24話 自業自得
橘さんから事情を聞かされた直後、僕は『妊娠したって聞いたけど本当なの?』と片桐さんにラインを送った。
いつもは無視されるのに、その時だけは何故か数分で返事が来た。
ラインには、『本当です』とだけ書かれていた。
続けて僕は、『今から家に行ってもいい?』と送り返した。
するとまたしても数分で『いいですよ』と返事が来た。
アポが取れたので、僕は片桐さんの家に向かう事にした。
直樹が今回の件に対してどういう風に考えているのかは橘さんから大体聞いたが、片桐さんの方はこれからどうするつもりなのかまだ聞いてはいないからだ。
こんな大切な話、とてもじゃないが電話やラインじゃ話せない。
*
僕が家に着くと、何食わぬ顔で片桐さんは僕を招き入れた。
片桐さんの家に行くのはあの時以来である。
片桐さんの家の中には、あの時と同じく片桐さんの家族は誰もいなかった。
まあこの際今はそんな事はどうでもいい。
片桐さんの家の中はあの時と同じくゴミでいっぱいだったが、その中でも部屋の片隅のあるスペースに置かれたベビーカーやベビーベットや哺乳瓶が一際目をひくように置かれていた。
大量のグレープフルーツも側の棚に積まれていた。
片桐さんはあの時と同じように僕を自分の部屋まで案内すると、テーブルの上に置かれたゴミを退けたスペースにコップに注いだ綾鷹を置き、僕をもてなしながら言ってきた。
「本当、心配かけて申し訳ないです。こんな時間にわざわざすみません」
「…………」
片桐さんの様子は全然普通で、橘さんの話からは到底考えられない程冷静な態度だった。
あまりにも落ち着きすぎていて、むしろ不自然なくらいだった。
直樹に孕まされたお腹の子供をどうするつもりなのか、先程部屋の隅に積まれていた物を片桐さんは何を思って購入したのかを考えれば聞くまでもないだろうが、それを踏まえた上でも僕は聞いた。
「やっぱり……、産みたいんだよね……」
「ええ」
片桐さんはごくあたりまえな態度で肯定してきた。
「直樹さんには泣きながら育てられる訳がないって言われましたけど、私は産むつもりです。誰にも迷惑かけないで一人で育てます」
「…………」
一人でって……、どうやって育てるつもりなんだよ……。
「まあこうなるのも、わかってましたけどね」
片桐さんの態度は非常に落ち着いていた。
さっきの橘さんの話だと、片桐さんは直樹が絡むと事あるごとに泣いたり取り乱したりしていたらしいが、今は妙に落ち着いている。
それがかえって、余計に不安に思えてしまう。
「なんで直樹なの……?」
「え?」
「なんで直樹の事、悪く言わないの……?」
「ああ、育てる気がない事ですか?仕方ないですよ」
「こんな……、こんな酷い事してるのに……」
「好きになってしまったんだから、仕方ないじゃないですか」
「…………」
片桐さんの態度は異常なまでに淡々としていた。
まるで他人事みたいだった。
好きな人に見捨てられてるのに、なんでこんな態度でいられるんだろう……。
「なんで……、僕に……」
「はい?」
「なんで僕に……、言ってくれなかったの……?」
「強さんは、直樹さんのことを嫌ってますから」
「そりゃ、そうだけど……」
「それにこんな事、今更強さんに言ってもどうしようもありませんよ」
「でも……」
「でも?」
「もっと早く……、言ってくれれば……」
「はい?」
「もっと早く、僕に相談してくれれば……、そしたらこんな事には、ならなかったかもしれないのに……」
「……………………」
僕がそう言うと、さっきまで淡々と返答をしていた片桐さんは風向きが変わったかのように黙り込んだ。
「だったら……、なんで強さんは、部室に来なくなったんですか……?」
僕の胸元にまるで釘を打ちつけられたかのような激痛が走った。
「毎日……、待ってたんですよ……」
「…………」
「毎日、部室で……。暗くなっても……、泣きながら、強さんが来るのを、ずっと……」
「…………」
「強さんにとっての私の存在って、所詮そんなものだったんですか……?」
「…………」
「振られてショックだったのはわかりますよ?でも何も友達をやめる事は、なかったんじゃないんですか……?」
「ごめん……」
僕の口からはこんな月並みの謝罪の言葉しか出てこなかった。
もっとも、僕としては片桐さんの友達をやめたつもりなんて微塵もなかったが、片桐さん自身がそういう風に受け取ったのも無理はないだろう。
「私に出会えた事が、今まで生きていた中での唯一のいい事だって言ってくれましたけど、あれ、嘘だったんですか……?」
「ち、違うよ……」
「そりゃそうですよね。私みたいな駄目人間より、友達になるなら小夜さんの方がずっといいですよね」
弱々しく否定する僕に対し、片桐さんはまるで威嚇するような激しい口調で責め立ててきた。
「綺麗でいつも面白い事ばかり言っていて、男子にだってモテる。スカトロマニアである点考慮したって、私なんかじゃ足元にも及ばない。そりゃこんな素敵な友達がいたら、私なんてもう必要ありませんよね」
「違うよ……」
「小夜さん差し置いて、私なんかと付き合うメリットありませんし」
「そんな事……、ないよ……」
尋問のように強く責め立てる片桐さんの言葉に対し、僕は弱々しく否定するしかできなかった。
「私と小夜さんなら、誰だって小夜さんを選びますよね。だってこんな駄目人間の私なんかより、小夜さんの方が一緒にいて楽しいに決まってますから」
「……………………」
片桐さんも……、僕と同じこと、思っていたんだ……。
「毎日……、部室に行ったよ……」
「ならなんで、もっと早く部室に来てくれなかったんですか?」
「立ち直るのに……、時間がかかったから……」
「なんでもっと早く、私に声をかけてくれなかったんですか?」
「それは……、クラスで、上手くやれてると思ったから……。僕なんかが話しかけたら、片桐さんの邪魔になるって……」
「上手くやれてる訳……、ないじゃないですか……」
「…………」
「駄目人間の私が、上手くやれる訳……、ないじゃないですか……」
片桐さんは悲哀に満ちた形相をしながら呟いていた。
僕が今までしてきた事は、まったくもって見当違いだったと今になってやっと気付いた。
「私が上手くやれてたのは……、強さんだけですよ……」
「ごめん……」
「こんな私の事を大切にしてくれる友達が……、やっとできたって思ったのに……」
「ごめん……」
「強さんがもっと早く話しかけてくれたら……、こんなことにはならなかったのに…」
「ごめん……」
「なんでもっと……、早く話しかけてくれなかったんですか……?」
「ごめん……」
「なんで今になって……、話しかけてきたんですか……?」
「ごめん……」
僕にはこんな月並みな謝罪の言葉を吐き続けるしかできなかった。
「もっと早く気付いてくれたら……、そしたらこんな事にだって……」
「ごめん……」
「ゴキブリ以下の駄目人間の私が、強さんにまで見捨てられたら……、もう直樹さんしか、頼れる人はいないんですよ……」
「ゴキブリ以下なのは、僕の方だ……」
「え……?」
「全部僕のせいだ……。いつもこうだ……。僕がよかれと思ってやった事が全部裏目に出る……。あの時だって……」
「強さん?」
「全部、僕のせいだ……。僕の浅はかな考えが、片桐さんを傷つけた。苦しめた……。やっぱり僕は駄目だ……。最低の駄目人間だよ……」
「強さん……?」
「いつもいつも、人に迷惑かけて、嫌な思いもさせて……、好きな人ですらこんな目に会わせて……。生きてる価値がないのは、片桐さんじゃなくて僕の方だ……。今すぐ死んだ方がいいのは、僕の方なんだ……」
「ごめんなさい……。悪いのは全部私です……」
僕をひたすら責め立てていたさっきまでの態度とは打って変わって、片桐さんは今度は謝罪をしてきた。
「いつもそうです……。私はいつも周りの人に迷惑をかける……。バカなことして、周りの人みんなを不幸にする……」
「片桐さんは、何も悪くないよ……。だって悪いのは、僕なんだから……」
「違います。強さんは何も悪くはありません」
「でも、僕のせいで……」
「私……、最低ですよね……」
「え……?」
「こんな私をせっかく好きになってくれたのに、強さんの好意を蔑ろにして……。その上、こんな時まで人のせいにして……」
「そ、そんなこと……」
「本当私って、最低ですね……」
「そんなこと……、ないよ……」
「全部私の自業自得です。だから強さんは何も悪くありません」
「…………」
責められてる方がまだ楽だ。
片桐さんの口からそんな風にきっぱり言われると、こっちの心の方が痛くなる……。
「心の整理を付けるまで時間はかかったけど……、それからは毎日部室に通ったよ……」
「そう……、なんですか……」
「でも……、遅かったんだね……」
「違います。私がもう少しだけ我慢できてればよかったんです」
「僕がもっと早く、立ち直っていれば……」
「違います。私の自業自得です。私が後先考えずに感情に任せて軽率な行動をしたせいです。強さんは何も悪くありません」
「…………」
頼むから、そんな風にハッキリ言わないでよ……。
僕の方が、辛くなるよ……。
「私一人でなんとかします」
「え……」
「学校もやめて働きます」
「本気……、なの……?」
「本気です。もう誰にも迷惑はかけません」
「……………………」
僕には今の片桐さんにかける言葉が思いつかなかった。




