12話 滑り台
「なんで7年も前にやってたマイナーなアニメの主題歌歌ってるんだよ……?」
「マイナーじゃないわ。紅白出てたもん」
「7年前だから、その時僕等小4だよね……。よく覚えてたね……?」
「いいじゃない別に。振られた女は滑り台でこれを歌うのが習わしよ」
「どこの習わしだよ……」
先日見たしおらしい橘さんとは違う、僕のよく知っているウザくてバカな橘さんの態度った。
あんなにウザいと思っていたのに、不思議な事に今はこのウザさに安心してしまう。
橘さんはまた滑り台を駆け上がりながら深愛を歌い続けた。
まさかと思うけど、直樹の事を思いながら歌っているのか……?
もしそうだとしたら、かなりのバカだろ……。
「あんたも歌う?深愛」
「歌わないよ……」
「そう」
そう言うと橘さんは深愛を歌いながらまた滑り台を滑った。
「もうやめようよ」
「止めないでよ」
「悲しくなるからやめようよ」
「やめないわ」
「そのアニメ……、ってか原作はエロゲだけど、男が浮気して女を振るんだよ」
「知ってるわ。今の私みたいにね」
「虚しくならないの……?」
「虚しいに決まってるでしょ!」
橘さんはいきなり怒鳴った。
「…………」
そして僕はビビってしばらく黙った。
「急にキレないでよ……」
「あんたそう言えば、小鳥遊椿と付き合ってたんだっけ?」
「……そうだよ」
「その辛気臭い顔を見るに、どうせあんたもあのまんこ臭いクレイジークソ阿婆擦れサイコビッチ女に振られたんでしょ?」
なんつー罵倒語の羅列だ……。
「そうだけど……」
「奇遇ね。私もよ」
「だろうね……」
「どうせ小鳥遊椿に利用されるだけ利用されて、最後にはボロ雑巾みたいに惨めに捨てられたんでしょ?」
「……そうだよ」
「まあ、私もなんだけどね……」
「そうかい……」
「振られた負け犬同士、一緒に滑り台で愚痴でもこぼしましょうよ」
いつもなら、絶対に断るところだが、今の僕は誰でもいいから話を聞いてもらいたい気分だった。
なので僕は橘さんと共に滑り台を駆け上がり、隣に座って愚痴のこぼし合いに興じる事にした。
「モエはなんて言われて振られたの?」
「ありがとうって言われた」
「は?」
「一緒に下校は週一、デートは月二まで。それ以外に会うと嫌がられる。たまのデートはいつもヒス起こされる。ご飯も映画も何度も奢ったのに、いつも直樹の話ばかりしてくる。んでしまいには僕との付き合いが嫌過ぎたせいで、直樹くんが付き合ってくれたありがとうとか、訳のわからない事言われて振られた」
「…………」
流石の橘さんも口をあんぐりと開けていて驚きを隠せない様子だった。
「あんたなんでそんな糞女と付き合ってたの……?」
「他に相手が……、いないかったから」
「あなたの側にいるだけでただそれだけでよかったってやつ?」
「深愛はもういいよ……」
「だから言ったのに。あんなクソ女やめとけって」
「そんな事言われたっけ?」
「言ったわよ。覚えてないけど」
「…………」
この人、相変わらずだなあ……。
「っていうかさ、そもそもあんたはなんで小鳥遊椿を好きになったの?」
「なんでだったっけ……。美人で成績優秀で運動も出来てお金持ちのお嬢様だからだっけ……」
「全部スペックじゃない」
「そうだけど……」
「あいつがあんたに何をしてくれたって言うのよ?」
「…………」
キモがられて、黴菌扱いされて、酷い事言われて、ヒス起こされて、直樹の話ばかりされて、直樹の事で大泣きされて、挙句浮気……。
思えば嫌な事しかされていなかったような気がする……。
「そもそも、小鳥遊椿の方はなんであんたと付き合ってたの?」
「小鳥遊さんは、僕と付き合えば直樹が自分と付き合ってくれると思ってたみたい……」
「なるほどね……。あいつらしいわね ……」
橘さんは感慨深い様子で呟いた。
「そうだよ。見抜けなかった僕もバカだけど……」
「薄々わかってたけど、他に相手もいないからって惰性で付き合ってたんじゃないの?」
「…………」
この人、たまに物凄く鋭いよなあ……。
「まあ仕方ないわよ。あの腐れプッシーは、直樹とセックスする事以外に興味ないから」
「そりゃあんたもだろ……」
「そうね」
認めやがったよこの人。
まあ今更隠す事でもないか……。
「まあ良かったんじゃないの?振られたとは言え、彼女いない歴=年齢にはならなくて」
「あまり嬉しくない……」
「どうせあんた、彼女なんて出来ずに食べて抜いてウンチして寝るだけの人生だったんだし、別にいいじゃないの?遊ばれてたとは言えあんな美人と付き合えて」
「…………」
そりゃそうかもしれないけど、この言い方はいくらなんでもあんまりだ……。
「ねえ、モエ。小鳥遊椿とセックスしたの?」
「手すら握ってない」
「でしょうね」
「そういう橘さんは?」
「糞尿飲んだわ」
「…………」
この人今なんて言った?
「ごめん。今、なんて言ったの……?」
「糞尿飲んだわ」
「…………」
何言ってんだこの人……。
「糞尿って……、直樹のおしっこやうんこってこと……?」
「そうよ」
「…………」
マジなのか……?
「流石に引くよ……」
「ごめん嘘。うんちは塗りたくっただけ」
「…………」
気持ち悪いよこの人……。
「それでも引くよ……」
「大丈夫よ。ちゃんとお風呂場でやったから」
「そういう問題かよ……、腹壊さないのかよ……?」
「大丈夫よ。そんなに害はないから」
「…………」
にしても直樹は一体どんな性癖をしてるんだ……?
いくらなんでもハード過ぎるだろ……。
もしかして、小鳥遊さんにもそんな事させてるのか……?
「橘さんは、そんなことさせられて嫌じゃなかったの……?」
「嫌じゃなかったわ」
「相手が大好きな直樹だから……?」
「違うわ。私の趣味だから」
「…………」
全世界が停止したかと思った。
「どうしたの?そんな顔して?」
「尚のこと引くよ……」
この人、心だけでなく性癖まで捻じ曲がってる……。
「あんたの趣味なのかよ……、気持ち悪いよ……」
「人の性癖バカにしないでよ」
「あんたは今まで散々、僕や僕の趣味の事をバカにしてきただろうに……」
「そうだったかしら?」
「…………」
自分から話しかけておいて難だが、やっぱりこの人ウザい……。
「つーか直樹さ、スカトロなんてマニアックなプレイするのが嫌になってあんたを振ったんじゃ……」
「でも基本はスカトロじゃなくて普通にしてたわよ?毎日」
「毎日?」
「うん。毎日してあげた」
「そうかい……」
「なにその顔?18歳未満がセックスしちゃいけない法律なんてないのよ?あんたは18過ぎても間違いなくセックス出来ないから妬ましいんでしょ?そうなんでしょ?可哀想な奴ねえ……」
「…………」
今更だけど、直樹はなんでこんな酷い性格の人と付き合ってたんだ……?
「なんで直樹は浮気なんかしたんだろう……」
橘さんは急にしおらしくなり、嘆き始めた。
「直樹が喜ぶと思って何度もしてあげたのに……。毎日してあげたのに……。生理の時だってしてあげたのに……」
「童貞の僕が言うのもアレだけど、直樹はそれが嫌だったんじゃないの……?その、重いし……」
「……………」
橘さんは沈黙した。
そしてしばらくすると口を開いた。
「だからなの?だから直樹は私を裏切ったの?だから浮気なんかしたの?」
「いや、わかんないけど……」
「でも直樹はあいつとホテルに行ってた。するのが嫌なのに、なんで……?」
「小鳥遊さんなら良くて、橘さんは嫌だったんじゃ……?」
「そうなの……?」
「いや、知らないけど……」
「…………」
橘さんは俯いた。
流石にちょっと言い過ぎたか……?
「なんで直樹は小鳥遊椿を選んだんだろう……?」
「スカトロするのが嫌だったんじゃ?」
「それが理由なの……?」
「ってか、元からあいつ、小鳥遊さんが好きだって言ってたじゃん?」
「じゃあなんで直樹は私と付き合ってくれたの……?」
「橘さんかなりアレだし、付き合わないと小鳥遊さんに何するかわからないから……、とかじゃ?」
「…………」
身に覚えがありすぎたのか、橘さんは無言で俯いていた。
「直樹は言ってたわ……。私をここまで追い詰めたのは俺だって……」
「答え出てるじゃん。要するに罪悪感でしょ」
「罪悪感……、そうかも……」
「まあ、罪悪感でも好きな人とヤれただけ僕よりはマシだろうけどさ……」
「そんな事ないわよ……。何も出来ずに振られるよりも、する事散々した上で捨てられた方がずっと辛いわよ……」
「……確かに」
よくよく考えると、この人と直樹の間にも色々あったんだよなあ……。
「直樹と一緒にいられた時は、夢のような毎日だった……」
「そりゃよかったね」
「振られちゃったけど……」
「そうだね」
「ねえ、モエ。私の話、ちょっと聞いてくれない?」
「話ってなんだよ?」
「直樹と過ごした日々の話」
僕は少し考えた上で言った。
「嫌だ」
「なんで……?」
「聞きたくない」
「聞いて」
「スカトロの話するんだろ?」
「そうよ」
「なら嫌」
「私とあんたの仲でしょ?」
「大した仲じゃないだろ……」
「お願い。聞いて」
「壁とでも話してろよ」
「聞いてくれなきゃ自殺する!」
「死ねよ勝手に!」
「寂しいのよ!」
「…………」
そんな言われ方されたら、断る気も失せてしまう……。
「もう……、わかったよ……」
何故だかわからないが、僕はよく女の子の不幸自慢を聞かされる。
それでフラグが立つならまだいいが、大抵はストレス解消だけが目的なのが悲しいところである。
そもそも失恋した直後で寂しかったとはいえ、こんな変な人の話を聞こうと思ったのは、我ながらどうかしてたと思う。
焼きが回ったとしか思えない。
でも僕だって、寂しかったんだ。
誰でもいいから人と触れ合いたいと思っていた僕は、ついつい橘さんのしょうもない話を聞くのであった。




