葬儀爆笑
亡くなった男は、あるハウスメーカーの社長だった。
葬儀にこれだけの人が集まるというのは、人望だけではないだろう。
ローカルではあるが、テレビCMも流している準大手のハウスメーカーらしい。
だが俺は、この朗らかに笑う遺影の紳士のことを全く知らない。
警察という仕事柄、これまでに何度か葬儀に参列してきた。
殺人や危険運転致死の被害者の葬儀であったり、一度、殉死した警察官の葬儀にも参列したことがある。
その時は怒りや決意、様々な感情が浮かんできたものだが、全く知らない奴の葬儀に参列するというのは、表現しがたい感覚だ。
他人の死であり、悲しくも寂しくもないが、泣いている参列者を見ていると、無感覚の自分がおかしいのかとも思う。
それにしても、久しぶりのスーツにネクタイというのは、息苦しいもんだ。
よくこんなものを年がら年中着ていたものだと思う。
葬儀場に来る途中、外国人留学生と思しき青年に「ジャパニーズマフィア」と言って写真を撮られた。
まぁ、見ようによってはそう見えなくもない。
大和撫子。
亡くなった紳士の妻であろう、初老の女性を見たときにその言葉が浮かんだ。
真っ白な頭だが、老婆というにはあまりにも失礼で、立ち居振る舞いが凛としている。
スタイルの良い女性や美女はいくらでもいるが、「大和撫子」と呼ばれる女性は、気品と、どこか覚悟にも似た芯の強さが、美しさとして外に出ている。
「この人だな。」
そう思いつつ、俺は辺りを見回した。
株式会社と書かれた供花が多く、中には誰もが知る大会社の肩書のものや、政治家の名前も2、3ある。
何段にもなった花は、大物俳優の葬儀の時にテレビで拝むくらいしかない。
集まった人数もすごいが、これだけ立派な葬儀の費用も、相当なものだろう。
俺だったら、絶対にこんな大がかりな葬式はごめんだ。
誰にも知られず、何年か経って、「アイツ死んだらしいぞ。」と言われている方がいい。
それにしても。
こんな中で、俺は笑わないといけないのか。
自分がここに来た理由を思い出すとため息が出た。
主人の葬儀で笑っていただけませんか。
そんな変な依頼があった。
依頼主は、電話の声や話し方からして六十歳前後の女性。
いたずら電話かとも思った。
なにせ週に1回程度はいたずら電話がある。
「いますぐ笑って。」
という無茶ぶりから
「わーっはっはっはっは。」
と電話に出るといきなり笑っているもの
「ちんちんがおもしろいのはなんでですか。」
という児童からの電話などなど。
しかし、そんな年のいった人がいたずら電話をすることはないだろうし、声のトーンもいたって真剣だ。
女性が鎮痛な声で葬式で笑ってほしいとは、のっぴきならない理由があるのだろうが、俺にだって倫理観くらいはある。
いや、俺こそ倫理観の塊といっても良いだろう。
公務員として、事あるごとに公務員倫理について教養を受けてきたし、警察官として常に高い倫理意識が求められてきた。
被疑者を殴ったり、ノーヘルでバイクを乗り回したり、銃を撃ちまくったり、そんなひと昔もふた昔も前の刑事ドラマのようなことは少なくともこの二十年はやっていない。
そんな俺が、人の葬式で笑うなんて不遜なことはできない。
3日後にローンの引き落とし日が迫っていなければ、間違いなく断っていた。
そう、間違いなくだ。
葬儀は、涙雨と言うにピッタリの、しとしとと雨が降る中で行われた。
当然ながら厳かな雰囲気だ。
まさか、この葬儀で笑いが起きるなんて、誰も思っていないだろう。
笑うタイミングや笑い方、声の大きさなど、綿密に事前打ち合わせするのが、笑い屋としての俺のスタイルだ。
なんでも笑えばいいというものではない。
笑う、というのは「間」が大きく関係する。
それに、笑い声の大きさというのも重要だ。
笑い方にも種類がある。
口を大きく開けて元気に笑うものもあれば、クスッと笑うもの、狂気を感じさせる笑い方。
それぞれに使い方があり、それを間違えれば、素っ頓狂なものになる。
依頼者の要望はどのような笑いなのか。
どんなタイミングで、どの程度のボリュームで。
周りを誘い笑いさせたいのか、笑いで恐怖に陥れたいのか。
笑いほど、感情を揺さぶるものはない。しかも引き起こす感情の幅が広い。
通夜と葬儀の準備で忙しい合間を縫っての依頼の電話だけで、その打合せが今回できていない。
依頼人からの注文は2つだけだった。
「気の毒だよな、奥さん。」
「あぁ、専務に会社持って行かれたもんな。」
「後3年、社長が生きてたら、息子が社長になってだろうに。」
「こればっかりはなぁ。」
「それに社長、外に愛人いたらしいぞ。」
「うわ~それは辛いな。」
「おい、あそこにいるのが、愛人と子どもだろ。」
「え、あの子連れの? どう見ても三十前半だろ。社長もやるなぁ。」
「しかも、社長の遺言で、遺産は愛人と、その子に渡すとか。」
「マジか。会社も遺産も持って行かれたって辛すぎるだろ。」
遺言で遺産を相続させるとなっていても、実際には妻や子には遺留分があるから、多くの遺産が渡るのだろうが、この若者たちの噂話が本当なのだとしたら笑えない状況だ。
俺は大和撫子の気持ちを推し量った。
そして依頼人の言葉を頭で反芻する。
「主人の顔を見て思いっきり笑ってください。」
依頼人の注文は、亡くなった旦那の顔を見て、思いっきり笑うこと。
どのような思いを持って、依頼してきたのだろうか。
怨み。怒り。情けなさ。悲しみ。
どのような言葉でもっても、あの大和撫子の気持ちを表すことはできないのだろう。
同時に、この依頼は遂行すべきでないとも思われた。
噂話が本当なら、一時の感情に流されたのではないのかもしれない。
鬱屈とした思いは、ともすれば何年、何十年と積もったのかもしれない。
ただ、積もり積もった感情が依頼につながったにせよ、負の感情から葬式で笑うよう依頼したなんて、後悔するのではないか。
嫌な思いはあっても、きっと良い時代だってあったはずだ。
色々な思いはあれど、故人を偲ぶ。
葬式は人生で一度切りだ。
後悔しても、もう一度葬式をすることはできない。
職業倫理として、断るべきではないか。
帰ろうと思ったとき、俺の逡巡を見透かすかのように、大和撫子は俺と目を合わせ、ゆっくりとお辞儀した。
俺の胸ポケットのインコを見て、俺が笑い屋だとわかったのだろう。
その涼やかな所作を見て、俺は逃げ出すことができなくなった。
滞りなく葬儀が進む。
坊さんがお経を忘れた。
「ちょっと待ったー!」と誰かが急に入ってきた。
近くに隕石が落ちた。
雷が落ちて死人が生き返った。
理由はなんでもいいが、葬儀が中止にならないかという期待は、当然叶わなかった。
献花の時間となる。
顔を見て、という依頼人の注文なので、笑うタイミングとしてはここしかない。
俺はようやく覚悟を決めた。
前の者たちが、神妙な面持ちで献花をする。
中には泣く者もいる。
俺の心臓は早鐘を打った。
ええい、それでも大阪府警の元捜査1課長か。
依頼人、市民の負託に応えるのが俺の使命だろう。
自分に叱咤激励する。
棺桶に近付く。
死に顔を見ても、「あぁ死んでるな。」と思う程度だった。
知り合いでも何でもないのだから仕方ない。
ただ、これから笑うことに対して、故人に詫びる。
「あんたにゃあ怨み辛みも思い入れもないが、奥さんの依頼なんでな。許してくれ。」
手を合わせ、心の中でつぶやく。
むふふふふふっ。
うつむき、肩を揺すらせ、まずは小さい笑いから入った。
依頼は「思いっきり笑うこと」だった。
わははははははっ。
口を大きく開け、上半身をのけ反らせながら、上を向く。
へぇーっへっへっへ、ひひひひー。
次に腹を抱えて笑う。
思いっきり笑う、という注文だから、きっと元気な明るい笑いをご所望だろう。
面白くて仕方ないという笑いを、とくと御覧じろ。
あーへっへっ、はーひーひ。