34話 阿婆擦れ
あの日の後、旧校舎の入り口のガラスが何者かの手によって割られていたと、学校の中ではちょっとした騒ぎになった。
真相は知っていたが説明するのが面倒だったから、僕は誰にもあの日の事を語らなかった。
皆は不審者の犯行だとか、尾崎豊に憧れた中二病患者がやったとか色々と言っていたけど、僕としてはそんな些細な事はどうでもよかった。
それにしても、嫌な事しか起こらないのはわかりきっている学校に、僕は何故懲りずに通い続けているのだろうか。
いや、学校だけじゃない。
バイトも家もそうだ。
退屈な学業。やりたくもない勉強。僕を虐めるリア充達。僕をキモがる女子達。贔屓する教師。バイト先の嫌な先輩。怖いクレーマー。将来の不安。嫌な家族。
以前と何も変わらない憂鬱で退屈な毎日が、僕をあの手この手で攻撃してくる。
まるでこの世界に存在するありとあらゆる物が、僕の存在を排除する為に動いているようだ。
そういえば、今になって気付いた。
吉田達みたいにたまに僕を馬鹿にする為に絡んでくる連中はいるにはいるが、片桐さんも橘さんもいない僕は完全に孤独だ。
今思うと、あの二人だけが僕の確かな友達だったんだ。
片桐さんは学校をやめたらしい。
あんな状態じゃ、もう普通の生活なんてできる訳がないからそれも仕方がないのかもしれない。
橘さんと直樹も、あの日以来学校には来ていない。
今頃二人は何をしているのかわからない。
また二人で家に引きこもってスカトロプレイでもしているのだろうか。
はたまた、どこか遠くの町に傷心の旅にでも出かけたのだろうか。
もしかすると精神的に深く傷ついた直樹を、橘さんが母が子をあやすような態度で慰めているのかもしれない。
どれにせよ、知ればきっと不愉快な気持ちになるだけだろう。
*
そんなある日の放課後の帰り際の事だった。
「ねえ、モエ君」
校舎の下駄箱前にて僕は小鳥遊さんに話しかけられた。
いつぞやの時と全く同じ状況だった。
「話があるの」
小鳥遊さんは僕の事を……、というか直樹以外の全ての男を嫌っている。
どうせ今回も僕にとって不愉快な話題を振りにきたのだろう。
そう思った僕は、無視してそのままその場を去ろうと歩いた。
「またモエ君と付き合いたいの」
小鳥遊さんのその言葉を聞き、僕は足を止めた。
「……なんで?」
「直樹くんの為だよ」
「は……?」
「前にモエ君と付き合って、それがどれだけ嫌かを直樹くんに伝えたら、小夜と別れてあたしと付き合ってくれたから。だからきっと、今度もそうすれば直樹くんはあたしのところに戻ってきてくれると思うの」
「…………」
何言ってるんだこの人。
「あのさ、直樹が片桐さんに何したか、知ってるの……?」
「知ってるよ。小夜から聞いたもん」
「…………」
「だからモエ君。付き合おうよ」
何言ってるんだこの人。
「直樹が片桐さんに何をしたのか……、本当にわかってるの……?」
「わかってるよ」
「なのにまだあいつと付き合いたいって思うの……?小鳥遊さんにも何度も酷い事してきたし、それにあいつは片桐さんの人生を台無しにしたんだよ……?」
「智代が直樹くんに無理やり迫ったんでしょ?」
その発言を聞き、僕は眉をひそませた。
「……直樹が今どこで何やってるか、知ってるの……?」
「知らないよ。家に行ってもいつもいないもん。でもそんなの関係ないよ」
「あいつが片桐さんに何したか、本当に知ってるの……?孕ませて、堕胎強要して、片桐さんを精神病院送りにしたんだよ……?」
「そんなの関係ないよ。あの時直樹くんは嫌な事を我慢したらあたしのところに戻ってきてくれたもん。でもあの時はあたしの我慢が足りなかったから……」
「我慢……?」
「それに今は直樹くんがどこにいるかわからないから、今度はあの時よりもっと嫌な事をするの。そしたらきっと直樹君は、戻ってきてくれる筈だから……」
「嫌な事……?」
「どんなことでも我慢する。モエ君がしたい事、なんでも」
「どんな事でも……?」
「手も繋ぐ。キスもする。なんだってする。直樹くんの為なら、なんだって我慢できる……」
「なに言ってるの……?」
「そしたら直樹くんはあたしのところに戻ってくる……。直樹くんは優しいから、あたしがどれだけ嫌な思いをしているか知ったら、きっとあたしの所に戻ってくれる……。だからモエ君、付き合っ……」
「いい加減にしてよ!」
僕は思わず叫んだ。
僕にこんな態度を取られるなんて思ってもいなかったのか、小鳥遊さんは茫然としていた。
「なんなの……、あんた……」
「え……」
「あんた本当に、なんなの……?」
「あたしはただ、直樹くんと……」
「わけ、わからない……。あんな奴の、何がいいの……?」
「だって直樹くんは、優しいから……」
「優しい……?あんな奴が……?なんで……?」
「直樹くんなら、きっとあたしの事、助けてくれるから……」
「意味……、わかんない……」
この人と話していると、頭が痛くなってくる。
その上吐き気もしてくる。
「なんで、僕と付き合うって話になるの……?」
「直樹くんの為だよ」
「そうまでしてあいつと付き合って、何になるの……?」
「だからそれは、直樹くんが……」
「そうやってまた僕を利用する気なの?あんたいったい何なの?」
「だから、それは……」
「なんでそうも人の気持ちを無視した事が言えるんだよ!?どれだけ人の事をバカにしたら気が済むんだよ!?」
僕は思わず怒鳴った。
「だから……、あたしは……」
「もうやめてよ!手も繋ぐ?キスもする?それ以上の事もする?人をバカにするのもいい加減にしろよ!?」
この人の考えること全てが、今の僕には理解できない。
あまりにも僕の思考回路とかけ離れ過ぎていて、本気で別の生命体なのではないのかとさえ思えて来る。
なんで僕は、こんな異常者に好意を寄せていたのか、本気でわからなくなる。
「なんであんたなの……?」
「え……?」
「なんであんたみたいな人がのうのうと暮らしてて、片桐さんがあんな目に遭わないといけないんだよ!?」
気がつくと僕の瞳からは、涙が垂れていた。
「わけわかんない……。あんた絶対、どうかしてる……」
「だってモエ君、あたしの事が好きだって……」
「あんたと一緒にいて楽しかった事なんて……、一度もなかった……」
「え……?」
「自分が情けない……。あんたがこんなにロクでもない人だったなんて事に……、今になるまで気付けなかったなんて……」
僕は腕で涙をぬぐい、力いっぱい叫んだ。
「あんたは最低の阿婆擦れだよ!」
僕はそのまま全力で走り去り、その場を離れた。
いつだったか、僕はこの人に自分の事を上辺だけの勝手なイメージで見ていると指摘された事がある。
今になって、ようやく僕はその通りだったとやっと気づいた。
この人は最低のクソビッチだ。




