5話 相談
ある日の放課後、僕はいつものように片桐さんのいる部室に行こうとしていたら、突然直樹に呼び止められた。
「モエ、話したい事があるんだ……」
「しらないよ」
真剣な表情でそう言う直樹に対し、僕は冷たくあしらった。
「椿と……、上手くいかないんだ……」
そんな事を何故僕に言うんだ……。
「椿……、毎日弁当作ってくるんだ……」
それの何が嫌だって言うんだ……。
っていうか、そんな話僕にするなよ……。
「でかい重箱に、いっぱいのおかず敷き詰めて、毎日毎日食べきれない程の弁当を作ってくるんだ……」
「それだけ思われてるんだろ。よかったじゃん」
「…………」
僕がそう言うと、直樹は下を向いた。
「いつも……、一緒にいたいって言われるんだ……」
「それの何が不満なの?」
「放課後も、休みの日も、ずっと一緒にいたいって言われるんだ……」
「自慢かよ……」
「違う……」
「じゃあ自虐風自慢?」
「…………」
直樹は再び俯いた。
「そりゃ俺だって、椿は綺麗だし頭もいいし、お嬢様だし素敵な子だって、思ってたよ……」
「じゃあよかったじゃん。そんないい子と付き合えて」
「でも……」
「でも、なんだよ?」
「いざ付き合ってみたら……、思っていたのと全然違うんだ……」
「ふーん、そうなんだ」
「椿、酷い虐め受けてるのに……、その事なんか全然気にしないで、いつもニコニコしているんだ……」
「ああ、そう」
「小夜だけじゃなくて、もっと沢山の奴から酷い事されてるのに、俺といる時はいつも嬉しそうに笑ってるんだ……」
「健気だね」
「でも……、些細な事で、すぐに大声を出すんだ……」
「代わりにやる事やってるんだろ?なら我慢しろよ」
「…………」
直樹はまたしても黙りこんだ。
「前に俺……、妹が俺の事、男として見てて困ってるって話したんだ……」
これだけ冷たく返してるのにまだ話を続ける気か、こいつは……。
「そしたら椿、妹の目の前で俺と……、その……」
直樹は煮え切らない様子を口を噤いだ。
「なに?ナニでもされたの?」
「……………………」
直樹はとても悲しそうな顔をしながら頷いた。
マジかよ……。
適当な事言ったつもりなのに、図星だったのかよ……。
やっぱりあの人、常識ないなあ……。
「椿……、重いんだよ……」
「だから?」
「毎日……、求められるんだ……」
「よかったじゃん。おっぱい揉み放題じゃん」
「真面目な優等生だと思ってた椿が……、俺に跨って女の顔しながら一心不乱に、腰を振るんだよ……」
さっきからの直樹の無神経な発言の時点で既に不愉快な気持ちだったが、直樹のその台詞を聞いた時、僕の心の中から更に大きな不快感がこみ上げてきた。
「お前……、僕が一応小鳥遊さんの元カレだってわかってるの……?」
「わかってるよ……、でも……」
「でもなんだよ……」
「他に相談する相手なんて……、お前以外にいないんだよ……」
「いくらでもいるだろうが」
「…………」
直樹はまた黙った。
そんな直樹のヘタレな態度を見て、僕は大きくため息をついた。
なんで僕が皆からキモがられて、こんな女々しい奴がモテるんだか……。
「お前はいいよなあ……。あんな美人な彼女がいて、毎日食べきれない程の手作り弁当作ってもらえて、毎日したいって言われて、エロい事も沢山して、それで重いなんて贅沢な台詞が言えるんだから」
「贅沢だなんて……、そんな……」
「お前、小鳥遊さんには散々迷惑かけたんだから責任取れよ」
「でも……、辛いんだよ……」
「そうかよ。だったら別れりゃいいだろ」
「別れるだなんて、そんな……」
「お前には代わりの相手なんていくらでもいるんだから、いっそ別れたらいいだろ」
「そんな言い方って……」
「事実だろ」
「でも……」
「でもなんだよ?」
さっきからでもばかりで流石に僕もイラついてきた。
「智代に……、言われたんだ……」
「なにを?」
「椿と……、幸せにって……」
「それが?」
「でも……、全然、幸せじゃないんだ……」
「何それ?やっぱり自虐風自慢?」
「違うんだよ……」
「だから別れたいなら別れればいいじゃん」
「でも……、智代が、幸せになれって……」
「知らないよ」
「そんな……」
「ってかそもそも、お前から見た片桐さんってどうせ振った女じゃん。好きにしろよ」
「なんでそんな言い方するんだよ……?」
女々しく嘆く直樹の様子を見ていたら、非常に腹が立ってきたので僕は告げた。
「ウザいから」
「ウザいって……」
「ウザい。女々しい。話しているだけで不愉快な気持ちになる。ムカつく。正直死んで欲しい」
「なんでそんな事言うんだよ……?俺達、友達じゃなかったのかよ……?」
直樹のその言葉を聞いた途端、僕の脳味噌のどこかが千切れるような音がなった気がした。
「僕はお前の事を友達だなんて思った事は一度もない」
「え……?」
僕が無慈悲にそう言うと、直樹は唖然とした顔をした。
「まさかお前、あのクソ部活に僕が参加してたからって、友達だなんて思ってたの?僕があのクソ部活でどんな嫌な思いしてるか興味も持たなかった癖に?」
「…………」
「大体、横で女の子達にチヤホヤされてるお前見て、同じ男の僕が嫌な気持ちにならない訳ないでしょ。馬鹿なの?」
「…………」
直樹は申し訳なさそうに黙り込んだ。
「お前見てるとイライラするんだよ。っていうか僕、初めて会った時からお前の事が大嫌いだったよ」
「な……」
直樹は呆気に取られた顔をした。
前々からこいつはバカだと思ってたが、まさか僕が直樹の事を快く思っているだなんて、そんなふざけた思い込みでもしていたのだろうか。
「僕はぼっちだし、授業で二人一組作る時や飯食べる時困るから一緒にいただけ。ずっとお前の事は嫌いだったけど、他に友達もいないから仕方なく一緒にいただけだよ」
「…………」
流石にこんな事を言われたせいか、直樹はとても寂しげな顔をしていた。
「趣味も特技もないつまらない奴の癖に、何故かいつも女の子にチヤホヤされてて、女にモテる癖にいつもダルそうな顔して、挙句難聴主人公の物真似だよ」
「…………」
「その上女をとっかえひっかえ。可愛い子とヤる事沢山やってる癖に何故か被害者面。こんなんで僕がお前の事嫌いにならないと思ってるの?頭に蛆でも涌いてるの?」
「………ごめん」
直樹は今にも泣きそうな顔をしながら謝罪してきた。
「またそれかよ……」
「ごめん……」
呆れる僕に対し、直樹は再び謝罪した。
「なんなら土下座でもすれば?得意だろ、それ」
「でも俺……、どうしたらいいか、わかんないんだよ……」
またしても女々しく泣き事を言う直樹に対し、僕は再び大きなため息をついた。
「どうしても相談したいなら、僕なんかよりずっといい相手がいるだろ?」
「え……?」
「糞尿塗りたくった仲の、最高の親友がいるだろ?」
このセリフを聞いた直樹は絶句した様子で口を開けたまま固まっていた。
「そんな事した仲なんだから、どんな事でも相談出来るだろ?僕なんかよりずっと親密にさ。じゃあ、そういうことだから。これからはあんまり僕に話しかけないでよ」
僕は直樹にそう告げると、その場から立ち去った。
*
「なんであんな事言ってしまったんだろう……」
部室についた途端、僕は激しい自己嫌悪感に襲われた。
いくらなんでもあの台詞は酷すぎた。
「いくら相手が大嫌いな直樹だからって、なんであそこまで酷い事を言ってしまったんだろう……」
「直樹さんに何か言ったんですか?」
映画、ファイナルデスティネーションを見ている途中だった片桐さんは、停止ボタンを押した上で僕に聞いてきた。
「僕、なんか性格がかなり悪くなってる気がする……」
「え?そうですか?」
「さっき直樹に、小鳥遊さんと上手くいかないって相談されたんだ……」
「そうなんですか?」
「相手が直樹とはいえ、なんであんな事言ってしまったんだろう……」
「どんなことを言ったんですか?」
「彼女と上手くいかなくて困ってるなら、糞尿塗りたくった仲の最高の親友に聞けって……」
「それって小夜さんの事ですか?」
「うん……」
僕は弱々しく頷いた。
「ずっと前からお前の事嫌いだったとか、お前みたいなリア充の自虐風自慢はウザいとか、酷い事を沢山言った……」
「この前の小夜さんとの事もそうですが、強さんってたまに結構キツい事言いますね」
「あれはもう、キツいなんて物じゃないよ……。つい頭にきたとは言え、あんな酷い事を言ってしまうなんて、自分で自分が嫌になるよ……」
「そうですかね?でも私だって、大嫌いなリア充がこの映画みたいな目に遭うといいなってよく思ってますよ」
片桐さんは車にぶつかった列車の破片でビリーの顔面が切断されているシーンのまま止まったノートパソコンのディスプレイを指差しながら言った。
「でも……、実際に暴言吐いてる訳じゃないし……」
「暴言は吐きませんが、私はストレスのキャパを超えると物や人に危害を加えますよ。それを思えばマシですよ」
「それは仕方ない事だよ……」
「でも普通の人間ならこんな事しませんよ」
「そりゃ、僕だって……」
「暴言なんて腹が立てば誰だって吐きます。でも物を壊したり大声出して暴れたりなんて、病気の人以外はしませんよ」
「そりゃ……、そうかもしれないけどさ……」
「だから強さんは私なんかより全然マシです。だからもっと自分に自信を持ってください」
「うん……、ありがとう」
片桐さんとのこういったやりとりは、間違いなく世間からは傷の舐め合いと揶揄される行為であるだろう。
でもやっぱり、片桐さんにこうして慰めてもらうと、僕の心は非常に安らぐというのは揺るぎのない事実だ。
仮に第三者から見苦しいからやめろと言われたとしても、そう容易くやめれるようなことではない。
「でも最近は、情緒も凄く安定してるんですよ。かつてない程に」
「え?」
「強さんと一緒だと一切気を使わなくて済むから気が楽なんです」
「え……、そうなの?」
「はい。直樹さん達といた頃は、精神病患者だってバレてたとは言え、いかにもメンヘラですってアピールするみたいになるのが嫌で薬は陰で飲んでいたんです」
「そうなの……?」
「でも強さんの前なら堂々と飲めます。強さんは私がどんな事をしても絶対に引かないですから」
「そう……、なんだ……」
「無理のあるオタクキャラで押し通す必要もないし、変なコスプレしなくてもいいし、無理して明るくしなくても済みますから、精神衛生的に凄くいいんです」
「そんな……、僕は全然、大した事は……」
「強さんとこうして話すようになってから、頓服薬の減りも大分減ったんです。っていうか、最近は常用薬しか飲んでないんです」
片桐さんの目には一切の曇りがなかった。
この人は本気で僕に感謝しているということが、人目見ただけで確信できる眼差しだった。
「直樹さん達といた頃は、頓服を飲んで陰ですすり泣く毎日でしたから。でも今はもう、そんな心配しなくていいです。薬も常用薬だけで間にあっていますし、ここ最近は泣いたり物を壊したりもしてませんし」
やっぱり片桐さん、直樹と一緒にいると疲れてたんだ……。
そりゃそうだよね……。
好きな男と一緒にいる為とは言え、大嫌いな人達とバカみたいな友情ごっこを毎日してたんだもん。
その上片桐さんは、他の二人とは違って直樹に嫌われないようにと常に我慢してきたし、僕なんかよりずっと疲れるような思いをしてきたんだろうなあ……
「これも全部強さんのお陰です。本当にありがとうございます」
満面の笑みを浮かべながら片桐さんにそう言われた時、何故か僕はかつて親友だったあいつの事を思い出していた。
あいつとは色んな所に行ったし、色々な事もやった。
僕の17年にも満たない短い人生の中で、唯一親友と呼べた人間はあいつ一人だけだった。
だがあいつは僕が本当に苦しんでいる時、何もしてくれなかった。
それどころか、世間一般で言う友情という物の正体は非常に白状であるという事を身を持って証明し、ただでさえ拗れていた僕の心を余計に拗らせる一因となった。
でもここにいる片桐さんは違う。
片桐さんと僕とは、お互いの事を尊重し合っている。
苦しみも悲しみも喜びも、共に分かち合える関係を築けている。
楽しい事も苦しい事も辛い事も、一緒になって共有出来ている。
今の僕と片桐さんは、あの時の僕とあいつなんかよりも遥かに強い絆で結ばれているという事を、僕はこの一件で確信した。




