20話 ヒス
ある日の休み時間、いつもの通り教室内で直樹と小鳥遊さんが二人一緒に話していた。
でも何故か小鳥遊さんは制服ではなく、体操着を着ていた。
「なんで体操着を着ているんだ……?」
「うん。なんとなくそういう気分だったから」
直樹の問いに対し、小鳥遊さんは笑顔で答えた。
「あのさ……。あまり俺の教室、来ない方がいいんじゃないのか……?」
「なんでそんな事言うの?」
「だってほら、あまり目立つような事すると他の女子に因縁つけられるしさ……。それにその服だって……」
「直樹くんはあたしと一緒にいたくないの……?」
「別にそういう訳じゃ……」
「直樹くんはあたしといるより他の人の目の方が大事なの!?他の人にどう思われようと関係ないでしょ!?」
小鳥遊さんは大声をあげて直樹を怒鳴りつけた。
小鳥遊さんはたまにこうなる。
気に入らない事が起きるとよくヒスを起こす。
友誼部時代や僕と付き合っていた時にもちょくちょくこうなっていた。
でも気のせいか、直樹と付き合うようになって以来小鳥遊さんがヒスを起こす頻度が増えたような気がする。
少なくとも、以前は皆もいる教室でこうして堂々と大声を出す事はなかった筈だ。
ヒスを起こす周期も不定期なので、間違いなく生理ではないだろう。多分これは小鳥遊さん個人の性格の問題だ。
基本的に小鳥遊さんは大人しくて物静かな性格だが、直樹や恋愛の事が絡むとよくヒスを起こす。
その原因は育った家庭環境が特殊だったのが一因だとは思われるが、実際の所僕にはよくわからない。
恐らく、プライベートで直樹と二人きりでいる時も、気に食わないことがあればごく日常的にヒスを起こしていると推測できる。
直樹も慣れた様子なのか、小鳥遊さんのヒスに対し辛そうな顔をしながらも何も言わずに聞き流している。
それを思うと、直樹も直樹で大変だとは思う。
まあその代わりに、あれ程の美人とヤりまくれている訳だから、あまり同情する気にはなれないが……。
「いやぁ、今日も凄いわねえ」
自分の机に座りながら直樹達の様子を見ていた僕に、橘さんは話しかけてきた。
「他人事みたいだね」
「だってもう他人だもん」
「そうだね」
「人前であんなに大声あげて、あいつきっと将来騒音おばさんみたいになるわよ」
「何それ?」
「え?知らないの?騒音おばさん」
「知らないよ」
「マジなの……。今時の陰キャはそんなことも知らないの……。まあ10年以上も前の事件だしねぇ……」
「だから何それ?」
「ググりなさい」
「ええー……」
「それはそれとして、椿が何であんな格好してるか知ってる?」
「知らない。大体想像つくけど」
「なんでも体育の授業から戻って帰ると、制服が引き裂かれてたらしいわよ」
前にもそれと似たような話聞いたぞ……。
「橘さんがやったんでしょ……?」
「違うわよ。だから私じゃないって」
「本当かよ……?」
「私以外にもあいつを嫌ってる女子は大勢いるわ。売女だし」
「いや、確かに酷い性格してるけどさ……」
「あんただってあの阿婆擦れの被害者でしょ?」
「……うん」
「世間知らずで甘ったれで人生舐めてる痛いお嬢様には当然の報いよ。むしろ制服引き裂かれるくらいじゃ生ぬるいわ」
「そうかもしれないけどさ……」
「あんたはよくわかってるでしょ?見た目やスペックはともかく、あいつが人から好かれるような性格してるって言える?どう贔屓目で見てもあいつ性格ブスでしょ」
「性格ブスって、あんたが言えた台詞じゃないだろ……」
いつもの事だが、橘さんの棚上げ発言には本当に呆れる。
「直樹も直樹よ。あんな奴、さっさと振ればいいのに」
「小鳥遊さん凄い美人だから、やっぱ名残惜しいのかなあ」
「あんたじゃあるまいし、直樹はモテるんだから代わりの相手なんていくらでもいるでしょ」
「そうだね……」
「私が思うに多分、高級ソープ行ったら見た目は良くてもサービス最悪の地雷女が出てきて、今更チェンジって言えないような心境なんでしょうね」
これもいつもの事ではあるが、橘さんの発想は毎回俗物的過ぎる。
「いや、普通に小鳥遊さんに対する罪悪感でしょ」
「罪悪感ねえ……。そんな馬鹿馬鹿しい理由であんな雌豚と付き合って何がいいのかしら?」
「直樹の罪悪感にかこつけて散々ハードな事をヤらせてたあんたがそれを言うのか……」
「あーあ、早く別れてくれないかなあー」
これもまたいつも僕が思っている事だが、この人の発言って毎回ブーメラン刺さり過ぎだろ……。
それにしても、やっぱり橘さんは他に彼氏も作らずに、直樹と小鳥遊さんが別れるのを律義に待つ気なのだろうか?
見た目だけは良くてモテるんだから、普通に他の相手を探せばいいのに……。
ギャルゲーとかハーレムラノベの負けたヒロインの本編終了後の心境ってこんな感じなのかなあ……?
「直樹くんはあたしのこと嫌いなの!?あたしはいつも直樹くんの為を思ってやってるんだよ!?直樹くんはあたしのことが好きじゃないから一緒にいたくないの!?」
僕がそんな事を思う中、小鳥遊さんは依然として大声を出して直樹を怒鳴り続けていた。
当然の如く、教室内の他の連中も白い目で見ていた。
別に今に始まった光景ではないが、いくらなんでも小鳥遊さんは周りが見えてなさ過ぎる。
そんなだから虐めに遭うんだよ……。
大声出して騒ぎ続ける小鳥遊さんを冷ややかな目で見ながら橘さんは言ってきた。
「本当五月蝿いわねえあいつ。一体親からどんな教育受けてるのかしら?」
親がいない上に、常識もない橘さんがそれを気にするのか……。
「小鳥遊さんの家、ちょっと変わってるんだよ」
「お嬢様だから?」
「まあそう。なんでもお父さんとお母さんの歳の差が25あって、結婚した理由はお母さんの若さと容姿と政略だけらしいよ」
「ふーん、愛のない家庭で育ったって訳ね」
「あと生まれながらに決められた婚約者もいるみたい。お母さんもお婆ちゃんもそんな感じに好きでもない相手と結婚して、小鳥遊さんもいつかそうなるって前愚痴ってたよ」
「あーあ、なるほど……。そりゃ性格歪むわあ……」
「橘さんも橘さんでかなり歪んでると僕は思うけどね……」
「そんな事ないわよ」
「どうだか……」
「まあ、あいつのイカれた性格は単に家庭環境だけが原因って訳でもないだろうけど。なんていうか素でおかしいし」
「確かにそんな気はするよ……」
「なんていうかちょっとサイコ入ってない?良心が欠けてるっていうか、世間一般の常識が通じないっていうか、常に自分本位で他人に対する思いやりがないっていうか、なんでも自分の都合の良いように解釈するっていうか」
「そう……、だね……」
一応曲がりなりにも僕は小鳥遊さんと交際していた身だから、小鳥遊さんのそういう振る舞いについてはよく知っている。
だからそれらの指摘に関しては否定のしようがない。
「んで、大方あのバカ女は、直樹と付き合えばそのアホらしい家庭環境を全部何とかなるとでも思ってるんでしょ?」
「勘がいいね。その通りだよ」
「まあ、私も似たような経験があるから、何となく気持ちはわかるわ」
改めて考えると、この人もこの人で結構境遇悲惨なんだよなあ……。
そう思うと、橘さんも可哀想な人なのかもと思えて来る……。
「あーあ、あいつの留守番中に家に放射能の検査をするってオッサンが入ってきて、鈍器で後頭部殴られて騒いだら殺すって脅されて、そのまま強姦されてインターホンの音がトラウマになればいいのにねえ」
「…………」
一瞬でも同情した僕がバカだった。
この人、やっぱり性根が腐りきっている……。
「その陰湿さ、あんたやっぱり何も変わってないだろ……」
「いいのよ別に。あいつは死んでいいやつだから」
「流石にそれは言い過ぎでしょ……」
「だってあいつ、人生舐め過ぎでしょ」
「いや、そうだけどさ……」
「あいつが今まで自分を好いてた男達にしてきたこと思い出してよ。正直一回くらいレイプされても文句言えないような事、散々してきたでしょ?特にあんたに関しては」
「…………」
僕は何も言い返せなかった。
「マジであいつ、あんたの性奴隷にでもならないと償えないでしょ」
「さ、流石にそれは……」
「違うって言うの?だってあんた、あいつにトラウマ植えつけられて、そのせいで大好きな萌えアニメも嫌いになって、生きる楽しみ何もなくなったじゃない」
「いや、別にそれは小鳥遊さんだけが原因って訳じゃ……」
「なんであんな奴庇うのよ?あんたあいつに散々酷い事されてきたでしょ?」
「そりゃあんただって似たような物だし……」
「私の方がよっぽどマシよ。本命の男と付き合う為に好きでもない男と付き合って、捨て石にした挙句ありがとうだなんて言って振る最低の糞女、他にいる訳ないわ」
「…………」
やっぱり僕には何も言い返せなかった。
正直なところ、小鳥遊さんが僕に与えた精神的苦痛は、とてもじゃないが橘さんから与えらた物とは比べ物にならなかったのは事実だ。
それでもやっぱり、小鳥遊さんが酷い目に遭っていると聞いてやるせなさを感じる僕はバカなのだろうか……。
あの人の事なんて、もう好きじゃないのに……。




