決戦直前
気になるのは、当の本人のまっちょが一言も発していないことだ。
そこにいる誰もが、まっちょなんて居ないかのように、まっちょについて話している。
確かに自分が原因を作ったのだから反省するのは分かる。相当叩かれて、疲労困憊でもあるだろう。
しかし、謝罪会見に出るのはまっちょだ。
「まっちょさんはどうしたいんですか?」
と俺は聞いてみた。
速度超過も、信書開封も、公わいも、驚いたようにまっちょを見る。まっちょが居ることに初めて気づいたような反応だった。
うつむいたままのまっちょにもう一度尋ねる。
「まっちょさんはどうしたいんですか?」
俺の質問を遮るかのように、信書開封の広報担当が言う。
「まっちょがどうしたいなんて関係ありませんよ」
キンキンに冷えたビールジョッキよりも冷たい声だった。犯人逮捕後の生ビールは格別だが、そんなに冷やされても困る。
「ぼ、僕は」
まっちょが初めて口を開いた。
「記者会見なんて、したく、したくありません。もうそっとしてほしいんです。」
意外と強い口調だった。
「おいおい、それはないだろう。前の事務所をクビになって、行く所ないからって米津さんを頼ってうちに来たんだろ? 全然売れなかったお前が、うちで芸風を変えたから売れたんじゃないか。恩ってもんがあるだろ」
速度超過の副社長が、まっちょの意見を猛スピードで打ち消す。
「それは本当にもう、感謝してます。でもこの1年近く休みなく働いてきたので・・・」
「充分儲けただろう、って言いたいのか? 今、CM4社だ。賠償金がいくらかかると思ってんだ。億だぞ、億」
「まぁまぁ、こんな調子の内乱罪が、いや、まっちょさんが、謝罪会見で笑いで起死回生を図っても、誰も笑いやしないでしょう。もちろん私も尽力しますがね。」
「それじゃ困るんだよ。まっちょは今ではうちの看板背負うくらいにまでなってる。うちはそんなでっかい事務所じゃない。まっちょがやらかしたら、うちの事務所に所属してる他の奴らにまで影響がある。」
速度超過の副社長は、ただの爽やか青年ではなかった。こいつも会社を背負っているのだから必死だ。言葉も強くなる。
が、俺と目が合うと副社長は「すいません」と謝った。
相手を黙らせるのには、強面というのも悪くない。
不意にドアがノックされた。
キツツキのような間断ないノック音から、ドアの前に立つ者のイライラが伝わってくる。
公わいのマネージャー糸井がドアを開けた途端、女性のかな切り声が聞こえた。
耳をつんざくその声が、室内に充満してくると、真っ赤なスーツを着た五十代の女性が、副社長の速度超過をキッと見ていた。
「前澤さん、損害賠償の件を話しに来ましたよ。」
体中に気の強さが貼り付いている。
一体どこで赤のスーツなんて売っているんだと思ったが、もしかしたら元の色はグレーとかで、この女性の闘魂のオーラが、スーツの色を真っ赤に染めているのかもしれない。
「大田原社長、その件は・・・。」
副社長の速度超過が言いかけたところで、大田原社長と呼ばれたその女性がすぐに口を開いた。
「うちのミウがようやく軌道に乗りかけたところで、ほんとに。」
と言ったかと思うと
「うちのかわいいミウをそそのかしやがって。」
と今度はまっちょフィフティーフィフティーを睨んだ。
「ミウは芸能界引退ですよ。週刊誌に名前を載せないよう言ったけどダメで、一般人なら『元モデル』で済むっていうからね。」
そこに座っている面々を睨回した。
この大田原という女性社長は、まっちょフィフティーフィフティーの不倫相手である元モデルMの事務所の所長なのだろうと察しがついた。
「ミウもここまでくるのに何年もかかってんの。それが小汚いオッサンのせいで一瞬でパァ。百万や二百万で済む話じゃないからな。」
さすが芸能事務所の社長をしているだけある。
やはりこれくらいの圧力は持っていてしかるべきなのだろう。
警察官として、これまでに何百人という犯罪者に出会ってきたが、これほど迫力のある者もそうはいなかった。
俺は大田原という社長に「騒音オバサン」とラベルを貼った。
誰もが口をつぐんで下を向いていたが、大田原の携帯電話が鳴った。
「・・・あーはいはい。そう。分かった。すぐ行く。」
そう言って電話を切った。
何があったのかはわからないが、この闘魂社長がすぐにどこかへ行ってくれるというのはありがたい。
「じゃあ、私ちょっと急用ができたから行きますけど、またすぐに連絡しますからね。」
嵐のように去っていった。
嵐の後の静けさ、という言葉があっただろうか。
大田原という嵐が去ると、その場にいる者たちの口はますます重くなった。
そのまま朝を迎えそうになったところで、取り敢えず思いつくままに意見を出すことになった。
いわゆるブレインストーミングってやつだ。
ただ、まっちょは終始うなだれたままで、速度超過は無難過ぎ、信書開封は奇をてらい過ぎ、公わいはすぐに話がずれる。
出た案を書いた紙はグチャグチャで、走り書きを読んでも、どういう意味だったか分からない。
こういう場合、良い案というのは出てこない。向いている方向がバラバラだからだ。
捜査会議で煮詰まる時というのは情報が全然無いか、あり過ぎる情報がバラバラの時だ。
俺は話をもう一度整理する。
「謝罪会見はするということでいいですね。」
まっちょ以外の三人がうなずく。
「もう報道にも謝罪会見をするって伝えました。」
と広報の信書開封。
「そして、この謝罪会見を面白いものにすると。」
また三人がうなずく。
「お通夜みたいな謝罪会見だと、リポーターたちの格好の餌食だ。」
と副社長の速度超過。
「ただし、まっちょさんには巧みな話術というのはない。」
またまた三人がうなずく。
「話術なら僕の方があります。」
とマネージャーの公わい。
「それなら、会見が長引けば長引くほど、まっちょさんには不利になるということです。サクッと終わらせるのが鉄則です。」
「いや、それはリポーターが許さないでしょう。」
「世間も許しませんよ。『逃げた』だのなんだのと叩かれます。」
皆が口をつぐむ。
ハァ、と誰かのため息が聞こえた。警察で徹夜には慣れたつもりだったが、久しぶりだとこたえる。頭が痛いし、目の奥に疲労が溜まっている。
そんな時に、神のお告げが聞こえた。
「ムーチョ、ムーチョ」
いや、それは実際にはインコのパロの鳴き声だったのだが、俺には天からのお告げのように聞こえた。
「まっちょフィフティーフィフティーではなく、別人として謝罪会見をするというのはどうでしょう?」
と思いついたままに口に出した。
「なんですか、それ?」
「まっちょさんが、新しい芸人、むーちょフォーティーシックスティーとして登場し、謝罪会見をするんですよ」
「仰ってることが分かりません」
「むーちょはまっちょの双子の兄です。謝罪会見は、まっちょさんが『この度は私の双子の弟、まっちょフィフティーフィフティーが騒動を起こして申し訳ございませんでした』って謝るところから始まります」
「えっと、むーちょってまっちょさんのことですよね」
「そうです。まっちょさんがむーちょに扮して登場します。これだと、自分のことなのに、まるで自分のことでないように話せるので、客観的に、イジったり、無茶苦茶言ったりできるわけです」
「というと?」
「例えば・・・『まっちょのやつ、モデルさんと付き合うなんて羨まし過ぎるだろ! すいません、つい本音が出てしまいました』とかね」
三人が考えるように唸る。
恐ろしく間があった。
「それ、画期的」
副社長が口火を切った。
「うん、うん、うん。画期的だ。そんな謝罪会見、見たことない」
と副社長は何度も頷いた。
「確かに、それなら話しにくいことも、第三者的に話せるか」
と広報が続く。
「会見をしたのは飽くまで兄貴分のむーちょだから、失敗してもまっちょの評判には傷がつかないですね」
とマネージャー。
むーちょフォーティーシックスティーという名前は白けないかと広報担当の信書開封が言ったが、新たに名前を考えている時間も余裕もないということで、このネーミングとなった。
こうして、旬の芸人、まっちょフィフティーフィフティーが、双子の兄のむーちょフォーティーシックスティーとして登場するという、芸能界の歴史に残る、前代未聞の謝罪会見を行うことになった。
きっと、俺たちは考え過ぎたせいでおかしくなっていたのだ。
急場でむーちょフォーティーシックスティーのキャラを考える。迷っている時間はない。
裸芸というのはまっちょフィフティーフィフティーと同じ。
というか、まっちょフィフティーフィフティーにはそれしかできない。
ただ、股間はインコのパロで隠すわけにはいかない。
カメラアングルが打合せできるテレビ番組とは違い、複数台のカメラが来ることが予想される。
インコのパロでは、アングルによっては、まっちょのインコが見えかねない。
何で股間を隠すか。
ドライヤー、空き缶、時計、近くにある物で試していく。まるで中学二年生の悪ふざけだ。
その時、広報が持っていた販促用のパロのぬいぐるみが目に入った。このぬいぐるみを透明テープでまっちょの下半身に巻き付けた。
むーちょの決め台詞は「ロクヨンでアウト」となった。
この決め台詞を言ったところで、笑い屋の俺が笑うことも決まった。
この時点で、謝罪会見まで1時間を切っていた。