5話 悪魔
「という事であんた、私の仲間になりなさい」
「……はい?」
話の途中で橘さんは唐突にどこぞの海賊漫画の主人公みたいな事を言い出した。
丁度僕は橘さんは要点を掻い摘んで物事を話せないと呆れていた所だった。
しかし今度は重要な説明の大半を飛ばして要点だけを言ってきた。
「私の部活に入部して私に協力するのよ」
「え……、なんで?」
「小鳥遊椿を直樹から引き離す為よ」
正直言って、僕には橘さんの発言の意味がさっぱりわからなかった。
「ごめん……、もう一度ちゃんと説明して……」
「はぁ?あんたこれだけ私が丁寧に話してるのにまだ意味わからないの?これだから陰キャのキモオタは困るわ……。一体どれだけコミュ障なのよ?」
「……ごめん」
とりあえず謝罪はしたが、この状況で橘さんの発言の意図がちゃんと理解出来る人がいるのかどうかは疑問だ。
「私は大好きな直樹をあのクソッタレの小鳥遊椿なんかに取られたくないの。だからあいつを直樹から引き離したい。そこで今まで色々な嫌がらせをして小鳥遊椿を学校から追い出そうとしてきた。ここまでオーケー?」
「え……、うん。オーケー」
「今まで私は色々な事をしてきたわ。今日はあいつの制服に疑似精液をぶちまけてやったし、前にもあいつの体操着や下着を盗んだりもした」
何気に橘さんは今とんでもない事を白状した。
あれらの卑劣な犯行の全ては小鳥遊さんのファンが起こした物ではなく、小鳥遊さんを嫌っている橘さんの犯行だったのか。
二人はいつも直樹を取り巻いているので、傍から見ると橘さんと小鳥遊さんは友達同士のようにも見えたが、裏では好きな男を取られまいとこのような陰湿な嫌がらせをしていたのか。
女という生き物はやはり恐ろしい。
「じゃ、じゃあ小鳥遊さんが援交してるって噂流したのも橘さん……、なの?」
「それは知らない。あいつ男子はともかく女子にはかなり嫌われてるから、他の奴が流したんじゃないの?」
なんていうか……。小鳥遊さんも可哀想な人だ。
「まあでも、どれもあまり効果がなかったのよ。私が何かしなくてもあいつの事をウザいって思ってる女子はいくらでもいるし。私以外でもあいつに嫌がらせする女子は結構いるわ。今日だって自分の服に精液かけられたって言うのに、特に動じることなく体操着で普通に授業を受けていたって話だし、その手の嫌がらせはもう慣れっこなのね。そこで私は考えたの。正攻法で駄目ならどうすればいいのかって。そんな時あんたが目に入ったわ」
「え、僕?」
「そう!何もしていないって言うのに、ただキモイって理由だけで小鳥遊椿の制服に精液をぶっかけたって疑われたあんた。あんたが私にとってはうってつけの人材なのよ」
ここまで言われて、橘さんの伝えたい事がようやく僕にもわかりかけてきた。
「そんなキモい奴がもしも自分の部活仲間だったらどう思う?最悪でしょ?」
橘さんはとても不敵な笑みを僕に見せた。
「私の友誼部の建前上の活動目的は友達がいない生徒が友達を作って、皆で楽しく青春を謳歌する為の部活よ」
パクリ臭い部活だと思っていたが活動目的までパクリみたいだ。
この部屋の娯楽用品だらけの光景を目にしたら活動内容の大方の予想はつく。
だが今はそんなは事どうでもいい。
「まあこんなアバウトな活動目的にしちゃったせいで小鳥遊椿みたいなウザい女が入部する羽目になっちゃったけど、今更言ってもしょうがないわ。部活内で部長権限を駆使して強引にあいつを追い出そうとすると、直樹の私に対する印象も悪くなるでしょうし」
正直言うと、僕にとっては今目の前にいる橘さんの方がよっぽどウザい。
「あんた友達いないでしょ?」
そう尋ねられ一瞬直樹の顔が頭に浮かんだ。
でもよくよく思うと直樹は僕にとって友達と呼べるかかなり微妙な付き合いをしている事に気付いた。だから僕は頷いた。
「部員としての条件はちゃんとクリアしてる。そして我が友誼部の実態はただの慣れ合いサークル。そしてその慣れ合いサークルにあんたみたいなキモオタが入部したら、潔癖症の小鳥遊椿はどうなると思う?」
「……………………」
僕はしばらく考えた上で答えた。
「……部活を辞めたくなる」
「そう!正解!」
橘さんは満面の笑みを浮かべ僕に拍手した。
「結果、小鳥遊椿は友誼部をやめる!そして私は当初の目的通り友誼部をダシに直樹と二人でいられる!部活以外の時間ではあいつは直樹に付きまとうかもしれないけど、それも私の幼馴染&同じ部活仲間としてのアドバンテージでまあ何とかなる!いいことづくめよ!」
得をしているのは橘さんだけなような気がして他ならない。
「そう言う事でよろしくね!」
「ちょっと待ってよ!?」
「何?何が不満なの?」
ハッキリ言って不満しかない。
「だってそれ、僕が小鳥遊さんに嫌われろって事でしょ!?」
「そうよ」
「嫌だよ!」
「なんで?」
なんでも何も、僕は小鳥遊さんを好いているからに他ならない。
「別にいいじゃない。あんたが一人の女子生徒に嫌われるだけで私の恋が成就するのよ?あんたキモイから女子に嫌われ慣れてるでしょ?どうせあんたみたいなキモオタ生きててもクソの役にも立たないんだから別にいいでしょ?」
全然良くない。橘さんの恋が成就しても、僕の恋は砕け散る事になるからだ。
「もしかしてあんた、小鳥遊椿の事が好きなの?」
多分橘さんは僕の動揺を察したのだろう。こんな態度を取っていればどんな朴念仁でも分かる事だ。
「え……、マジで好きなの?」
「…………」
「ふーん。つまりこういう事かあ。あんたは小鳥遊椿が好き。あんたは今、小鳥遊椿と接点を持つ事が出来るかもしれない。だけど私の申し出を受け入れて小鳥遊椿の部活仲間になりたくはない。なぜならあんたはキモオタ。小鳥遊椿みたいな奴とは到底釣り合わない。だから話しかけたら間違いなく嫌われる。嫌われるくらいなら最初から関わりたくない。だから遠くから眺めているだけで満足しようと我慢してきた。そう言う訳ね?」
橘さんの言う事は何も間違っていなかった。
「ばっかじゃないの?話しかけなきゃ仲良くなる事だって出来ないのよ?」
話しかけたとしても仲良くなれるとは限らないだろうに。
「あんなスペックだけの中身スカスカ女の何がいいの?まあ男としてはああいう見てくれだけ無駄にいいのが魅力的に見えるってのもわからない話ではないけど」
何が中身スカスカだ。ただ単に妬ましく思っているだけじゃないか。
「あのね、あんたみたいなキモオタが黙っているだけで女が好意を寄せてくれるなんてありえないの」
そんな事言われなくてもわかっている。
「現実はあんたの大好きな萌えアニメやラノベとは違うの。冴えないキモオタやニートが異世界に呼ばれて大活躍してハーレムを作る事もなければ、学校のアイドル的な美少女とひょんな事から仲良くなって一緒に付き合うような事もあり得ないの」
そんな事僕が一番よく知っている。
「あんたが何もしないでダラダラとしているだけであいつがあんたに惚れる可能性なんて、宝くじで五億あてた直後に隕石が頭上に落下して死ぬ確率より低いの。わかる?」
「そんな事言われなくたってわかってるよ!」
僕は思わず大声を出してしまった。
「だったら、なんで私の申し出を受け入れないのよ?」
嫌われるのが怖いから。
「嫌われるのが怖いから?」
橘さんは僕が脳裏に思い浮かべた言葉とまったく同じ言葉で問いかけてきた。
「別に私はあんたが小鳥遊椿に嫌われようとどうでもいいし、正直あんたがその辺で死のうと自殺しようと別に気にしないわ。だけどね、今はあんたがいないと困るの」
この人はなんて自分勝手なんだろう。さっきから好き勝手な事ばかり言っている。
「まあもしかしたら、部活にさえ入れば小鳥遊椿があんたを好いてくれる可能性がない訳ではないわ。万に一つだけど。それに付き合えないとしても、部活仲間として仲良くなれる可能性がない訳ではないわ」
嘘つけ。さっきは僕が入部したら小鳥遊さんは絶対に部活をやめたがるって嬉しそうに言っていたじゃないか。
「あんたにとっても悪い取引じゃないと思うけど?あいつと仲良くなれるかもしれないし、好きな人と同じ部活で過ごす事が出来る。もしもあんたが小鳥遊椿と付き合う事になれば、もうあいつは私の直樹には付きまとわなくなる。双方共に得をするじゃない」
嘘つけ。さっきと言ってる事が180度違ってるじゃないか。
「まああんたが小鳥遊椿に嫌われたとしても、そしたらそれであいつは部活に来なくなる。どちらにしても私にとって嬉しい結果になるわ」
それが本音か。そりゃそうだ。こんな性悪が本気で僕の恋路を応援する訳がない。
「これだけ言ってもまだ嫌なの?はぁ……。そこまで言うなら、わかったわ」
ようやく納得してくれたか。なら早く僕を解放してくれ。
どうせ小鳥遊さんが僕を好きになる事なんてないんだから、これ以上僕を訳のわからない事に巻き込まないでくれ。
「じゃあこうしましょう。私に協力しないと小鳥遊椿の制服に精液をぶっかけた変態糞野郎の性犯罪者はあんただって言いふらす。そしたらあんたはこの学校にいられなくなる。勿論小鳥遊椿にも嫌われる」
「は……?」
「さっきも吉田達にあんたが犯人だって疑われていた。あんたはキモイからきっと誰もあんたの無実は信じてくれない。生徒も教師も、もしかしたら親も信じてくれないかもね」
「ちょっと待ってよ!?」
「は?なによ?」
「小鳥遊さんの制服を汚したのは橘さんでしょ!?」
「そうよ」
「なのになんで僕がやったって事になるんだよ!?」
「私に協力しないから」
「ふざけないでよ!」
「あはは!私はいつでも真剣よ」
橘さんは笑いながら無慈悲にそう告げた。
なんだよ……。この人。
「あのね、それでも僕はやっていないって言って信じてくれるような世の中ならこの世から痴漢冤罪なんてものはなくなるの。わかる?」
わからない。
「あんただって、私が小鳥遊椿の制服を汚していた所を見ていたのに、私がやったって言うまで犯人だって気付かなかったでしょ?つまりそういう事よ。誰も私が犯人だとは思わない」
橘さんの詭弁を聞いていたらなんだが頭が痛くなってきた。
「あんたはクラスで虐められているキモオタ。そして私は普通の女子生徒。皆どっちの言い分を信じるかわかるでしょ?何が本当なのかとかそんなの関係ないの。私がやったって言えばあんたは一発で性犯罪者なの。性犯罪においては女の意見が全てなの。真偽も容疑者の言い分も関係ない。わかる?」
橘さんの言う事はさっきから何一つわからない。この人は僕が今までの人生で出会ってきた誰よりも心が捻じ曲がっている。
「私の申し出を聞けばあんたは大好きな小鳥遊椿と接点を持つ事が出来る。もしかしたら付き合えるかもしれない。そうでなくても友達になれるかもしれない。その上性犯罪者にされなくても済む」
僕を性犯罪者にしようとしているのはあんただろうが。
「あんたにとってどっちが得な選択なのかは考えるまでもなくわかるわよね?」
どっちを選んだとしても僕には損しかないだろうが。
「どうするの?私の申し出を受け入れるの?受け入れないの?性犯罪者扱いされたいの?されたくないの?性犯罪者になったら人生台無しよ?」
橘さんは形容しがたい程の邪悪な表情を僕に向けながら尋ねてきた。
もはやこれは申し出なんて甘い物では断じてない。橘さんの言っている事は脅迫以外のなにものでもない。
今橘さんの要求を断れば、間違いなくただでさえロクでもない僕の人生が確実に終わる。
かといって橘さんの要求を受け入れれば今後どんな酷い目に遭うか想像も出来ない。どちらを選んでも僕にとって有益な結果に繋がる事はないだろう。
しかし、僕が小鳥遊さんと仲良くなれる可能性もない訳ではない。
ない訳ではないのだが、その可能性はかなり低い。
何故なら僕はキモオタで、小鳥遊さんは美少女アニメに出て来るキャラクター並みに何もかもが完璧で魅力的な女子だからだ。
「少しだけ……、考えさせて」
「……………………」
僕がそう言うと、橘さんは目を丸くした。そしてしばらく大笑いした。
「わかったわ。少しだけ待ってあげる。でも明日の放課後までに答えを出してね。もし出さなかったら、どうなるかわかってるわよね?」
この時の橘さんの顔が僕には悪魔のように見えた。