23話 バカなこと
「どいうことだよ!?ちゃんと説明しろよ!?」
「直樹が智代を……、孕ませたの……」
「なんで!?」
「生で……、何度もしたから……」
「なんでそんなバカなことしたんだよ!?」
「智代が……、そうしたいって言ったから……」
「要点だけじゃなくてちゃんと過程を話せよ!?」
「……長くなる」
「いいから言えよ!」
「……………………」
僕が恫喝するように問い詰めると、橘さんは黙りこんだ。
「……わかった」
橘さんはそう呟くとゆっくりと深呼吸をし、直樹と片桐さんの元に何があったのかを語り始めた。
「直樹はね、椿との交際に疲れていたの……。美人で優等生な椿を良く思っていたんだけど、いざ付き合ってみたら椿の性格が想像以上に重くて、元々ちょっと世間知らずだなあくらいには思ってたんだけど、私から直樹を寝取った辺りで直樹も椿は本当におかしいんじゃないかって思いはじめて、それで付き合っていく内に次第に常識の無さや自分勝手さがわかってきて、椿の事がどんどん好きじゃなくなっていったらしいの……」
「…………」
「でも、直樹は椿に今まで沢山酷い事してきたって思ってたから、別れるに別れられなかったの……。いつも大声出すし、常に一緒にいたがるし、身体だって毎日求めて来るし、正直重いし辛いって感じてたけど、自分の今までした事を思うと別れを切り出すなんてとてもじゃないけどできやしないって、思ってたみたい……」
「…………」
「直樹はモテるけどこんな話を女に、ましてや自分に好意を持っている相手には絶対に言えないから……。他に頼れるような相手もいないし、一度はあんたに相談してみようと思ったんだって……。でもあんたにはまるで相手にされなくて、それどころか初めて会った時からずっと俺の事が大嫌いだったって言われて……。それでもうどうすればいいのかわからなくなったって……」
「…………」
「でも自分はそれだけ酷い事を皆にしてきたからそれも仕方がない事だって、直樹は受け入れようとしていたんだけど、やっぱり耐えられなくて……。そんな時、智代に声をかけられたの……。何か悩みでもあるのかって……」
「悩みって……」
「多分それ……、あんたが智代に振られて部室に行かなくなった辺りだと、思う……」
「……………………」
「智代、急に化粧が薄くなったでしょ。あれ、どうも直樹にそのままのお前でいいんじゃないかみたいな事を言われたせいみたい……」
僕だって、片桐さんに同じような事を言ったのに……。
「最初は愚痴を聞くだけだった……。智代は少しでも直樹の役に立ちたいって、電話で直樹の愚痴をよく聞いていたの……。たまに椿の隙を見て、会ったりもしてたみたい……」
「…………」
「でも段々と、その……。エスカレートしていったの……」
「エスカレート……?」
「はじめは愚痴を聞くだけだったのに、椿に適当な理由をでっちあげて二人で出かけたりするようになったの……。気分転換だって……」
「デートかよ……」
「でもやましい事は何もしなかったんだって……。一緒に映画を見たり、ウィンドウショッピングしたり、ケバブを食べたり、ゲーセン行ってプリクラを撮ったり、クレープを食べたり、アイスを食べたりしただけなんだって……」
「……………………」
僕とした事と、まるきり同じじゃないか……。
「直樹は友誼部でやってたこの世の不思議探索みたいで、楽しかったって言ってたわ……」
「あいつ……、この機に及んで、まだ友誼部だなんて言ってるのかよ……」
「本当にバカよ……」
「なんでそんなバカと、片桐さんが……」
「……そうね」
橘さんは寂しそうにそう呟いた。
「そしたらね……、、ある日一緒に町を歩いていた時、求めてきたの……」
「求める……?」
「したいって言ったらしいの……。直樹に」
「…………」
「寂しいとか、なんでもいいから直樹さんの役に立ちたいとか、恋人にならなくてもいいとか、するだけでいいから、だから一緒にいてとか、言われたらしい……」
「なんだよ……、それ……」
「当然直樹も断ったわ……。智代もその時はそれで納得した……」
「…………」
「でも、やっぱり段々智代の方が我慢できなくなって……、ある日電話で、直樹に言ったらしいの……」
「何を……?」
「抱いてくれないと、自殺するって……」
「片桐さんが……?」
「…………」
橘さんは無言で頷いた。
「そんなバカな……」
「私だって嘘だと思いたい……。でも、本当の事よ」
「…………」
「最初は完全に二股みたいな感じだった……。椿と離れる僅かな隙を見つけて、智代に会ってはしてたらしいわ……」
「……嘘だ」
「智代、毎日のように電話で直樹に泣きついてたみたい……。真夜中に電話をかけてきて、何時間もかけて寂しいとか死にたいとか、支離滅裂な事を言ってきて……」
「片桐さんはそんな事はしない……」
「でも椿と別れろとだけは言わなかったの……。あくまで直樹と一緒にいられるだけでいいって、たまにしてくれるだけで十分幸せだって、智代はそう思い込もうとしてたみたい……。でも実際の所完全に二股っていうかセフレみたいな関係だったし、直樹はモテるのもあって智代はいつか自分は見捨てられるんじゃないかって不安だったみたいで、どんどん変になっていったの……」
「なんだよ、それ……」
「他の女が直樹を取るんじゃないかって、いつか直樹に捨てられるんじゃないかって、そんな不安でどんどんおかしくなっていったらしいの……。だから智代は、事あるごとに直樹の身体を求めてきたの……。椿と付き合っているせいでたまにしか会えないからって、避妊したら自殺するって泣きついて……」
「片桐さんはそんな頭の悪いバカ女みたいなことはしない」
「直樹が拒むと取り乱して……、暴れることもあるって……」
「やめてよ!そんな話聞かせないでよ!片桐さんはいい人なんだからそんなことする訳ないだろ!?」
「してたのよ!」
取り乱す僕に対し、橘さんは怒鳴りつけるように叫んだ。
「寂しいとか、死にたいとか事あるごとに言って!真夜中に直樹に電話して、家に呼び出して!したいってせがんでたの!ゴムつけたら飛び降りる、そこに走ってる車に突っ込んで死ぬとか!直樹がちょっとでも智代の意に沿わないような事を言うと、すぐにそうやって脅してたのよ!?」
橘さんの態度は、あまりにも切迫した様子だった。
多分橘さんも、僕と同様にこの事実を信じたくはないのだろう……。
「した後、智代は必ず泣きながら直樹に謝るんだって……」
「謝る……?」
「こんな事させてごめんなさい……。もう二度としないから、嫌いにならないで、って……」
「なんだよ……、それ……」
「直樹の方も泣きたくなったらしいわ……。っていうか、した後は直樹も、いつも智代と一緒に泣いてたみたい……。何度も謝りながら……」
「バカげてる……」
「でも何日かしたら、また自殺するって脅して……、また直樹として、その後やっぱりまた泣いて、その繰り返しだったんだって……」
「そんなの……、ただのバカなメンヘラじゃん……」
「だって智代……、メンヘラだもん……」
「……………………」
僕は今になってようやく、片桐さんが病気であるという事実をちゃんと認識できたような気がする。
「名前も……、書かれたみたい……」
「名前……?」
「マジックで……、智代の名前を、性器に書かれたって……」
「なんだよそれ……」
「直樹が言ってたわ……。名前がね、何度洗っても消えなかったって……」
「…………」
「でもね、直樹が私に見せてきたけど、どう見ても消えているのよ……」
「どういうこと……?」
「わからないわよ……。でも直樹が、こんなんじゃもう椿とはできないって……」
「…………」
あの片桐さんがそんな事をするだなんて、とてもじゃないけど信じられない……。
「その後しばらくして、智代に妊娠したって打ち明けられて、耐えられなくなって椿と別れたんだって……」
「わけわかんないよ……」
「自分でももうどうすればいいのかわからなくて、直樹は部屋に引きこもっちゃったんだって……」
「なんでそうなるんだよ……」
「当然椿もいきなり別れろなんて言われて納得いかなくて、直樹の家に毎日押しかけてきて、連日連夜電話もしてきて……。それで直樹は唯一の家族の妹さんも部屋に入れなくなって、ずっと自分の部屋に籠りっぱなし……。ご飯もロクに食べてなくて、布団に籠ったまま何もしないって……」
「意味わかんない……」
「妹さんから私の方に連絡が来たの……。お兄ちゃんがそうなっちゃって、何も言ってくれないから何が何だかさっぱりわからなくって、他に頼れる相手がいないから来てくれって……」
「……なにそれ」
「直樹……、私には智代との事、話してくれた……。やっぱり直樹、私の事……、今でも親友だって思ってるみたい……」
その話を聞いた時、僕の心の中からふつふつと怒りが湧きあがった。
「元はと言えば全部あいつが自分で蒔いた種だろ!?」
「……そうね」
「なんで片桐さんがそうならないといけないんだよ!?」
「……そうね」
「大体、なんでこうなるまで誰にも言わなかったんだよ!?」
「……そうね」
「こうなる前に何とか出来ただろ!?なんでこうなるんだよ!?」
「……そうね」
「片桐さんだって、そんな事するような人じゃなかったのに……。いや、たまに大声出して取り乱したりはしてたけど……。それでも本当の片桐さんは、優しくていい人だったのに……」
「とにかく……、以前の智代とは別人よ……」
「だって、僕の前じゃ片桐さんは……、あんなに優しくていい人だったのに……」
「好きな人の事だと不安になる……。不安になるから壊れる……。あんたにだって少しくらい、経験あるでしょ……?」
「……………………」
橘さんにそう言われた時、僕は前に片桐さんの事が心配になりあとをつけた日の事を思い出した。
「あんただってあれだけこんな部活はもう嫌だって言っていたのに、誰も来ないこの部室で毎日智代が来るのを待ってたじゃない……」
「…………」
「今だってそうよ……。こうして智代が来るのを待っていたんでしょ……?」
「…………」
否定なんてできなかった。
「好きな人が出来るとおかしくなる人なんて、男女問わず珍しくもないわ……」
「でも片桐さん……。僕といた時は、普通だったんだ……」
「そりゃあんたといる時の智代は普通でいられたかもしれないけど……。でも直樹の前だと……」
「やめてよ!それじゃまるで、男として見られてないから僕の前じゃ片桐さんは普通でいられたみたいじゃないか!」
「ごめん……」
強い口調でそう言うと、橘さんは柄にもなく萎らしい態度で謝罪してきた。
「直樹は身勝手すぎる……。責任取る気もないのに、いつも雰囲気に流されて、ヤる事やって都合が悪くなったら別れて……」
「そうね……」
「なんであんな奴に寄りつく人が、こんなに沢山いるんだよ……」
「……そうね」
身に覚えがあったからか、橘さんは少し申し訳なさげな様子で言った。
「直樹は……、責任取る気、あるのかよ……?」
「…………」
橘さんは無言で俯いた。
「直樹は今、どこにいる……?」
「家にいるわ……」
「家はどこだよ……?」
「教えられない……」
「なんでだよ……?」
「今、あんたに会わせたら、直樹を殺しかねないから……」
橘さんにそう言われた瞬間、僕の頭の何かがブチ切れる音がした。
「責任取れよ!男だろ!?」
「無茶言わないでよ……。直樹も智代も、まだ高校生なのよ……」
「責任取る気もない癖に、やるだけの事散々やって、こんな時だけ子供面するなよ!?」
「そりゃ……、そうだけど……」
「直樹はなんで片桐さんの事、全部受け入れる気もないのに片桐さんとしたんだよ!?」
「だって智代……、自殺するって……」
「なんでそうなるんだよ!?」
「智代が、そう言ったから……」
「そんな事はわかってるよ!もっとなんとかなっただろ!?」
「そんな事……、私に言われても……」
心の底から困ったような表情を浮かべる橘さんに対し、僕は尋問を続けた。
「大体あんたはなんだよ!?同じ女としてこんな事が許せるの!?やりたい事だけやって子供が出来て、都合が悪くなったら捨てるんだよ!?」
「許せる訳ないでしょ!?私だって怒ってるのよ!?」
僕が怒りに任せながらそう言うと、橘さんの方も怒りに任せた口調で返してきた。
「直樹が人殺せって言ったら殺させるのかよ、あんたは!?やっぱりどうかしてるよ!」
「そんな事言ってない!」
「でも内心さっさと堕ろせって思ってるだろ!?」
「そりゃ智代との間に子供が出来たのは喜べないけど、だからって堕ろせだなんて……、あんまりよ……」
橘さんは落胆した様子で呟いていた。
やはり橘さんといえど、今回の直樹の無責任すぎる行動に対しては色々と思う所があったようだ。
「とにかく直樹に会わせろよ……。文句の一つでも言わないと、気が済まないよ……」
「だってあんた……、今直樹に会わせたら、本気で殺すでしょ……」
「知るかよ!?そんなに直樹が大事なら、橘さんが直樹とすればよかっただろ!?そしたらこんな事にはならなかったのに!あんたが直樹ともっと上手くいっていれば、そしたら片桐さんだって……」
言っている途中に僕は思った。
僕が片桐さんともっと上手くいってさえいれば、この事態は防げたのではと……。
「そういう上手い風にはいかなかったのよ……。あんたにだってわかってるでしょ……」
虚ろに嘆く橘さんに対し、僕は何も言い返せなかった。




