3話 疑い
その日僕は困っていた。
僕のクラスの体育の授業は隣のクラスと合同で行われるので、その際男子は隣のA組の教室で着替え、女子は僕のクラスであるB組の教室で着替える事になっている。
なので僕のクラスの男子は、体育の授業の前の休み時間になったら体操着を持って早々に教室を立ち去らないといけない。
でも僕は腹痛のあまりその事を忘れてトイレに駆け込んだ為、当然僕の体操着は教室の中だった。
でも早く体操着を取って着替えなければ授業に遅刻してしまう。
クラスでハブられ気味の僕が女子に体操着を取ってもらうようにお願いするのは抵抗があったので、教室の中の様子を窺い教室から女子達の声が聞こえなくなるのを待った。
そして僕は意を決し教室に入った。誰もいないと思っていたが誤算だった。
教室の中で一人の女子と目が合ってしまったのだ。
彼女はよく直樹を取り囲んでいる女子の内の一人で名前は確か橘小夜。結構美人。
僕のクラスメイトで、彼女は直樹の事を好いているという事と口が悪くよく汚い言葉を吐いているという事くらいしか僕は知らなかった。
(しまった。まだ人がいたのか)と一瞬思ったが、橘さんは既に体操着を着ていた。
下手をしたら僕がのぞき行為を働いたという展開にもなりかねなかったが、女子更衣室と化した教室にいきなり入ってきた僕に対して橘さんは特に何も言わなかった。
橘さんの着替えが何故遅れたのかとか、橘さんが一人だけで教室に残るような事態に何故なったかなんてどうでもいい事だったので、僕は黙って自分の体操着を回収し、着替えの為にその場を立ち去った。
しかし、この一件が全ての始まりだった。
*
そして体育の授業が終わり、ある事件が起きた。
体育の授業の合間に小鳥遊さんの制服が何ものかの手によって汚されたのだ。
担任は単に汚されたとだけ言ってハッキリとは明言しなかったが、生徒達の噂によるとどうやら精液の様な物で汚されていたらしい。
その影響で次の授業は急遽中止。生徒達全員が何故か持ち物検査をさせられる事となった。
精液なんて身体から発生する物だから持ち物検査した所で意味はないだろうし、持ち物検査よりもDNA鑑定の方がより確実な筈だ。
だが下手に騒いで警察沙汰になれば学校の評判が落ちるし、教師としても生徒に対するメンツがある。
以上の理由から恐らく学校側は持ち物検査をしてとりあえずお茶を濁す事に決めたのだろう。
小鳥遊さん程の美人なら変な奴から異常な好意を持たれる事も多いだろう。
以前にも小鳥遊さんの体操着が盗まれたり、プールの授業の際に下着が盗まれたという話を耳にした事がある。
今回の一件で男子達は小鳥遊さんの制服がストーカーの精液で汚されたと大騒ぎし、女子達は小鳥遊さんのせいで持ち物検査という面倒な行為をさせられたと嘆いていた。
小鳥遊さんは完全に被害者なのに、小鳥遊さんに対して恨み事を吐く心ない女子も何人かいた。
なんにせよ小鳥遊さんにとっては可哀想な話だ。
彼女程のハイスペックな美少女であれば周囲からの反感を買う事も多い。
小鳥遊さんは度々嫌がらせの対象になり、援助交際をしていると言う根も葉もない噂を流された事もあったし、小鳥遊さんの携帯の電話番号と共にセフレ募集という文字が教室の黒板に書かれていた事もあった。小鳥遊さんはその完璧さ故に周囲の女子から恨まれる事が非常に多いのだ。
だからこういう出来ごとの一つ一つが彼女のヘイトに繋がる。
僕はそんな不条理さに憤りを感じていた。
しかしそもそも、小鳥遊さんと僕は友達でも何でもない。だから僕が怒った所で何ともならない。
*
そして昼休み。
小鳥遊さんの所属するクラスはA組だが、女子の着替えは僕のクラスであるB組で行われていた。
そしてその時僕は小鳥遊さんの着替えていたB組に体操着を取りに行って体育の授業に遅刻した。
よってこの場合一番犯人に近しい人物は僕という事になる為、僕はリア充の吉田達にあらぬ疑いをかけられていた。
「よお!オナニーマスター!小鳥遊の制服にぶっかけたのお前だろ!?」
以前にも小鳥遊さんの下着が盗まれた際に僕が真っ先に疑われた事がある。
この手の事件が起きる度に僕が疑われる理由は単に僕がキモイからだろう。
「ぼ、僕じゃないよ……」
「じゃあなんでお前さっきの休み時間校庭来るのが一番遅かったんだ?」
「お、お腹を壊してトイレに行ってたんだよ……。本当だよ?」
「やってないって証拠はあるのかよ?誰かがお前がトイレに入る所見てたとかさ」
「…………」
僕は黙った。証拠なんて何もないからだ。
それに証人がいたとしても、恐らく僕を庇う事はないだろう。僕なんかを庇った所で何のメリットもないからだ。
「やっぱりお前が犯人かよwww駄目だぜモエwお前みたいなキモオタは大人しく二次元で満足してないとw三次元の女子にこんな事したら駄目だってwwwww」
「やめろよ佐藤!ウケルから!」
吉田の取り巻きである田中と佐藤も僕の尋問に加わり嘲笑してきた。
彼らの態度には小鳥遊さんに対する同情や憐れみなど一切なく、単に僕をからかって楽しんでいるだけのように見えた。
そんな彼らの態度を見ていると僕の中で怒りがふつふつと湧いてきたが、ここで僕が感情的に行動しても何にもならない。どうせ彼らに鎮圧され惨めな思いをするだけだろう。
なので僕はその場を立ち去る事にした。
「おいwどこ逃げるんだよw」
田中が僕を呼びとめたが、僕は「と、トイレ!」とだけ言い放ちその場を去った。
昼休みの間ずっとこいつ等の嫌がらせを受けるのは耐えられない。
*
「はぁ…」
廊下を歩きながら僕は大きくため息をついた。
今は昼休み。当然お腹も空く。購買で何かを買おうとも思ったが、こんな事があったせいかイマイチ何かを食べたいとは思えなかった。
僕の大好きな小鳥遊さんは自身の制服が変態によって汚され多大な精神的ショックを受けた筈だ。
そして僕もあらぬ疑いをかけられ非常に嫌な思いをした。双方ともにとても気が滅入る事態である。
「ねえ」
落ち込む僕に対し声を掛けた人がいた。橘さんだった。
彼女が僕に対して同情する為に声をかけてくれた訳じゃないという事はすぐにわかった。
何故なら僕には同情する価値なんてないからだ。
大方、先生からの頼まれごとを僕に押し付けたいとか糞どうでもいい事を言うつもりなのだろう。
「なんで吉田達に本当の事を言わなかったの?そしたら疑われる事もなかったのに」
本当の事と言われても、僕には誰が犯人なのか知る由もない。犯人の犯行現場を直接見た訳でもないのだから。
「あれ、私がやったって正直に言えば良かったのに」
「や、やったって……?」
「精液。あれかけたの私だって」
「………………………………」
彼女の思いがけない発言に僕の矮小な脳みそはフリーズを起こした。
「え……」