34話 メロドラマ
橘さんに突然顔面を殴られ、小鳥遊さんは鼻血を吹きだしその場に蹲った。
小鳥遊さんに更なる追撃を加えようとする橘さんを、咄嗟に直樹は取り押さえた。
「やめろよ小夜!」
「止めないでよ!今からそいつ殴って嫁の貰い手もなくなるような顔にしてやるんだから!」
橘さんはとんでもなく物騒な事を言いだした。怖い。
「小夜!?どうしたんだよ!?」
「離して直樹!顔の次はお腹蹴りまくって一生子供の産めない体にしてやる!」
この時僕は改めて思った。やっぱりこの人は本当に頭がおかしい。
っていうか、ここにいる全員頭がおかしい。
橘さんの恐ろし過ぎる発言に対し、小鳥遊さんは呻き声をあげながらビクビクと身を震わせて怯えていた。
そりゃそうだ。僕だって怖い。
「小夜!どうしちゃったんだよ!?」
直樹はそうは言うが、橘さんの性格からしてこれは別に不自然な事ではない。
目の前で橘さんの大好きな直樹が、橘さんの大嫌いな小鳥遊さんに告白したのだ。
その上直樹は部活存続の為に卒業まで交際は待ってくれととんでもない申し出をし、小鳥遊さんはそれを受け入れた。
橘さんにとってはあまりにも屈辱的な光景であり、怒るのも無理はないと思う。
それでも流石に、逆上していきなり小鳥遊さんの顔面を殴ったのは予想外だったが……。
「どうしたんだよ小夜!?お前、あんなに椿と仲良くしてたじゃないか!?」
「仲良く?何それ?何言ってんのあんた?この部活を本気で楽しんでいる人なんていないのよ」
「どういう……、ことだ……?」
ああ、ついにバラすのか。こうも話か拗れたらもうバラすしかないよね。
橘さんの発言に驚いた直樹は手を離し、橘さんに対する拘束を解いてしまった。
橘さんは小鳥遊さんに襲い掛かるかもしれないと僕は身構えたが、どうやら橘さんの目的は直樹に真相を告げるのが第一のようだった。
「この際だから言っておく。私は小鳥遊椿が大嫌い。当然智代も嫌い。モエだってキモいから見下してる。勿論この部活だって大嫌い」
「え……?」
「酷いと思う?でも向うだって私に対して似たような事思ってるわよ。そうよね椿?」
小鳥遊さんは手で鼻血を抑えながら頷いていた。
「智代だって私と椿を嫌ってるわ。モエならよく知ってるでしょ?」
橘さんに尋ねられ、僕はとりあえず頷いた。
「これでわかったでしょ?私達は、お互いがお互いを嫌い合ってるの」
「え……、え……?」
直樹はただ茫然と戸惑うだけだった。
というか、これだけ仲が悪いんだから気付きそうなものなのに……。
「この前みんなで見たアニメ、私は何度も告白シーンをリピート再生してたわよね?あれ、なんであんなことしたかわかる?」
「なんで、なんだ……?」
「勿論ただの悪ふざけじゃあないわ。モエからあんたが鈍感難聴主人公の真似ごとしてるって聞いて思いついたの。直樹が小鳥遊椿を嫌っているってみんなの前で思い知らせて、この糞女を一生立ち直れなくするつもりだったの」
「どうして、そんな事を……?」
「愚問ね。私が直樹の事が大好きだからに決まってるじゃない。まあ代わりに智代が立ち直れなくなっちゃったけど別にいいわ。あの子のことも嫌いだったし」
「俺が好きだからって……、なんでそんなことを……」
「そんなの大好きな直樹にまとわりついてるあいつ等が邪魔だからに決まってるじゃない。特に前々から小鳥遊椿に関しては死ねばいいと思ってたし。何から何まで私じゃ敵わない、こんな完璧な女が私の大好きなあんたにまとわりついてるのよ?それが愉快なことに思える?」
あーあ、ついにそこまで言っちゃうか。
まあそのくらい言わないと、バカな直樹にはわからないだろうし仕方ないよなあ。
「あんなクソメンヘラや、こんな異様にスペックだけは無駄に高いウザい女が、私の大好きな直樹の事を狙って年中発情してるのよ?それが私にとって良い事だと思う?これだけじゃないわ。こいつの嫌がることならなんだってやってきた」
「え……?」
「こいつの体操着やパンツを何度も盗んだ。制服盗んで焼却炉で燃やしたこともある。公衆から無言電話も沢山入れた。捨ててあった使用済み生理用ナプキンを回収してキモイ手紙と一緒にあいつに返してやったこともある。こいつの制服に疑似精液ぶちまけたのも私。それと後ストーカーを装って犯してやるって脅迫文を書いたこともあるわ。全ては小鳥遊椿を退学に追い込む為によ」
ああ、自分の過去の悪行も全部暴露しちゃうのか。
直樹はバカだから、橘さんの事を愉快で楽しい親友くらいにしか思ってなかっただろうしショックだろうなあ。
親友兼幼馴染の橘さんにここまで言われたら流石の直樹も引くだろうなあ。
「…………………………………………」
この発言に対し直樹だけではなく、小鳥遊さんも衝撃を受けていた様子で青ざめた表情をしていた。
「この前不思議探索した時、クジに細工して小鳥遊椿をモエとばかり組ませた事あったわよね?あれも嫌がらせの一環よ。小鳥遊椿は潔癖症で自分を好く奴を気持ち悪がるから利用してやったの。そしたら案の定発狂してギャーギャー喚いてたわ。あの時は最高だったわねえ」
「なんでそんなバカな事を……」
バカはお前だろうが。あれだけあからさまな事されてるんだから気付けよ。
「モエを友誼部に誘ったのも小鳥遊椿への嫌がらせの為。モエには私の言うこと聞かないと、小鳥遊椿の制服に精液ぶちまけた犯人だって皆に言いふらすって脅して無理やり部活に入れたの。そしたら案の定小鳥遊椿は嫌がってくれたわ」
ああ、それもバラしちゃうのか。これで僕もやっとこのクソ部活から解放される。いやぁ、よかったよかった。
「だからモエもこの部活が嫌いなの。私に何度も部活をやめたいやめたいって泣きついてきたわ。私も椿も智代も部活の事なんてどうでもいいって思ってるの。直樹とさえ付き合えればそれだけでいいの。むしろあんな部活嫌だって皆そう思ってたわ」
橘さんの言う事はおおよそ事実だが、僕は橘さんに泣きついた事なんて一度もないぞ。
一回泣かされたけど。
「だからね、このクソみたいな友達ごっこを本気で楽しんでいた奴はあんただけなの」
「そんな……、そんなバカな……」
直樹は愕然とし、その場に崩れ落ちた。
あのクソ部活の真相を知った事がそれだけショックだったのだろうか。まあどうでもいいけど。
「こんな茶番はもうたくさん」
それは僕も同感だ。
片桐さんも同じことを言っていたし、きっと小鳥遊さんだって同じことを思っているだろう。
「ゲーム、アニメ鑑賞、カラオケ、不思議探索、ボーリング、プール、ハロウィン、夏祭り、BBQ、クリパ、徹マン、大みそか、謹賀新年、天体観測、温泉旅行、バレンタイン、その他諸々。思えば私達友誼部は色々な事をやってきたわね……。大嫌いな連中と、仲良しみたいに連んで、毎日毎日バカみたいなお友達ごっこ。もう沢山、うんざりする……」
よくぞまあ嫌いな人同士でそんなに沢山やれたなあ。逆に尊敬するよ。アホ過ぎて。
「こんなレプリカいらないのよ!」
ついにそれ言っちゃったよこの人。
「モエから直樹が、こいつの告白を何度も無視してるって聞いた時は本当に嬉しかったわ……。思わず飛び跳ねたわ。私の大好きな直樹が、私にとって一番邪魔な女を嫌っている。これ以上に嬉しいことってある?」
「もう……、やめてくれよ……」
「でも違った。あんたが一番好きなのはあの嘘で塗り固められたクソ部活だった。これじゃまるで私バカじゃない!?」
うん、バカだね。
「でも、小夜はいつも楽しそうにして……」
「楽しそう?いつ私があんなクソ部活を楽しんでたって言うの?バカじゃないの!?」
いや、バカでしょ……。
「毎日毎日、一昔前のラノベみたいなアホなイベントを何度もして、本当は大嫌いな連中なのに、直樹に良く思われたい一心で友達みたいに振舞ってた!今思うと反吐が出るわ!」
「もうわかった!お前の気持ちはよくわかった!だからもう、やめてくれよ……」
「私も小鳥遊椿も智代も皆、楽しそうに友誼部の慣れ合いに興じていたのは、単にあんたに良く思われたかったから!あんたがあの茶番を本気で楽しんでいたから!私達はそれに合わせていただけなの!だから本気で楽しんでたのはあんただけなのよ!直樹!?」
「お願いだ……。もうやめてくれ……」
「これでもうわかったでしょ!?友誼部での日々はただの茶番!私も智代も小鳥遊椿も、あんたを他の女に取られまいと寄りついただけ!友情なんて一切ない!」
どうでもいいけど僕、さっきから完全に蚊帳の外だなあ。
「他の人なんかいらない!私には直樹さえいてくれればそれでいい!直樹と二人きりでずっと一緒にいたいの……。だから小鳥遊椿も、智代もあんたにまとわりつく女は皆邪魔なの……」
「そんな……、そんなことって……」
そろそろ帰っていいかなあ、僕。
「あのクソメンヘラや、こんなスペックと見た目だけの中身スカスカ女と違って、私はずっとあなたの事を思い続けていたの……。直樹があの時言ってくれた、大きくなったら結婚してくれるって、あの言葉だけを頼りに今までずっと生きてきた……」
「……ごめん」
「それがただのアニメの真似だって!?こいつらの告白と同じで、適当に誤魔化すためにとりあえずでしたことなの!?」
「ごめん……」
「答えてよ!?」
「そうだ……。ごめん……」
橘さんは直樹に思いっきりビンタした。
「ふざけないでよ!」
何これ、昼ドラ?あ、でも今昼にはドラマやってないんだっけ。
「十年よ?十年以上ずっと直樹の事思ってた。私と結婚するって言ってくれたのもただの悪ふざけなの?小鳥遊椿や智代に告白されて、とりあえず誤魔化す為にラノベの主人公の真似をしたのと同じなの!?今までずっとその言葉を信じていた私はなんだったの!?」
この人、いくらなんでも痛すぎるだろ……。
「私はずっと直樹の事を思ってきたのに!知り合って一年ちょっとのこんな女に取られるなんて耐えられない!」
っていうか、修羅場ごっこがしたいなら勝手にやってくれよ。
ああでも、このまま僕が勝手に帰ったら逆上した橘さんは小鳥遊さんに何をするかわからないしなあ。
「親に捨てられた時も!親戚の家で肩身の狭い日々を過ごした時も!学校で虐めにあった時も!便所で弁当食べてた時も!ずっと直樹の結婚してくれるって言葉だけを頼りに生きてきたのに!」
うわ、重っ……。
「ごめん……」
「謝らないで!謝らなくていいから言ってよ!?こんな糞女大嫌いだって!私のこと好きにならなくていいから!こいつの身体にしか興味ないって言ってよ!?ヤる事やって飽きたらすぐに捨てるつもりだって言いなさいよ!?」
うわー、この人超めんどくせー。
「なんであんたなの!?なんで私じゃないの!?」
橘さんはそう言いながら鼻血を抑えながら俯いていた小鳥遊さんの胸倉を掴んだ。
「やめろよ小夜!」
するとすかさず直樹が橘さんを取り押さえた。
「あんたなんて顔が良くて乳デカくて勉強が出来て家が金持ちなだけで非常識で自分勝手な阿婆擦れじゃない!?なのになんで私の大好きな直樹を取って行くの!?」
非常識で自分勝手なのは橘さんだって一緒だろうに、怒るくらいなら性格直せよ。そしたらワンチャンあるだろうに。
「なんでも持ってるあんたがなんで私から直樹まで取り上げていくの!?あんたなんかより、私の方がずっと直樹を好きなのに!どうしてあんたなの!?なんで直樹は私を選んでくれないの!?」
しらんがな。
「俺の事は恨んでくれてもいい!だから椿には、椿には何もしないでくれ!頼む!」
直樹は橘さんを取り押さえながら必死に叫んでいた。
「離して直樹!殺してやる!」
殺人予告?恐喝罪?誰かこのヤバい人をなんとかしてくれよ。怖いよ。
「やめてくれ小夜!」
「離して直樹!こいつを殺して私も死ぬの!他の女ならともかく、こいつにだけは絶対直樹を取られたくない!」
なんだよこれ……。どこのメロドラマだよ……。
橘さんの両脇を掴んだ直樹は、橘さんの凶行を必死になって止めようとしていた。
そして二人は殺す。やめろ。殺す。やめろ。といったやり取りを永延と繰り返していた。
小鳥遊さんの方は目の前で何度も行われている橘さんの殺人予告に怯えながらも、ポタポタと垂れて来る鼻血を抑えようと必死だった。
そして僕はというと、この異様な光景を一歩引いた距離からただ傍観するだけだった。
「……やめて直樹」
そう呟くと橘さんは急に大人しくなり、暴れるのをやめた。
「冗談よ……」
あの真剣な態度はどう考えても冗談には聞こえなかったよ……。
橘さんが暴れるのをやめたので直樹は橘さんに対する静止を解いた。だが橘さんをいつでも止められるようにと、直樹は一定の距離は保っていた。
小鳥遊さんはというと、依然として橘さんに怯えていて鼻血を抑えながら震えていた。
「私と付き合ってくれないのは残念だけど、直樹が幸せになってくれるのが一番よ……」
本気で言ってるのかよこの人……?
「直樹にとって私は、あくまで親友であって、恋人としては見てくれないのよね……?」
「…………………………………………」
直樹は黙っていた。
すると橘さんは壊れた蛇口のように目からポロポロと涙を流し始めた。
「うん……、わかった……。もう、十分よ……」
「ごめん……」
「あんたの、気持は……、よく、わかった……」
正直な話、橘さんみたいなどうしようもない性格をした人が直樹に振られて泣いたところで僕としてはあまり同情する気にはなれない。
今までこの人のせいで散々な目に遭ってきたし……。そもそもこの人、僕が小鳥遊さんに振られた時は笑ってたし……。割とマジで、どうでもいいというのが本音だ。
「椿と……、幸せになってね……。私はもう二度と、直樹達の前には現れないから……、だから、幸せになってね……」
橘さんは未練がましくそう告げると、大泣きしながら一目散に教室を出て行ってしまった。
直樹は橘さんを追いかけもしなかった。直樹は放心状態だったみたいで、その場で茫然と立ちすくんでいた。
そして小鳥遊さんは、まだ鼻血が止まらないのか鼻を手で抑えていた。橘さんの発言がよほど怖かったのか、小鳥遊さんは橘さんが去ってもなお恐怖で身を震わせていた。
僕はそんな二人をただ冷ややかな目で見ているだけだった。
この時、僕は思った。
こいつら全員イカれてる。
もしかして皆、自分が青春漫画の登場人物にでもなったつもりなのだろうか……?
なんて言うかもう……。うん、言葉には出来ないよこの気持ち。ヤバい。こいつらヤバい。
僕も何か言うべきなのだろうが生憎僕の言いたい事は全部橘さんが言ってしまった。
とりあえず何も言わずに立ち去るのもアレだから、何か直樹に対して別れの台詞を言おう。
「よかったね。これでカップル成立だ。もう僕も橘さんのバカな計画に付き合わされなくて済むよ。本当に嬉しいよ。じゃああとは二人でお幸せにね」
僕は直樹にそう告げると、教室を出て家へと帰るのであった。




