7話 自己PR
橘さんに連れられ部室に入ると、三人の生徒が和式テーブルを囲むように配置された座布団の上に座っていた。
一人は直樹、もう一人は小鳥遊さん。そしてもう一人はギャルっぽい女子生徒だった。
小鳥遊さんと直樹がこの部活の部員であるという話は事前に橘さんから聞いていたが、もう一人いるとは知らなかった。
ギャルっぽい人の明らかに校則違反な派手な風貌はいかにも今時のギャルと言った感じだった。
名前は知らないが、彼女は直樹によく付きまとっていてなおかつ直樹に対してわりと親しく話しかけている所をよく見かけた。
多分僕等の同級生で他のクラスの生徒なのだろう。
「みんなー!今日は新入部員を連れてきたわよー!」
橘さんは某SOS団団長のような態度で部室内の皆に伝え、皆の視線が僕に集中した。
この時小鳥遊さんと目が合った。
小鳥遊さんとこうして目を合わせたのは僕が彼女と初めて出会った時以来になる。
小鳥遊さんはいつも美人だが、こうして近くで見るとよりいっそう美人に見えた。
「モエ!モエじゃないか!」
僕が小鳥遊さんの可憐さに見惚れていると、開口一番に直樹が声をかけてきた。
「なんだよ?やっぱりお前も友誼部に入りたかったのかよ?」
「別にそう言う訳じゃ……」
「入りたいなら入りたいってちゃんと言ってくれればよかったのに」
昼休みにも事情は伝えた筈なのに物覚えの悪い奴だ。
僕は自分の意思でこの部活に入ったのではく橘さんに脅迫されたという事を何度言えばこいつは理解するのだろうか。
「ほら、ぼーとしてないでさっさと自己PRはじめて。直樹はともかくここにはあんたと初対面の人もいるんだから」
橘さんはそう言うが、僕は元々人見知りする方なのだ。
だからロクに話したこともない人たち数人の前で上手く話せる訳がない。
ましてや目の前には僕の大好きな小鳥遊さんがいるのだ。まともに話なんて出来る筈がない。
そもそも自己PRって、面接かよ……。
「えっと……、僕の名前は……」
「モエでしょ」
「いや、それはあだ名であって本名では……」
「モエでいいでしょ。皆そう呼んでるわ」
確かに皆そう呼ぶが僕はこのあだ名が嫌いだ。明らかな蔑称だからだ。
「っていうか、あんたの本名なんて誰も興味ないし」
橘さんは何気ない態度で物凄く酷い事を僕に言い放った。
そして橘さんの発言に何故か直樹が笑った。やっぱりこいつムカつく。
「で、モエ。あんた趣味は?」
「えっと……、趣味は……」
「聞くまでもないわね。アニメとネットとゲームだって」
直樹が再び噴き出した。橘さんもムカつくが直樹の態度はもっとムカつく。
確かに僕の趣味はアニメとネットとゲームだが、こんな言い方をされると腹が立つ。
「もういいわ。あんたボソボソしてて何言ってるかわからないし、私が代わりに自己紹介するわ」
僕の自己紹介を妨害しているのは橘さんだろうがと言ってやりたかったが、小心者の僕にはそんな度胸はなかった。
「デュフフw僕の名前はモエだブーwwwモエってのは勿論あだ名であって本名じゃないブーwww」
橘さんは豚の様な気持ちの悪い喋り方をしながら、草まじりに僕の自己紹介をアフレコしはじめた。
だが何故かこの場にいる僕以外の全員が笑っていた。
「趣味はアニメとネットとゲームだブヒwラノベも好きで特になろう系の俺TUEEEチーレム小説が大好きブヒwそういう話を読んで現実逃避をするんだブヒィwwww」
橘さんは僕という人間を評価する上で何一つ間違った事は言っていない。
だがとてつもなく腹が立つのは何故だろうか。
「休日は主に部屋に籠ってシコシコエロ画像を収集してるブヒィwお気に入りのエロ漫画家はクジラックス先生だブーwww」
確かにその通りだが、そういう話を小鳥遊さんの前でするのはやめてほしいと切に思った。
しかし気弱な僕がそんな事を堂々と言える訳もなく、僕は肩身の狭い思いに耐えながらただ黙って俯いていた。
というか、何故橘さんは僕の好きなエロ漫画家を知っているのだろうか。
「毎日シコシコイカ臭く過ごしているブーwこんなキモオタDTの僕だけどよろしくブヒーw皆仲良くしてブヒねwwwwブヒブヒヒwww」
橘さんによる僕の自己紹介が終わった。
こんな自己紹介で僕と仲良くしたがる奴がいるのなら今すぐ呼んでみろ。
皆僕を笑い物にしていた。
勿論僕の大好きな小鳥遊さんも笑っていた。
その上直樹に至っては腹を抱えて笑っていた。
もしもこの状況で僕がキレたりしたら明るいこの空間の空気は一変し、間違いなくこの場において僕は悪者になるだろう。
世の中は多数派こそが正義であり、少数派は悪者になる。
この状況を愉快に思っている人間がここに四人いる。そして不愉快に思っているのは僕一人だ。
なのでこの状況を打破するには僕が我慢するしかない。
皆は僕を嘲笑することで楽しい時間を過ごしているのだから。
「何よ、辛気臭い顔して。ちょっと弄っただけじゃない。ノリが悪いわね」
ちょっと弄っただけだって?橘さんのこの行為は明らかな虐め行為だ。
ここが学校という閉鎖された無法地帯内だから曲がり通ってはいるが、社会に出たら一発で侮辱罪が適応される状況だ。
もっとも今ここで僕がキレようと、先生にここで起きた事をチクろうと何の解決にもならない事は僕が一番よく知っている。
「まあそう言うなよ。モエはちょっとばかし人見知りなだけなんだよ」
直樹はまるで僕を庇うように言ったが、さっきまで腹を抱えて笑っていた直樹がこんな事を言ってもとてつもなく白々しいだけだ。
「まったく、これだから陰キャは……、折角私がモエに弄られキャラとしてのポジションを与えてあげようと思ったのに」
橘さんはそうは言うが、そんなポジション僕は欲しくない。
僕は今までてっきり橘さんは大好きな直樹の前ではネコを被っているのだと思っていた。
だからこそ直樹は橘さんを良い人として評価している。そう思っていたのだ。
だがそれは僕の誤解だった。
橘さんは直樹の前でも依然として性格が悪い。
でも直樹はバカだから橘さんの性格が悪いという事実に気づいていないだけなのだろう。
しかしこの状況で一番嘆かわしいのは小鳥遊さんが僕を庇ってくれなかった事だ。
それどころか他の皆のように僕を笑い物にしていた。小鳥遊さんの事は正直よく知らない。だから良い人なのか悪い人なのかもよくわからない。
でも僕はあんなに綺麗な小鳥遊さんならきっと心まで綺麗な人だと思っていたのだ。
だけどいくらスペックの高い小鳥遊さんと言えど、一人の女子生徒である事には違いない。
僕みたいなキモオタの滑稽な姿を嘲笑するのは自然な行為と言える。それは悪い事ではない。自然な事なのだ。
滑稽な者、醜い者、弱い者を嘲笑うのはこの社会において当然の事なのだ。だから小鳥遊さんは何も悪くない。
悪いのはむしろ滑稽で醜く弱い僕なのだ。
だがしかし、これでは普段吉田達に弄られているのと大差はない。
折角ラノベの様な変な部活に入部出来たものの、僕に与えられた役割がこんな物では普段の生活と何も変わらない。
「モエ、これから先も同じ部活仲間としてよろしくな」
直樹が僕に握手を求めてきた。
(さっきまで散々僕を笑い物にしてた癖に)と心の中で呟きながら僕は握手に応じた。
そしたらギャルっぽい人も僕に握手を求めてきた。
「ボクの名前は片桐智代って言います。よろしくです」
(この人女なのに一人称ボクかよ……。三次元のボクッ子って痛すぎるだろ……)と思いつつも僕は握手に応じた。
「智代はあんたと同じでアニメやゲームが大好きなの。多分モエと気が合うと思うわ」
橘さんがそう告げると、片桐さんはニコニコと笑いながら頷いていた。
見た目派手なギャルでボクッ子でアニメゲーム好きのオタク少女とかまるでラノベのキャラみたいだ。
リアル女性なのに属性詰め込み過ぎでなんか怖い……。こういう人に限って裏で何を考えているかわかった物じゃない。
やっぱりこんな変な部活に入りたがるような人にはまともな人はいないのだろうか。
「で、私は部長の橘小夜。ちなみに副部長はそこにいる直樹。よろしくね」
橘さんが僕に握手を要求してきた。色々と思う所はあったが僕は応じた。
「ほら、椿もモエと握手して」
「え……」
橘さんがそう言うと、小鳥遊さんは青ざめていた。
「本当にするの……?」
「当たり前でしょ。同じ部活の仲間になるんだから」
「…………」
小鳥遊さんが何故僕に対してこんな態度を取るかなんて、考えるだけ野暮って物だろう。
「あはは……、モエ君。その、よろしくね……」
小鳥遊さんは苦笑いしながら僕と握手した。
何はともあれ、僕は今こうして憧れの小鳥遊さんと初めて触れあう事が出来た。
今まで遠くから眺めているだけだったが、今はこうして同じ部活仲間として小鳥遊さんと直接触れ合っているのだ。
これだけでも僕がこの部活に入部した意味は存分にある。
と思いたかったが、小鳥遊さんの青ざめていく表情を見るとそんな思いは一瞬で消し飛んだ。
映画千と千尋の神隠しにて、主人公の千尋が腐れ神のあまりの悪臭に思わず髪の毛を逆立てたシーンと今の小鳥遊さんの状況はよく似ていた。
そして握手が終わると小鳥遊さんは橘さんに向けて言った。
「ごめん、小夜。あたし、トイレ行ってもいいかな?」
「いいわよ。行ってきて」
小鳥遊さんが何故このタイミングでトイレに行ったのか、正直考えたくもない。
そう思ってた矢先。橘さんが僕に耳打ちした。
「多分あいつ、今必死になって手を洗っているわよ」
正直、入部早々この部活で僕が上手くやっていけるのか不安になってきた。