たいくつとうそつき
三話目です。
教会の鐘がなり、学校の昼休みの終わりを告げた。写真を撮るのに夢中になっているネムの肩を揺すり、次の授業の実技が行われる競技場に移動した。
競技場に移動すると先生が立っていた。私たちはその前に整列をして、授業開始のチャイムが鳴るとクラス委員長が号令をかけた。ネムは私と同じクラスであったが、顔は見えなかった。
私たちの学校では午前中の四限を座学とし、午後授業の二限を実技としていた。実技になると一年生は体育館。二年生は競技場(運動場)。三年生は闘技場にて授業が行われることになっていて、私は高校二年生なので競技場にいる。
この実技で行われるのが※シドに関する実践編・対人基礎だ。今日は実践編最期の日としてテストも兼ねた模擬線を行うとされていた。
※シド(以下『実践のための基礎 シド編 レーテー正教会出版』より)
「―――私たちのくらしに欠かせないのがシドです。神様によりいただける私たち、レーテーの民のための能力はみなさんが五歳の時に行う洗礼式によって授けられました。教会で聖水を飲み、約二時間の睡眠をとることで私たちには不思議な力が宿るのです。シドは体現系と精神系の二種類に分けることができます。また能力の内容は自身の潜在意識や無自覚にある欲求が反映されると考えられています。最近では能力に格差があるという意見が散見されますが、具体的な証拠はなく、現在最も有力とされているラタ説にも私たちのシドに格差はないとされています。注意!「コアに直接干渉するようなことは禁忌をされています」」
シドを使いながら相手を倒す。それが今日の授業の内容であった。
私は一年生の時、剣術、体術の中から剣術を学んだので用意された剣を持ちながら模擬戦の準備にとりかかった。
最初の相手は体術を学んだ生徒だった。名前はダッタと言ったか。
私はクラスにいる時間が極端に短く、少ない友人と屋上や食堂で話してるのが常なのであまりクラスメートと親しくなかった。だからこそ私のシドを活かすことができる。恐らく、この人は私のシドの内容を知らないだろう。ネムは私のシドの内容を知っているので対策をされたら私は負けるだろうが、知らなければ私の勝ちとなる。それが私のシドだった。
一勝をしておけば取り敢えず、落第は避けられるか。
教師の笛の内容により模擬戦は始まる。競技場を十字に分けた状態で二組。四グループで模擬戦は行われる。形式はトーナメントだ。テストも兼ねているから成績には技術点やその他教師から見たその生徒の成長率が見られる。一勝すれば一ポイント加算され、その他各技術点、成長率もそれぞれ一ポイント有している。三ポイント以上であればこの授業の単位はとれるというわけだ。学校側もこれで単位は落としてはほしくないのだろう。かなり緩い単位設定だと思う。
私が全ての準備をし終えた後、先生の吹く笛と同時に試合が始まった。
シドの使い方は簡単だった。決められた順序に沿ってシドを発動することでそれは機能を成す。
まず、※ウィンドウを開き、シドの使用権限というところの設定を解除する。そして事前に設定されたジェスチャーに依ってシドの能力を呼び出す。これだけでシドは発動する。ウィンドウの一番上にはシドの内容が書いてあり、使用者はこれに沿って発動しなければいけなかった。勿論、ジェスチャーを使わない場合もあり、私もこの場合に入る。
※ウィンドウ
「シドとともに洗礼式で授けられるもので使用方法は単純であり、人差し指で自分の体の一部を五秒以内に三回連続して叩くことで出現する。ウィンドウには様々な機能があり、その内の一つがシドの解説である。何故、ウィンドウというものがあるのか。その問いは今だ分かっていない。その謎が解明される時、私たちの世界がどのようなものかその一端が分かるのかもしれない。」
私の場合は条件を実際に声に出していうことが必要だった。
さて、どうにか落第は避けよう。うん。真剣に。
私はすっと腰を少し落として中腰に剣を構えた。少し動きにくい格好であるが、問題はない。すべては私の勝利のためだ。
――俺が相手をするのはヒナタとかというやつだった。クラス替えをしてからまだ一度も話したことがないからどういうやつかわからないんだよなぁ。誰かと話しているイメージがないというかいつも教室にいないからどこにいるのかも分からない奴だ。
……というか何あの装備。顔見えないし。鎧じゃないし。
「どっからどうみてもうさぎの着ぐるみじゃないかよ……」
? 自分の発した言葉に何か違和感を感じた。
「どっからどう見ても…うさ…ウサギ!!!!!!!?」
あれ…? 俺が見間違えをしていたりするのか? ほかの人はなんも指摘してない。まさかこれが普通だったり……いや違う。これは皆、目を合わせようとしていないのだ。こいつはヤバいと本能的に察知をして常軌を逸した情報過多な存在を視界に入れないようにしているのだ。
俺は二度見、いや三度見した。授業中ぐらいは見たことあるが、如何にも普通の男子でこんなに癖のある人じゃなかっただろ。
ウサギ……ピンク色の悪魔だ。メルヘンなその恰好にその剣は全く似合わないだろ!
絶対剣術向きじゃない。重すぎるだろうよ。いやいや、そんな事どうでもいいよ。もう。剣術向きとかその次元を超しちゃってるよ。何次元越えだよ! もしかして馬鹿っていうやつかな。いや、ほぼ初対面の人にそんなことを思ってしまうのも失礼だというのはわかっているけど……!
剣を構えた。ほら、ふらふらじゃないか。ちょっと地面が整備されてなかったそのまま横に倒れるのではないか?
しかし油断はできない。……陽動的な作戦かもしれないしな。俺はヒナタのシドを全く知らないし。少し話したことはあるが、本当に自己紹介ぐらいだったし、しかもシドを言わなかった(言わない奴はほとんど精神系のシドであることは確定なのだが)。恐らく、言えない理由があるのだろう。それが弱点か。
そういや自己紹介……
「私はツッコミかボケかでいったらボケです」
いや、聞いてねえよ! 自己紹介だから何言っても構わないがそれは聞いてねえよ! と心の中で突っ込んだ記憶がある。逆に言えばそれしかヒナタの記憶はないんだが。キャラが分からねぇ……。
そう思っているうちに、教師が笛を吹いた。試合が始まったのだ。俺は右手で左手の甲を払った。これが俺のシドを発動させるためのジェスチャーだ。
俺のシドは「ホノオ」であった。自分の意識したところに発火させることができる。広げることはできないが意図的に火種を作ってしまうことができるのだ。
あんな着ぐるみをまとったのが運の付きだ。中に発火させてしまえば、それで俺の勝利は確定する。酸素を使い続けて、酸素が補給されずに消えてしまうかもしれないが、その時は、また発火させればいい。
着火は完了した。微かだが着ぐるみの隙間から煙が出ていることがこちらから見えた。このままいけば着ぐるみに燃え移り火だるま状態になる。勿論その前に降参すればそれで終わりなのだが。煙のたち具合が少ない気がする。……大丈夫だろうか。しかし、これ以上シドを使っては模擬戦では出してはいけない量のエネルギーを出してしまうからこのままで十分であろう。
ヒナタの体がふっと軽くなった気がした。体力が消耗し、立つこともままならない状態なのであろう。着ぐるみを被っているせいで全くダメージを負わせた気がしないが、確かに相手は弱っている。
警戒はしながらも俺は少しずつシドへ使うエネルギーを弱めていった。
…いやしかし、そんな馬鹿なことがあるか?
一応、俺たちも二年生だ。一年生の時の試験や実技検定をクリアしないと二年には上がれないんだぞ。自分で言うのもなんだが、俺のシドは対策されてしまってはそれまでだ。しかもホノオを出すというシドを持っている人なんて五万といるんだ。この程度……一度攻撃をくらったくらいで負けるような奴なのか。
しかし、相手はよろめきながら、崩れ落ちた。着ぐるみの中から咳き込むヒナタの声が聞こえる。長剣は地面に突き刺さり、それを支えにしながらなんとか上体を保っているようだ。既に勝敗は決まったようだった。
……はは。なんだ。本当にその実力なのか。こんなのでよく護衛隊を目指そうなどと……。
これ以上は可哀そうか。と思い、俺はシドの使用を止めた。
と、その時だった。
「…やああああああ!!!」
ヒナタはいきなり声を出してこちらに向かってきたのだ。刺さった剣を抜き、着ぐるみの大きな足で土を勢いよく蹴って走ってきた。
やはり来たか……! 颯爽と素早い動きで! ――否、のそのそ、否、ぴょこぴょこと……?
いや――この世で一番迫力のない突撃だよ!!!……どこからどう見てもうさぎちゃんだよ! なんか…もう……悔しいけど可愛いよ……!!!
っと、危ない危ない。……そんなことをしたって無駄だな。残念だが。
俺は突然の事態にも冷静に判断し、いつも通りシドを発動した。彼の剣は素晴らしく綺麗な弧を描きながら俺の首元まで来ていたがそこで止まった。……うん、めちゃくちゃ普通に勝った。
しかし、彼は着ぐるみの中で先生には彼が負けたのか分からないのだろう、試合終了の合図がかからない。というかふざけているこの格好は不合格にしても差し支えない気がすると思うんだけど、まあそれはいいか。
――その状態が何秒か経ったが、彼は負けを認めなかった……彼が負けを認めてその場で倒れるか、両手を挙げて降参してくれればいいのだが。…往生際の悪い人だ。仕方ない。
「ヒナタ君、君の負けでいいね。俺は勝った。先生を呼ぶから剣を降ろしてくれ」
少し苛立ちを覚えながら降参を促す台詞を言った。これ以上しても動く様子がなければ教師を呼ぶしかない。まさかここまで常識外れのことを仕掛けてくるとは思いもしなかった。
そこで初めて彼はわかりました、と言った。
遂に折れたか。と俺は安堵し、思わず軽いため息と固まっていた肩を降ろした。
「……私が負けたということですね」
「そうだ、私が勝った。悪いなこれも進級のためだ」
「ええ、悪いと思っています。……ところで私が負けた事実は「偽」ということでよろしいでしょうか」
何を言っているのかが分からなかった。何故、そんなことを言うのだろうか。しかも悪いとは何だ。今言ったが、これは進級のためなのだから仕方のないことだろう。
だから…ヒナタが勝ちでも仕方のないことだろう。
「ああ、そうだな、ヒナタの勝ちだから、そういうことになるな」
「ああ…! ……そうですか。ありがとうございます。いい試合になってよかったです」
彼は剣を降ろすと私と距離を取り、試合の始めの位置についた。そして、丁寧にお辞儀をすると挨拶をひと言だけ言って去っていった。
俺は呆然と立ち尽くしながら彼の後ろ姿を見送るだけで、次の試合がある生徒に知らされるまでずっとそこに立っていた。
……と、このような感じで私のシドは「ある事実を偽にすることができる」だった。
しかしながら次の試合は私の友人というか、ネムと当たってしまい、普通に負けた。私のシドの条件は事実とそれに対する真偽を相手に聞かせるというものだった。だから耳に栓をされてしまうと私の負けは確定だった。
因みにだが、私がその模擬戦で勝てたのは事前の入念な下調べがあったからだ。彼のことはあまり知らないが、彼の対戦成績と戦術は知っていた。勿論、そのデータだけで彼のシドが分かったわけではないのだが、彼が他人の体に何かしらの方法で発火させていることは分かっていた。
その為、私は着ぐるみを被り、彼の放つ火種が着ぐるみの中で発火するのを待った。結果的には耐熱性を兼ね備えた着ぐるみに着火はしなかった。着ぐるみを来た一つの理由として内部に色々仕込み安いというのもあるが、もう一つ、教師に勝負の結果が分からないという状況を作りたかったからだ。
彼が勝敗が確定したと認識して、教師に報告する直前で私の能力を発動しなければ私の能力は機能しなかった。もし彼が教師に勝敗を知らせた場合、私は教師の元までシドを使いに行かなければいけない。
そんなことをしている時間はどう考えても作り出せないため、シュレーディンガーの猫のように勝ちと負けが両方実在する状況を生み出す必要があったのだ。
彼が勝利を確定させ、このゲームの勝敗がこの二人だけで確定したとき、私の能力は使えた。ほかの人から見れば私の剣が彼の首元にあり、だが私の着ぐるみからは微かだが不完全燃焼で出てくる煙が出ているのでどちらか勝ったのかわからない状態だった。
着ぐるみ? それはユーモアだ。彼の動揺を誘おうとしてみたら案外うまくいった。うさぎなのはなんでかって? それは単純に私がうさぎを好きだからだ。
もう一つ言っておくとこんなふざけたような戦略を練るのは、精神系のシドを持つ生徒にとっては普通のことなのだ。自分のシドが露わになるのを恐れている彼らは様々なカモフラージュを施して自らのシドの内容を隠すのだ。それ故、変人が多い。と言われるわけだが、私は至って普通の人だ。ここで私が変な人だと思われたら心外だから一応、言っておく。
さて、ここまでが私の日常だったと言えるだろう。
不器用ながらも扱いにくいシドをよく使っていると我ながら思う。学業の面では座学は努力で何とかなるが、シドに関しては先天的なもので、不平等極まりないのだ。だから、どれだけ汚い手を使ってでも勝ちをつかむ。これが私の戦い方であった。
相手を偽らなければいけないということは私にとってかなりの心的負荷のかかるものなのだが、生きていく。もっと言えば社会の中で生きていくのであれば自分の理想を押し込んで、偽っていくしかないのだと私は経験で学んだ(その罪悪感から生まれたのが少しばかりのユーモアなのかもしれない)。
それで安泰な生活が望めるなら、それでいい。
そうして手に入れた生活に加えてネムとセキさんとセキさんの酒場に来るお客さんさえいれば、それは私にとって退屈な日常ではなく、かけがえのない日々となった。
それは間違いなく、私が社会生活の中で他人のことを偽りながら生きてきた成果でやはり、私がシドの能力に挫折して誰かを偽ることをやめてしまっていたらネムと現在のように仲良くはできなかっただろうし、シドの扱えない落ちこぼれの私であればセキさんに見捨てられていただろう。人と繋がるため、人を偽ることしかできなかった。それがシドを磨き育てることになるからだ。
様々な人と出会い、会話し、その場にいること自体を喜ぶというような日常の中に浮かぶ流動的な非日常はとても貴重で手放したくないものだが、時間というものは残酷でこの手から零れ落ちる。だから、その会話とか雰囲気とかは流れてもそれを作り出す人間関係を私は大事にしたいと思ってる。
それらの人々を守ることができるなら私は平気で自分を犠牲にしよう。自分が苦しんでこの平穏が保たれるなら進んで行おう。
しかし……あの少女と出会ってから私の日常は崩壊したのだ。私の努力をあざ笑うかのように私の平穏は崩れ去った。ついには私に非日常を与えてくれる存在を破壊したのだ。
少女と出会ったあの日、セキさんが――死んだ。