廊下を歩いていた。鈴は、いつもの冷静な表情に戻っていた。
「これで、私たち三人の関係はより明確になったね〜。私は護神家として、君が虚淵の力に呑まれないよう『護る』。そしてトワが、その力を羅睺討伐に『活かす』。私たちの使命が、羅睺を滅ぼすための『剣』を形作るだよ〜」
鈴の言葉は、まるで揺るぎない決意のようだった。
彼女は、シンという危険な存在を恐れながらも、彼を信じ、共に戦う道を選んだのだ。
「私は明神家として、君の霊核と虚淵の力のメカニズムを解き明かす。羅睺の弱点、そして虚淵の力を最も効率的に使うためのデータ。それが、私たちの戦いの勝利に繋がる。」
トワも、知的な好奇心を燃やす瞳でシンを見つめた。
彼女にとって、シンは究極のパズルであり、その謎を解き明かすことが、彼女の使命だった。
シンは、二人の言葉に胸が熱くなるのを感じた。
孤独な戦いだと思っていた。
しかし、彼にはもう、共に戦ってくれる仲間がいた。そして、何よりも、彼の中にいる溟禍が、彼の背中を押してくれている。
「……僕、頑張ります。」
シンが小さな声で告げると、鈴とトワは、これまで見せたことがないような、微かな笑みを浮かべた。
その日の帰り道、シンはふと空を見上げた。羅睺の瘴気は、いつもより濃く感じられる。羅睺との戦いは、これからが本番だ。しかし、シンはもう、一人ではない。羅睺を滅ぼすという一つの使命を胸に、彼らの運命は、今、新たな局面へと向かっていた。
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