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新規案件

 新しい依頼があった。

 電話の声からすれば、五十代くらいのマダムだろうか。

 ホームページを見て電話をしてきたという。

 この電話はこの一週間近く鳴っていない。

 気が変わらないうちに、依頼してもらうに限る。

 俺は2時間後に有楽町の喫茶店で会う約束を取り付け、電話を切った。

 電話を切る直前、「目印に、胸ポケットからインコのぬいぐるみを出してますんで」と伝えた。

 これはまっちょフィフティーフィフティーの案件の時に、広報担当の信書開封からもらったものだ。

 目印としては抜群で、相手はすぐに俺のことを認識してくれる。

「インコのぬいぐるみ? さすが笑い屋さん、面白いですね」と言われた。掴みとしてもバッチリだ。


 喫茶店に現れたマダムは、肌つやも身なりも良かった。

 マスクをしているから口周りは見えないが、目元は張っているし、三十代と言われても納得しただろう。

 高価な物を品よくまとめて身に着けている。

 こういうタイプは自意識が高く、自制心も強いが、ちょっとしたことでパニックになる。

 振込詐欺の被害者にならないよう、注意してもらいたい。

 昼過ぎということで、お客は多かったが、俺が座るテーブルの両隣は空いていた。

 店内には参考書を開いている学生もちらほらおり、もうちょっと高級な喫茶店でも良かったかなと思ったが、マダムは気にする様子はなかった。

 それよりも、「笑い屋」が強面だったことに驚いたようだった。

 俺は目印として、胸ポケットからインコのぬいぐるみを出していた。

 ただ、実際にこの目印を見ても、俺に声をかけてはこないのが常だ。

 マダムも俺の方をチラチラと見るのだが、俺に話しかけようとはしない。

 俺はマダムの情報を知らないので、確信はないのだが、「すんません」とマダムに声をかけた。

 マダムは「ひぃぃ、ごめんなさい」と声を出したが、俺が「笑い屋の」というと、「えっ、やっぱりあなたが」と返された。

 「闇組織の方だと思って。」

と言うのだが、闇組織ってなんだ。

 早速依頼内容を聴くと、芸人である息子のお笑いライブに観客として参加して、笑ってきてほしい、感想を教えてほしいというものだった。

 息子は、脱サラして芸人となり、もうすぐ七年になるが、テレビに出たことは一度もないのだという。依頼人の夫は、芸人になるという息子の意見に大反対して絶縁状態となり、依頼人も息子に会っていない。

 息子は一流と評される大学を出て、これまた一流と評される会社に入社したものの、突然会社を辞め、芸人になったのだという。

 なんとなく気が進まない。

 まず、最近の芸人の笑いは、俺には何がおもしろいのか分からないことが多い。

 観客として参加してという依頼であるので、以前依頼のあった、まっちょフィフティーフィフティーの時とは違って、笑うタイミングを事前に打ち合わせするなど、こちらで調整できない。

 つまり向こうが笑わせにくるタイミングで、自然に笑うということが必要だが、俺にとってはその笑うタイミングが難しいということだ。

 これは「笑い屋」にとって致命的だ。

 こないだ、金髪ひげ面の芸人が「友達とゲームで遊びたい」と言うと、その相方が「なんで友達と遊ぶねん。お前は友達しばきまわしてる顔やろ」というツッコミで大爆笑が起きていた。

 それを言うなら、俺は「凶悪犯、半殺し顔」などになるのだろうが、それは一体面白いのだろうか。

 次に、「面白くなかった」と正直に言えば、この母親は傷つけることになるだろう。

 それなら、面白かろうが面白くなかろうが、俺は面白かったというしかない。

 そこまではまだいい。

 この母親は、俺が笑うことで息子に自信を持たせようと思っているのだろうが、果たしてそれが息子にのためになるのか疑問だ。

 芸能の道は厳しい。中途半端な自信で進める道ではない。

 そこら辺を考えると、母親が直接行くのが良いと思うが、事務所兼自宅のローンの支払い日も近いので、「自分で行ったらどうですか」とは言わない。

 俺は前金と、四日後に息子が出演するライブのチケットを受け取った。


 50くらいの客席のうち、観客は俺を入れて十人もいない。

 この劇場だけ緊急事態宣言が継続されているのか。

 平日の昼間ということを考えても、人気の無さがうかがえる。

 今日のような誘い笑いの依頼の場合、会場の大きさや、他の観客の入り具合というのは仕事に直接影響する。

 場所取りも重要だ。

 例えば、ステージの真ん前で俺だけ大爆笑していたら、演者は俺が気になってしまう。俺も顔を覚えられたくはない。

 逆に、後方が大爆笑していると、観客は後方が気になってしまう。見えない後方で何か起きているのではないか、とステージから気が逸れてしまうのだ。

 そこで、真ん中よりも少し前めを良しとする。

 そして、様々な要素を考慮して、笑い声の大きさを調整する。


 対象者は二組目だった。

 「ビーフじゃ~き~」というコンビ名だ。

 ボケのイワシと、ツッコミの谷中の漫才コンビ。今回依頼があったのは、ボケのイワシの母親だった。

 ジャーキーと聞くとジャンキー(薬物中毒者)を思い出すので、笑えないコンビ名だと思っていたが、なかなかに腕のある漫才師だ。

 せわしなく動き回る漫才師も多い中、マイクの前に立ったまま動きはほぼなく、喋りで勝負しているのは好感を抱く。

 俺が商品としての笑いではなく、自然とこぼれた笑いで声を出したのは何年ぶりだろうか。

「はい、吉備団子をどうぞ。」

「知らない人から物をもらったらダメって言われてるんで。」

 軽妙な二人のやり取りに、ふふっ、と笑いが漏れた。

「はい、吉備団子をどうぞ。」

「・・・カロリー高くない?」

 はははっ、気づけば仕事を忘れて笑っていた。

 無理に笑ったのでもないのに、客席で笑い声をあげているのは俺だけだった。

 イワシと目が合った気がした。

「ええからついてこいや!」

 おもしろい。これだけ笑ったのは久しぶりだ。


 終演まで全て観たが、出演者二十組中「ビーフじゃ~き~」が一番おもしろかった。

 群を抜いていたと言ってもいい。

 中にはつまらな過ぎて寝そうになったものもあったが、他の観客の笑い声で目が覚めた。

 確かに芸能の道は厳しく、実力だけで売れる世界ではない。

 ただ、「ビーフじゃ~き~」は売れるだろうと俺は確信して、劇場を出る時にはスッキリした気持ちになっていた。

 面白い漫才を観て、依頼者に面白かったという。

 気持ち晴れ晴れ、依頼者も安堵。

 これほど良い仕事もないだろう。

 「ビーフじゃ~き~」の面白い点、他の出演者とは一線を画している点をまとめていると、マダムの喜ぶ顔が浮かんできた。


 翌日。

 午前十時にマダムが来た。場所は前回と同じ喫茶店だ。

 男を連れていた。

「こんにちは。こちら息子の祐介です。昨日、見られたからお分かりですよね。」

とマダム。

「もちろんわかります。イワシさんですね。」

 マダムが連れていたのは、「ビーフじゃ~き~」のボケ担当のイワシだった。

 俺が「イワシ」と言ったとき、マダムの眉毛がピクリと動いた。

「昨日、息子たちの漫才を観て、正直どう思われましたか」

 マダムが俺に問いかける。

 俺は間髪入れずに、きっぱりと

「おもしろかったです。」

と答えた。

 これは雇い主のご機嫌うかがいでもなんでもなく、正直に出た回答だった。

「おもしろい漫才を観せていただきました。どういうところが良かったかと言うと」

 俺が、慣れないパソコン操作でまとめた調査結果を鞄から出そうとすると、マダムが止めた。

「結構です。祐介、聞いたでしょう。」

 マダムはイワシを見た。

 イワシは何も言わずに何度かうなずく。

 イワシとはよく名付けたもので、魚に弱いと書き、庶民の味方と言われる鰯よろしく、いかにも気弱で、物腰の柔らかそうな青年だ。

「・・・芸人やめて、親父の跡継ぐわ。」

 イワシの言ったことが意外過ぎて、俺の口から「ほえっ」と珍妙な声が出た。

「え、やめる? 芸人を?」

 俺はイワシに聞き返した。

「はい、やめます。」

 イワシは俺と目を合わせようとはしない。いくら鰯でも、俺が取って食うわけでもないのに。

 俺の頭は混乱してまともに動かないでいる。

 何を言っているんだ、もったいない。ビーフじゃ~き~には笑いのセンスがある。なにせこの俺を心底笑わせたのだ。

「笑い屋さん。あなたが笑い屋さんだということは先ほどこの子に伝えました。」

 マダムが俺に向かっていう。

 そして、イワシに向かって続けた。

「この人は『笑い屋』なの。あなたの漫才を観て、笑うのが仕事なの。さっき、あなたは『すごいウケてた』って言ってたけど、それはこの人が『笑い屋』だからよ」

 違う違う。確かに俺は笑い屋だが、昨日のビーフじゃ~き~の漫才に限っては、笑い屋だから笑ったのではない。純粋におもしろかったのだ。

「私が頼んだ笑い屋さんだから、あなたのことは決して悪く言わない。それに他に笑ってる人はいなかったんでしょう?」

 イワシはうなだれるように頷いた。

「いや、あの、私が笑ったのは・・・」

と言いかけたところ、マダムが言った。

「笑い屋さん、ありがとうございました。息子も踏ん切りがついたようです。ではこれを。」

 そう言って、マダムは封筒を置き、イワシと店を出た。

 マダムは息子に漫才師としての自信をつけさせたかったのではなく、芸能の道を諦めさせるために、笑い屋の俺を使ったのだ。

 イワシには悪いことをした。

 やっぱり引き受けるんじゃなかったと思いつつ、テーブルに置かれた封筒の中を見ると、望外な謝礼が入っていた。

 やはり仕事は選り好みしないに限る。






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