7話 親友
『お前を殺す』
中学入学から間もない時期に行われたレクリエーションにて、話した事もないクラスメイトの男子にいきなりこれを言われた。
それがそいつとのファーストコンタクトだ。
この発言の後、なんやかんやで僕等は意気投合し、なんやかんやで仲良くなった。
そいつの名前は伊織。
伊織はそこそこの容姿だったが、見た目に似合わずオタク趣味があり、オタサーの王子気質でちょっとダサい感じの女の子によくモテていた。
一方この頃、僕には外見に似合わずオタク趣味はなかった。
僕に深夜アニメを勧めてくれた奴こそが伊織である。
当時の僕は深夜アニメに対して、真夜中にやっている変なアニメ程度の認識しかなかった。
だがあるアニメを録画したDVDを伊織に見せてもらったのをきっかけに、僕は二次元の世界にどっぷりと浸かる事になったのだ。
ちなみにそのアニメのタイトルは皆さんご存じソードアートオンライン、通称竿である。
凄まじく有名な作品なので、今更紹介する事もないだろう。
この作品はなろう作品ではないが、僕にとってはある意味では友情の象徴的作品なので思い入れがある。
当時の僕は、このアニメの魅力的な世界観やキャラクターやストーリーに夢中になり、原作も全巻伊織に貸してもらって何度も繰り返し読んだ。
そして僕がこういう作品をもっと読みたいと言った為、伊織から小説家になろうというサイトを紹介されたのだ。
それ以来僕は、なろう系作品ばかりを好んで読むようになった。
当時から鬱々とした日々を過ごしていた僕にとって、伊織から教えてもらった二次元の世界は希望に満ち溢れた魅力的な世界に思えた。
二次元の世界には僕の世界にはない物で満ち溢れていた。
自分を好きになってくれる女の子。自分を肯定してくれる女の子。自分を大事にしてくれる女の子。自分の思い通りになる女の子。
居心地のいい世界。傷つかなくて済む世界。困難があっても必ず後で幸福が訪れる世界。
異世界、チート、俺TUEEE、ハーレム。
二次元の世界には僕の望む全ての物があった。まさに理想郷だった。
アニメやラノベを読んでいると、現実の嫌な事を忘れる事が出来た。
僕にとってアニメやなろう作品は、最高の現実逃避手段であり、最高の癒しであった。
ちなみに、モエというあだ名が付けられたのも丁度この時期だ。
ただでさえ僕はオタクっぽい見た目をしていた。
それに加え、その時教室で読んでいた伊織に貸してもらったラノベの挿絵はコテコテの萌え絵。
そんな僕の姿を見たクラスのリア充が、冗談交じりに僕の事をモエと呼び、するとクラスメイト全員が大爆笑。
それ以来、伊織を含める全ての生徒から僕はモエと呼ばれるようになったのだ。
誰が広めたかはわからないが、どうも僕と同じ中学の出身者が高校でもこのあだ名を広めたらしい。
だから僕は今でもこの蔑称で呼ばれている。
言ってしまえば、伊織こそが僕にとっての諸悪の根源なのだ。
伊織が僕を二次元の世界に引きずり込み、僕がモエという蔑称で呼ばれる原因も作った。
もっとも、こいつがオタク的な趣味を僕に勧めなかったとしても、僕の人生の陰鬱さにはさほど違いはなかっただろう。
精々現実逃避の手段が少し変わっていた程度だと思う。
こんな言い方をしておいて難だが、僕と伊織はかなり親しかった。
当時の僕には友達が数人いたが、中でも伊織が一番の仲良しだった。
伊織の方も僕以外に沢山友達がいたが、僕と一緒にいる時間が一番長かった。
よく伊織と色んな所に行ったし、伊織の家にも何度も泊まりに行った。伊織の両親とも面識があった。
伊織と僕は毎日一緒に色々な事をして過ごした。
一緒に深夜アニメを生で見て次の日寝不足になったり、授業中にアニメの話をして先生に怒られたり、電車代ケチって自転車こいでアイドル声優の握手会に参加したり、アニソン縛りで何時間もカラオケをやって喉を傷めたり、夏休みにはガンダムシリーズ全作を寝ずに一気見なんてバカなこともやった。
昔のアニメだって沢山一緒に見たし、アニメ映画も何度も一緒に見に行った。
一人っ子の僕は、伊織といる時いつも思っていた。
兄弟がいるってのはこんな感じなのだろうかと。
たまに喧嘩する事もあったけど、伊織は僕にとってまぎれもない親友だった。
でも僕が本当に困っていたあの時、伊織は他のみんなと同じように何もしてくれなかった。
伊織は僕にとって紛れもない親友ではあったが、あの時伊織は他のみんなや先生や僕の親と同じように、見て見ぬ振りをした。
全てが終った後、伊織はいつもと変わらない態度で僕に一言だけ言ってきた。
「大変だったな」と。
あの事件に対するリアクションはこの一言のみだった。
親友が、一個人のストレス解消の為に、あばら骨を二本折られる大怪我をさせられた時の反応がこれ。
僕をあんな目に遭わせた当事者のリア充や、傍観を決め込んだ他の生徒や先生や親に対して怒る訳でも嘆く訳でもなく、伊織が発したのはこの一言だけだった。
いや、あの時だけじゃない。
今思うと、伊織はいつもそうだった。
伊織と僕は、楽しい事は沢山一緒にやってきたが、嫌な気持ちや辛い感情を分かち合った事は一度もなかった。
その証拠に、伊織は僕が学校で虐めを受けていても助けてくれた事はなかったし、伊織が僕の悩みや苦悩に興味を持ってくれた事も一度もなかった。
それに気づいた僕は、あの日を境に次第に伊織とは話さなくなり、やがてお互い別の高校に行くことになり、今では完全に疎遠になった。
ラインや電話等のやり取りも、あの日以来一度もしていない。
伊織が特別薄情な奴だったのか、はたまた世間一般で言う所の友情という物の正体は所詮はこんな物だったのか、僕にはわからない。
ただ一つ言えるのは、唯一の例外である片桐さんを除き、僕はあれ以来人を信じられなくなったということだけだ。
*
今日は知り合いによく会う日だ。
しかもどいつもこいつも、僕を不愉快な気持ちにさせる。
この世界というものは、いい事なんて滅多に起きない割に、何故か悪いことばかりが重なるように出来ている。
今日はその事をつくづく実感する日だ。
昔から伊織はオタサーの王子気質で、オタクっぽい女の子によくモテていた。
だから彼女くらい出来ても別に不思議ではない。
だが僕が精神的にかなり参っているこの状況で、よりにもよって彼女連れの伊織とだけは遭遇したくはなかった。
というか、知り合いが彼女と一緒にいる所を見て、ごく自然に不快感を覚える僕は心が荒んでいるのだろうか……。
「イオくん、この人誰?」
日頃から規格外の美人である小鳥遊さんの顔を見慣れてるせいか、その子の容姿は僕にはかなりブスに見えた。
「こいつ?モエだよ。中学時代の同級生で俺の親友」
親友という単語を聞いた瞬間、僕のこめかみに電流が流れるような感覚が走った。
「モエってなに?まさか本名?」
「あだ名だよ勿論」
「何そのあだ名!超変わったあだ名じゃん!ウケるー!」
何が面白いんだよ……。
「よろしくね、モエくん!」
伊織の彼女はお世辞にも可愛くはないが、愛想は良かった。
「ああ、こいつはリナ。一応俺の彼女」
伊織は聞いてもいないのに彼女の名前を教えてきた。
「ちょっとイオくん!一応ってなに!」
「悪い悪い。そう怒るなよ」
当人にとっては楽しい会話だろうが、第三者である僕の視点から見たらこの二人の会話は不愉快極まりない。
相手が美人ならそれはそれでムカつくが、ブスな彼女とイチャついているのもそれもそれでムカつく。
それにしても、かつての親友とその彼女に対し、こんな事を思ってしまう僕はやはり心が貧しいのだろうか……。
「今の学校さ、周りニワカしかいなくってつまらないんだよ」
伊織はもの寂しそうに僕に言ってきた。
「あ……、そうなんだ……」
僕は素っ気なく返した。
「ハルヒもギアスもぱにぽにも知らないような奴ばかりなんだぜ?」
「ああ……、そう……」
「流行りのアニメを2、3本見てるだけでオタク名乗る奴が多くて困るわ」
「そうだね……」
どうでもいい……。
小鳥遊さんが話す直樹についての話題と同じくらいどうでもいい……。
「ちょっとイオくん!ウチ超アニメ詳しいんだけど!」
「だってお前の好きなのって腐女子向けばかりじゃん?」
「おそ松とFree!と黒子バカにすんなし!」
「悪い悪い」
ウザいなこいつ等。
おそ松もFree!も黒子も心底どうでもいいよ……。
まあどっかの誰かよりはマシだけどさ……
「やっぱお前いないとつまらないわ」
「そう……」
どの面下げて言ってるんだよこいつ……。
「そういや竿、今度映画やるじゃん。一緒に見ようぜ」
「あ……、うん……」
「じゃあな」
伊織はそう言うと、僕の元から去って行った。
「じゃあね!」
伊織に続き、リナという伊織の彼女も、手を振りながら僕に愛想良く別れの挨拶をして去って行った。
僕の元から離れてしばらくすると、伊織とリナは手を繋いでいた。
二人仲良く肩を並べ、楽しそうに談笑しながら、まったく同じ歩幅で歩いていた。
ほんの2、3分一緒にいただけだが、これだけでも伊織が彼女と上手くやれているということがよくわかる。
とんでもなく美人だけど一切心を開いてくれない彼女と、多少ブスでも仲良くしてくれる彼女。
どっちの方が付き合っていて幸せなのか、そんなのは考えるまでもない。
「死ねばいいのに……」
僕が心の中で思っていた言葉が、思わず声に出てしまった。
かつての親友に対し、こんな言葉を呟いてしまう僕の心は、やっぱり荒んでいるのだろうか……。
でも伊織はあの時、僕を無視したことを詫びる訳でもなく、ただ去っていった。
こいつも僕にあれだけ嫌な思いをさせたのに、彼女と一緒に幸せそうにしている。
僕がこんな目に遭ってるなんて知ろうともしないで、伊織は楽しそうに彼女と過ごしている。
今僕がどんな事で悩んで苦しんでいるかなんて、伊織もその彼女も興味を持つ事はないのだろう。
いや、伊織だけじゃない。
きっと皆そうだ。
学校の皆も、その辺を歩いている人達も、先生も親も、僕がどんなに辛い目に遭っても何もしてはくれない。
無視するか、嘲笑うかのどちらかだ。
でも片桐さんは違う。
片桐さんは僕が落ち込んでいる時、すぐに気付いてくれた。
片桐さんは伊織と違って僕の親友ではない。
それ以前に友達と呼べるかどうかも怪しい関係だった。
それなのに、片桐さんは僕の事を気にかけてくれて、心配もしてくれた。
それだけでなく、僕をあんな目に合わせた奴や僕を無視した連中に怒りを向け、僕に同情までしてくれた。
だがあの時の伊織は、僕の親友だったにも関わらず、他のみんなと同様に何もしなかった。
片桐さんみたいな優しい言葉も一切かけてはくれなかった。
それが今更何食わぬ顔で、親友面。
しかも彼女を連れていて、凄く幸せそうにしている。
これで腹が立たない方が無理というものだ。
心が貧しいと思われるかもしれないが、やはりどうしても死んでほしいと願ってしまう。
「竿なんて、彼女とでも見てろよ……」
僕はスマホを操作し、着信拒否設定とラインブロック設定をした。