006「愚者」
ようやく白が自ら進んで紫閻の下に降ろうとするのをなんとかして止めたタイミングで、カガさんが戻ってきた。
手にしているのは一枚の御札だ。
「待たせてしまってすまないね」
「ああ、本当にな」
僕は不機嫌を態度に表して言ったが、カガさんは気にせず続けた。
「応急処置とは、この御札を貼ることだよ」
「その御札は何なんですか?」
白が質問したが、僕はそれがどのようなものなのかを知っていたので適当に聞き流そうと思った。が、しかし
「うん、そうだね。じゃあ、おさらいついでにヒビキくんに説明してもらおうか」
はぁっ!?なんで僕が説明しなくちゃならないんだよ。あんたのほうがよっぽどうまく説明できるじゃないか。
視線で訴えた(睨んだ)がニコニコ顔のままだった。全く動じない。
すげえムカつく。
「わかったよ。説明すりゃあいいんだろ」
「では、巧切さん、お願いします」
「そうだな、まあまずは、効果からだ」
そう言って僕は説明を始めた。
「この札には呪いを抑える効果がある。つまり、お前のそれは呪いなんだ」
「ええっ!?呪いっ!?私、何か他人に恨まれるようなことしました!?」
「その感じだと二パターンあるな」
そうなのだ。本人に呪いをかけられたという自覚がない場合は主に二つのパターンがある。
片方は呪った側、もう片方は呪われた側の問題だ。
「まず一つ目が、無差別的犯行だ。これは、殺傷事件などでも起こりうることがあるから簡単に想像がつくだろう。要は標的を定めず、全く見ず知らずの他人に危害を加えるという卑劣極まりない行動だ」
だがしかし、加害者にそのようなことをさせる動機ができるということに関しては、現代社会における問題というものだ。
「そうしてもう一つ目は、──無意識のうちに他人に恨まれるようなことをしているということ」
そういった瞬間、白の蛇の顔が暗くなった気がした。
「言っておくが白、俺はお前がそんなことを思われるタイプだとは思っていないぞ」
これは事実だ。
僕は白のことを少しも疑っていない。
……だが、僕の思っていることは今の白には関係ない。
僕は二つ目の理由を言ったことを少し後悔した。
と、そこで
「私もそう思っているからこそ、今回は力を貸しているんだよ。ほら、顔を上げな」
と僕の心も下を向いてしまっていたところにカガさんが優しく、白に声をかけてくれた。
「カガさんの言う通りだ。だからそんな暗い顔をするな」
僕もフォローする。
「すみません……」
「なあに、謝ることないさ」
さすがカガさんだ。
「それじゃ、説明の続きは私がしよう」
「はい、お願いします」
白の声は心なしか少し小さくなったようにも感じた。
「さっきヒビキくんが説明してくれた通り、君の呪いを抑える効果がこの御札にはあるんだよ。これを貼ることで姿が蛇から人間に戻るんじゃないかって算段。じゃ、早速試してみようかな」
「はい、どこに貼りましょうか?」
「抑えるためにはずっと貼っておかないといけないから剥がれにくくて目立たない所が良いんだけど……蛇の体だとどこかどの部位なのか全くわからないね」
「とりあえずお腹に貼ってみてはいかがでしょうか」
「そうだねじゃ、このあたりかな」
カガさんが御札をはろうとしたところで僕は気付いた、最も重要なことに。
「ちょ、ちょ、ちょっと、ストッープ!白、お前、今何も着てねえだろ」
「へ?あっそうでした」
「そうだろうが、危ねえな」
「おっと、すまない。そんなことにも気づけないとは。ヒビキくんが止めてくれなかったら危ないところだったよ」
危うく僕とカガさんが犯罪者になるところだった。
「じゃ、じゃあとりあえず、別室で紫閻にでも貼ってもらえ。おい、紫閻」
「なんじゃ?やっと鬼ごっこをする気になったか」
「違ぇよ。この札を白に貼れ」
少し乱暴な口調になってしまった。
すると、紫閻が言った。
「ふぅん、願い事をするときはどう頼むんじゃったかのぅ」
何だと!?こいつ、白の前であれをしろと言うのか。
「頼む。後で好きなだけ付き合ってやるから今は──」
「駄目じゃ」
くっ、こいつ。
どうしよう、絶対にやりたくない。どのようにして回避しようか。
………落ち着け、僕。
僕が今やらないといけないことは何だ?冷静になって思い出せ。
そうだ、白を早く戻してやらないといけないのだ。
本人が一番困っているんだ。そんなことに比べたら僕の面目なんてアリみたいなものだ。
僕は覚悟を決めた。
仕方ない、やるか。
僕は紫閻に向かって土下座をした。白の目の前で。
そして、紫閻はそんな僕の頭の上に足をのせ僕の頭をぐりぐりと踏み躙った。白の目の前で。
「どうか僕の願いを聞いてください」
「うむ、よかろう」
「あのー。これは一体何を見せられているのでしょうか?」
聞かないで欲しい。
「これは、主従の間でものを頼むときのやり方だよ」
と思っていたらカガさんが即答した。何やってんだよ!
「えぇっ!巧切さん、紫閻ちゃんの従僕だったの!?羨ましい。私もなっていればよかっ…………なんでもありません!」
「後半、本音ダダ漏れだったぞ」
紫閻に足をどけてもらった僕は白への疑惑を確信へと変えた。
「そ、その、とりっあえず、紫っ閻ちゃんにおっ札を貼ってきてもらいまっすね」
その落ち着きのなさは照れ隠しなんてものじゃなかった。
*
あれから、十分は経過した。
何故か、白と白の制服やらを持った紫閻が別の部屋に入ってから一向に帰ってこないのである。
紫閻の奴、白に何もしていないだろうか。不安になってきた。
そんな風に少し心配に思ってきたところでカガさんが僕に話しかけてきた。
「ねぇ、ヒビキくん。ヒビキくんはさあ、初めて人外に関わったとき、…私が君を助けたあの時どう思った?」
僕はあの時を振り返って答えた。
「正直言ってそんなこと、信じたくないって思った」
「だろう?ヒビキくんだったらまず疑うよね。私だってもしそんな状況なら、まずは疑ってかかる」
ああ、普通そうだ。そんなの作り話なんかでしか聞いたことない存在だと思ったからな。
「でもさあ、白ちゃんは違かったよね。あの子は、自分が呪われてると聞いたとき、それを真正面から受け止めた、いや、受け入れたんだよ。これは普通はできない。いや、もちろん、パニックになってたって可能性もあるだろうけどね。私は、違うと思う。あの子が受け入れたのは、───ヒビキくん。君のことを信頼していたからだよ」
なるほど、確かに僕は一度白を助けた。
本当に小さなことだがそれは僕にとってで、あいつからしたらそんな小さいことも大きなことなのかもしれない。
そして、カガさんは真剣な表情で僕に言った。
「だからさ、───ヒビキくんは自分のことを信頼してくれている白ちゃんを大事にしなよ。自分のことを頼ってくれた人を困らせるなんてあっちゃいけないよ」
そうだ、僕はさっき、躊躇した。
白は僕に助けを求めたのに、僕を頼ってくれたのにだ。
僕は一瞬、その思いを頭の隅へと追いやり、自分の面目などを優先してしまった。
そんなやつは愚かだ。
「…わかった」
「………ホントにね」
カガさんは最後にどこかしっとりとした感じで最後に一言呟いた。
「にしても、紫閻ちゃん達、遅いねえ。ヒビキくんちょっと呼んできて」
「アホか!自分で行けよ!お前は俺を犯罪者に仕立て上げるつもりか!?」
「そんなつもり無いよ。安心して。全責任は私が負うから」
「そういう問題じゃねえ!」
「それとも何だい?自分は御札の説明をほんの少ししただけだってのにそれよりもうんと働いた僕を更にこき使おうってのかい?」
クソッ!こいつ、ズルい!
「………分かったよ!行けばいいんだろ!」
しばらくの沈黙の後に僕はそう答え白たちのいるはずの部屋へと向かった。
扉の前に立つと妙な緊張感が湧いてきた。
僕は今から同級生の一糸まとわぬ姿を目にした犯罪者に成り下がるのかもしれないのである。
そう考えるとドアノブへと伸びる手がだんだんと遅くなるのも仕方のないことだろう。
……だが、いくらここで考え込んだって仕方がない。
僕は思い切ってドアノブをひねり扉を開け放った。
次の瞬間僕の目に映った光景は───
「はぁ、はぁ、は…………ぁ」
先刻の僕と同じ体勢、土下座をしたまま、紫閻に踏みにじられる白の姿があった。
顔は紅潮し、荒い息を吐いている。
そして、僕と目があった途端にその顔は更に赤みを増し、まるでリンゴのような色になった。
「巧切さんっ、違いまひゅ!なにかの間違いです!」
「お前は正真正銘のロリコンだっ!」
犯罪者は白のほうだった。