学者の弁当
ゴツン・・・!
バタンっ。
衝撃を感じたのです。
なんだろう。
そう思って足元に意識をやると、体温を感じたんです。
御人が、横に倒れて突っ伏しておりました。
「いったたたたたたたた!」
その御人は、スーツ姿。
これまで訪れた人間たちとは、全く違う、
およそ、森にはふさわしくない服装でした。
「はは、まーたやってしまったのぉ、ワシとしたことが。クラクラするのぉ。おぉおぉ、大丈夫じゃったか」
どうやらよそ見をしていたようで、私めとぶつかってしまったようでした。
「よしよし、痛かったのぉ」
痛いのは自分の方のはずなのに、
自分は大きなたんこぶをこさえておりましたのに、
自分のことよりも、私めをさすってくれたんですね。
というか、はじめてのことでした。
こんなにも私めに優しく声をかけてくださった御人は。
「はっはっは!しっかし、ここは楽園じゃのう。3食を忘れて、夢中になれるわい」
そう言って御人は、荷物を起きました。
「ん、んんんん?おまんは・・・誰じゃ?」
私めはなんせ宇宙からやってきた樹木。
とても珍しかったのでしょう。
「こんな木ははじめて見たわい。この網目模様の樹皮。おぉおぉ。なんとまぁ。おや、あれは花かいの。どれどれ・・・。おんや、まぁ、こんなほっそい黄色の花が。まるで、お星様じゃのう。星のなる木じゃのう。あぁ、まだ頭がクラクラする。お!おおお!ひらめいたぞ」」
御人は、ふらつき、横になりました。
そして、大きなたんこぶをおさえながらこうおっしゃいました。
「うむ。ワシは、”トミタ”いうもんじゃ。これより命名の儀を執り行う。草木の精トミタがこの者に名前を授ける。おまんは、”ヨクグラノキ”じゃ」
はは。
もう、トミタ様はですね、ある意味豪快ですよ。
クラクラして、横になったもんだから、ヨコグラノキ。
なんと安直な。
でも、私めは、この名前は気に入っております。
いつでも、トミタ様との出会いを思い出すことができるのですから。
トミタ様は、よくこの地に通ってくださいました。
来る度に言うんですね。
「おぉおぉ、元気にしていたか、ヨコグラノキ」
「調子はどうだ?ヨコグラノキ」
いつもスーツ姿で、立ち止まって、一礼をして、声をかけてくださいました。
でも、マキノ様は、本当にもう困ったお方でして。
「お、もうこんなに日が暮れちゅう。急いで帰らねば!」
いつも地面にはいつくばって這いつくばって植物観察をされていたので、
時間を忘れてしまうんですね、よく。
顔を上げて空を仰いだときには、もう夕暮れも過ぎておりまして。
で、せっかく奥様がつくってくださったお弁当を置き去りにして帰ってしまうんですよ。
すると、暗闇の中、動物たちがやってきて、
そのお弁当をおいしそうにおいしそうに食べるんですね。
そのお弁当を食べた動物たちは、病気の者もたちまち回復してしまうようでして。
いっとき、行列ができたくらいです。
でも、お弁当はいつもたくさんの量があるわけではありませんから、みんなが食べることはできないわけです。
あぁ、私もいただきたい。私もいただきたい。
そんな気持ちが強くなったある日、マキノ様がいつものようにここへやってきて私にこう告げるんです。
「ワシ、西京さ、行くことになったき。おまんとは、しばらく会えん。今日は、お別れを言いにきたんじゃ」
森がしんと鎮まりかえったのを覚えています。
「最後に、今日は、思う存分に植物と挨拶をしていくき」
そう言って、また地面に這いつくばって、時間を忘れて、いつのまにかいなくなっていったんです。
残されたのは、私のもとに置かれたお弁当だけでした。
あぁ、もうマキノ様にお会いできないのか、と思うと同時に、
私の脳裏によぎったのは、動物たちのことでした。
このお弁当が彼らの元気の源だったかもしれないのです。
彼らがもう、このお弁当を食べることができないと思うだけで、胸がしめつけられました。
叶うことなら、このお弁当を私めがいただきたい。そして、その味を再現したいと心に決めたんです。
そうしたら、私の全身が光に包まれ。
気がついたら、この精霊の姿になっていたのです。
星水でここまで生長してきたとはいえ、それ以外のものを口にしたことのなかった私は、すぐにそのお弁当を口にしたいと思いました。
そして、一口。
おかずを口に入れたときに、衝撃が走りました。
それは、私め共の星が地球に降り注いだときの衝撃とは比べ物にならないくらいの柔らかで、優しいものでした。
大地のルミナがいっぱい詰まった野菜中心のおかず。
そして、マキノ様の奥様が、自分の手でにぎられたおむすび。
人間界には、こんな方法で癒しと幸せをつくることができるのか、と感激したのです。
それから、私めは、ここを褥に、宿を開いたのです。
動物たちも、精霊も、妖精も、人間も。
みんなが、ゆっくりとくつろげる場所をつくったのです。
あれから2度とトミタ様が現れることはありませんでしたが、
西京できっとよい余生を過ごされたんだと思います。




