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謝罪会見

 カメラのフラッシュが一斉にたかれた。

 謝罪会見は一体誰に対するものなのだろうか。

 謝罪だけなら、謝りたい相手にすればいい。公にする必要などない。むしろ相手としては公にしてほしくないかもしれない。

 世間をお騒がせしたことに対する謝罪。

 もっともらしい説明だが、誰がそんなことを謝ってほしいと思っているのだろう。

 「世間」とは誰だ。

 世間はそんなに暇なのか。

 怒っている、憤っている者のほんどが、部外者ではないのか。

 結局、テレビ業界で力を持つワイドショーが、過激な誘い文句で視聴者をテレビの前に座らせたいだけだろう。

 連日のように、頭を下げる映像が流れ、その映像を見たコメンテーターが「誠意が見えない」、「言い方が悪い」、果ては「腕を組んでいた」など一挙手一投足に批判をする。

 謝罪会見をしなかったら「逃げた」とか「説明責任が果たされていない」とか言われ、自宅や親の家まで記者が追っていく。

 謝れ。説明しろ。

 これらは空いた時間を埋めるためのものであり、誰かの飯のタネであり、話のネタになればいい。

 謝罪会見で不適切な発言でもしてくれれば、攻撃の的を作ってくれることになる。

 生き恥を作っている分、切腹よりもタチが悪い。

 謝罪会見はいつから日本の文化となったのだ。


 さて、今日の仕事場は、不倫をしたお笑い芸人「まっちょフィフティーフィフティー」の謝罪会見の会場だ。

 お笑い芸人には疎い俺だが、この仕事のために、まっちょの芸というのをチェックしてきた。

 マッチョとは程遠い、たるんだ腹を出して、籠に入ったインコで股間を隠し、まっちょが決め台詞の「ちょうどいい」を言うと、インコが「フィフティーフィフティー」と鳴くという芸だ。

 はっきり言って何が面白いのか俺には分からないが、インコが動いてしまうと股間が露わになるというドキドキがあり、インコを使うというその斬新さに加え、蝶ネクタイをしたインコの「パロ」の可愛さも手伝って、一躍売れっ子芸人となった。

 相方であるインコのグッズも売り切れ続出で、ペットショップからインコが消えたとすら言われている。

 三十年近く売れなかった苦労話と、その売れない時代を支えてくれた妻との涙もののエピソードもあり、まっちょフィフティーフィフティーの好感度は高かった。


 だからこそ、まっちょが二十歳以上年下のモデルMと不倫をしているという記事が週刊誌に載ると、一転して窮地に立たされた。

 まっちょとモデルMは、まっちょがインコと共に営業に回っていたバンで逢瀬を重ねていた。

 多くの番組にレギュラー出演していたまっちょだが、一気に降板に追い込まれた。


 謝罪会見という笑えない場に、なぜ「笑い屋」の俺がいるかというと、このまっちょの所属する芸能事務所から依頼があったからだ。

 まっちょの所属事務所としては、テレビにCMに引っ張りだことなったまっちょには仕事を続けてほしい。

 一時的な謹慎は仕方ないものの、謝罪会見を芸人らしい「面白いもの」にできれば、復帰は早いと目論んでいる。

 芸能人の中には、不祥事で謹慎に追い込まれた後、復帰後はそれをネタにして、謹慎前よりも売れたという例も珍しくはない。

 現に、先日、不倫で謝罪会見を開いた別の芸人Bは、会見を終始笑いで乗り切り、軽妙な返しとキラーワードを連発。

 謝罪会見の様子はネットで百万回以上再生され、謝罪会見をライブ会場に変えたとまで言われた。

 人気に陰りが見えていたBだが、その話芸でむしろ評価が上がり、謝罪会見後にオファーが殺到したという。


 しかし、まっちょには芸人Bのような話芸はなく、柔軟な切り替えしもできないし、天然キャラでもない。

 無策で記者会見に臨めば、しどろもどろになって、批判の的となり、謹慎どころか、芸能界引退にまで追い込まれかねない。

 そこで「笑い屋」の俺に依頼が来た。

 まぁ「笑い屋」と言われても聞いたことのない商売だろう。

 俺自身、俺以外の笑い屋を知らない。

 それは当然のことだ。

 「笑い屋」に近い商売はいくらかあるだろうが、「笑い屋」は俺が始めたものだ。

 「笑い屋」であって「笑わせ屋」ではない。

 つまり、俺の笑いが商品であって、俺が笑うことを売りにしている。

 というのが創業の理念だが、笑い屋最初の依頼が「怒っている父親を笑わせてほしい」というもので、二番目の依頼が「幼児の笑いに関する論文の補助」だったところから、笑いに関することなら何でも扱うようになった。

 笑い屋の仕事の中では、笑い声や笑顔でテレビ番組を盛り上げている、と言うのが一番イメージしやすいかもしれない。 

 お笑い番組を見ていると、芸人がボケたところで笑い声が入っていることがあるだろう。

 あれを生業にしているというとイメージしやすいかもしれない。

 もちろん、観覧席の素人さんの笑い声もあるので、全部が全部ではない。

 あの笑い声が鬱陶しいという奴もいるが、あの笑い声が無い映像を見れば、その重要性が分かる。

 人が笑っていると安心して自分も笑える。

 ここが笑いどころなんだなと分かる。

 「世間」とやらは、笑いにまで不寛容だ。

 昔はデブだのハゲだのブサイクだのも笑いになった。

 女芸人に「ブサイクやなぁ」と言うだけで笑いが起きる時代があった。

 人の不幸も笑いになった。

 チャレンジに失敗して体を強打。

 ドッと笑いが起こった。

 しかし今は違う。

 容姿イジリは笑いが取れないだけではなく、テレビ局に苦情すら来る。

 安全面の配慮が足りないと非難が起きる。

 芸人側からもNOが出ている。

 容姿をイジられ、「痛い」と言って、アップが映り、笑いが取れてオイシイというのではなくなった。 

 「笑ってはいけない」のは芸人側だけの話ではない。

 受け取り側の観客、視聴者も「笑ってはいけない」を突き付けられる。

 他人をブサイクだと言って笑いを取る芸人も、それを笑う観客、視聴者も同罪と見なされる。

 イジメの構造と同じだというのだ。

 先日も、あるドッキリ番組で、お化けが出るというありきたりなドッキリが仕掛けられたところ、仕掛けられた売れていないアイドルが恐怖に引きつった顔で叫びまくるということがあり、「酷い」「やり過ぎ」「笑っている出演者にも腹が立つ」と多くのクレームが寄せられたそうだ。

 当の本人は「テレビに出られて嬉しい」と喜んでいたそうだが。

 そもそも笑いの感覚が変わってきて、「笑ってはいけない」から「笑えない」になっていることも多いのだろう。


 かく言う俺も、「シャクレ」とか「マントヒヒ」とか「エラ」とか、見た目で部下にニックネームをつけたことがある。

 今そんなことをすればパワハラだの、モラハラだのと投書されるだろう。   

 まぁ俺も、見た目からさんざん「殺人鬼」だの「やくざ」だの「人斬り」だのとイジられてきたが、別にそれをイジメだと思ったことはない。

 ただ、それは俺だからだということはわかっている。

 言われて嫌な奴もいることはわかる。

 ブサイクだ殺人鬼と言われて、笑う奴もいれば、笑えない奴もいる。

 それなら言えばいい、とも思う。

 言われて嫌な奴は、「ブサイクって言われるのはイヤなのでやめてくれ。」と言えばいい。

 もちろん、直接言えない奴もいるだろう。

 力関係がある間柄ならなおさらだ。

 そして、周りが「ブサイクって言われるのは可哀そうだ。」と言うところまではわかる。

 芸能人がテレビで容姿をイジれば、学校や職場でも同じように容姿イジリが行われるかもしれない。

 誰かが不快な思いをすることはやめましょう、ということだろう。

 俺はそれには賛成だ。

 しかし、そこから、ブサイクって言った奴、それを笑った奴、それを流す放送局を非難するというのは俺はまだ納得がいっていない。

 いじめっ子をいじめているのと同じではないかと思ってしまう。

 そして、一度いじめっ子と認定されると、這い上がるチャンスはほとんどない。

 だから笑う方にも、慎重さが求められてきているのだと俺は思う。

 容姿イジリのネタで、人が痛がる姿で、笑っていいのか笑ってはいけないのか。

 ここで笑っていいのか。

 このネタで笑うのはマズイのではないか。

 笑うとはごく自然な、無意識な行為であるはずなのに、一度意識のフィルターを通す必要が生じている。

 だから、笑う人がいると安心して笑える。

 そこに笑い屋のニーズがある。

 出演者も笑い屋がいることで助かっている。

 自分が言ったことで、目の前で誰かが笑ってくれれば、当然、気持ちいいだろう。笑い屋の存在は、出演者が気持ちよく話すためでもある。

 小さな会議でもいい。想像してもらいたい。話の途中でちょっとボケてみたのに、誰もクスリともしなかったら。

 昔の俺なら「笑え」と言うだろう。

 俺は記者に扮して記者会見場に行き、まっちょにネタ振りをし、そして誘い笑いをすることで、会見を「面白いもの」に印象付けようというのだ。


 大阪府警察本部捜査一課長を最後に、俺は警察を辞した。




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