20話 電話
片桐さんの事が心配になり、その日の休み時間に僕は片桐さんのいるE組の教室に出向いて様子を窺った。
今朝の様子とは打って変わり、片桐さんは友達の女子生徒三人と楽しそうに雑談をしていた。
友達と上手くいってないから落ち込んでいるという訳ではないようだった。
じゃあ一体、何に悩んでいるのだろうか……。
進路の事?
家族の事?
それとも男の事?
いずれにしても、ただでさえ辛い経験ばかりしてきた片桐さんの身に、これ以上辛い事が起きるなんて考えたくはない……。
一体片桐さんの身に何が起こったのか、気にはなったが友達らと談笑している中を割って入るのは抵抗があった為、『悩んでたみたいだけど何かあったの?』とラインを送ることにした。
*
放課後になったが、ラインの返事は来なかった。
しかし、既読マークは付いていた
僕は片桐さんが既読スルーをするような性格ではないという事はよく知っている。
やっぱり、なにかそれだけ悩んでいる事があるのだろうか……。
「どうしたのよ?」
僕がそんな事を考えながら廊下を歩いていた所、橘さんに話しかけられた。
「決闘に負けて姫宮エンゲージされちゃった西園寺先輩みたいな顔して、なんかあったの?」
「なんのアニメのネタだよ……?」
「世界を、革命する力を!」
橘さんは突然そう叫ぶと共に、勿体ぶったポーズを取りながら鞄から筆箱を取り出した。
「なに、今の……?」
「少女革命ウテナよ。知らない?」
「知らない……」
「え……?マジで知らないの?ピングドラムの監督の奴。超有名なアニメよ?」
「ピングドラム自体、タイトルしか知らないよ……」
「あんたってもしかして、今まで萌えアニメしか見てこなかったの……?」
「別にそういう訳じゃ……」
「ピンドラもウテナも見てないって、それでよく今までキモオタで通っていたわね……」
僕は自分がキモオタだなんて自負した事は一度もないが、非処女でヤる事しか考えていない上に男にもモテるリア充の橘さんにアニメの事でこんな風に言われるなんて、なんだか猛烈に悔しい……。
「ってかそれ、いつのアニメ?」
「1997年」
「僕らまだ、生まれてないよ……」
「生まれてなくても普通知ってるでしょ?有名なアニメだし」
「自分が生まれる前のアニメを普通に知ってるあんたの方がおかしいよ……」
「いかにもにわかオタクの発想ねえ……」
橘さんはため息交じりにそう呟いた。
「っていうか、調子こいた陰キャじゃないんだから、アニメの決め台詞いきなり叫ぶなよ……。痛々しいでしょ……」
「あんただってどうせ似たような事やったでしょ。傘二つもって『スターバーストストリーム!』とか」
「やってないよ……」
一時期PSO2やってて、その時の自キャラの名前を†キリト†にしてた事はあったけど、今はその事は黙っておこう。
「あとは女の子のスカートめくりながら『それーっモーレツ!』とか言ったり」
「言わないよ……。何のアニメのネタだよ……?」
「ハレンチ学園」
「あんたの存在そのものが破廉恥だよ……」
「そんなに褒めないでよ」
「褒めてねえよ……。ってかそれ、いつのアニメだよ?」
「アニメじゃなくて漫画よ。一応ドラマもあったけど」
「いつの漫画?」
「確か1970年より少し前」」
「古っ!」
下手したら学生運動とかやってた時代の作品じゃないか……。
「っていうかあんた、ハレンチ学園も知らないの?」
「知らないよ……。んな古い漫画知ってる方が珍しいよ……」
「永井豪の代表作なのに。こんな超有名な作品も知らないなんて、やっぱあんたってにわかねえ……」
「永井豪なんて、マジンガーくらいしかわかんないよ……」
「デビルマンは?」
「タイトルしか知らない……」
「バイオレンスジャックは?」
「聞いた事もない……」
「あばしり一家は?」
「なにそれ……?」
「はぁ……、あんたって本当にわかねえ……」
「もう何とでも言えよ……」
どうせそれらの古い漫画も、違法な手段で見たのだろうに……。
「まあそれはそれとして。ウテナ、結構面白いわよ。今から見ない?」
「いや、今日は遠慮しておくよ……」
「今日は部室来ないの?」
「……うん」
「元気ないわね。また吉田達にからかわれでもしたの?」
「違うよ……」
まあ今日も吉田達に絡まれたことには絡まれたんだけど、別にそれは今に始まった事じゃないし。
「今日、片桐さんと話したんだよ……」
「智代と?」
「うん……、登校の時に……」
「ふーん。あんたもようやく、何もしないでフラグが立つのはアニメの中だけって事に気がついた訳ね」
「……そうだよ」
「で、大好きな智代と話せたのに、なんでそんな辛気臭い顔してる訳?」
「片桐さん、浮かない顔でため息ばかりついていたんだ……。自分はやっぱり駄目な病人だとか、自分はズルい人間だとか、僕に優しくされる程の価値なんかないとか、なんか凄く落ち込んでいたみたい……」
「そうなんだ」
「他人事みたいな態度だね……」
「だって他人だもん」
「はぁ……」
僕はため息をついた。
まあ、この人には僕や片桐さんがどうなろうと心配する義理なんてないのはわかってるんだけどさ……。
「やっぱり片桐さん、何かあったのかなぁ……」
「さあ?メンヘラだし、情緒が不安定なのが基本なんでしょ?」
「そんなんじゃないと思うんだけどなあ……」
「友達と何かあったとか?」
「今朝、E組の教室行って様子を見たんだけど、友達とは普通に話してたよ……」
「じゃあ家族の事とか?」
「元から家族とは、あまり仲が良くなかったみたいだけど……」
「ならやっぱり彼氏?」
「わかんない……」
「慰めれば?」
「どうやって?」
「SEX!」
「あんたそればかりだね……」
「ヘタレ」
「……そうだね」
*
家に帰宅した時、僕は再びスマホを確認した。
やはりラインの返事は来ていなかった。
もしかすると、ラインでは話にくいような悩みなのかもしれない。
そう思った僕は、思い切って片桐さんに電話してみる事にした。
しかし、電話は繋がらなかった。
仕方がないので、留守電にメッセージだけを残す事にした。
緊張してしまい上手く話せなかったが、片桐さんに悩みがあるのなら僕はいつでも相談に乗る気であるという主旨だけは恐らく伝わっただろう。
その後しばらく僕はスマホの画面を見つめていたが、返事のラインや電話等は一向に来なかった。
(もしかしたら、返事なんて来ないのかもしれない……)
そんな不安が脳裏に過った瞬間、スマホから着信音が鳴り響いた。
僕はすぐさま通話ボタンをタップした。
電話に出た瞬間、聞き覚えのある泣き声が僕の鼓膜をびんびんと響かせた。
その泣き声の主は、片桐さんではなかった。
『直樹くんが……、別れたいってぇ……』
電話をしてきたのは、僕のかつての彼女であった小鳥遊さんだった。




