32話 ブス
その日の放課後、僕が学校から帰ろうと思った時の事だった。
「モエ、ちょっといい?」
今度は廊下で橘さんに話しかけられた。今日はウザい奴によく話しかけられる日だ……。
「なに?僕、帰ってアニメが見たいんだけど?」
「あんたアニメと私、どっちが大事な訳?」
「アニメに決まってるでしょ」
僕がそう言うと、橘さんは眉をひそめた。
どう考えても、僕がアニメ以上に橘さんを優先すべき理由は見当たらないだろうに。
「モエ、あんたに協力してもらいたい事があるの」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないでしょ?」
「どうせロクでもない事でしょ」
「ロクでもなくないわ。私と直樹の為の事よ」
これ以上にロクでもない事は間違いなくこの世には存在しない。
「直樹は小鳥遊椿を嫌っているって思い知らせようとしたのに、あいつは未だに直樹につきまとってるの」
「だから?」
「部活はなくなったけど、小鳥遊椿はまだ直樹に付きまとってるの」
「そりゃそうでしょ。小鳥遊さんは直樹の事が大好きじゃん」
「あんな奴がいるから、直樹は私を選んでくれないんだわ。だからあいつをこの学校から追い出して、直樹から引き離す手助けをして」
あれだけの事が起きてもなお、この人はまだこんな妄言をほざくのか……。
「小鳥遊さんを部活から追い出せばいいって約束だったでしょ?その部活がなくなったんだからもういいでしょ?」
「良くないわ。あいつがいるから直樹は私を選んでくれないの」
「小鳥遊さんがいなくても選んでくれないんじゃないの?」
「は?それってどういう意味?」
「言ってる通りの意味だよ」
「なんでそんな酷い事言うの!?」
まったく。この程度で酷いとは、日頃の橘さんの言動の方がよっぽど酷いだろうに。
「だって橘さん、凄く嫌な人なんだもん」
「私のどこが嫌だって言うの!?」
橘さんの問いに対し、僕は少し考えた上で言った。
「うーん……、全部?」
「ふざけないでよ!」
「ふざけてないよ。僕はいつでも真剣だよ」
そういえば、いつだったか同じ事を橘さんに言われたっけ。
「なんであんたは、私の恋を応援してくれないのよ……?」
「いや、逆になんで僕が橘さんの恋路を応援する気になると思ったの?」
この人、少しは人の気も察せられるようになれよ……。
今まで僕は橘さんのせいで散々な仕打ちを受けてきた。
だから僕が橘さんの恋を成就させて幸せになる事を望む道理は一切ない。
少し考えれば誰にでもわかる事だろうが、橘さんは恐ろしい程バカなのでそんな簡単なこともわからないのだろう。
「あいつさえいなければ、直樹は私を選んでくれる……。そしたら直樹とずっと二人きりでいられるの。直樹と私以外の人間なんて全部邪魔……。特に小鳥遊椿は、一番邪魔なの……」
「それで、また僕に嫌がらせに協力しろと?もう付き合いきれないよ」
「いいから言う事聞きなさいよ!精液の事言いふらすわよ!?」
橘さんはまたしても怒鳴った。
それにしてもこの人、今日は妙に機嫌悪いなあ。生理なのかなあ。
「好きにしてよ。もう知らない」
「小鳥遊椿のパンツ盗んだのもあんただって言いふらすわよ!?」
「それやったのあんただろ」
「小鳥遊椿の体操着も盗んだって言いふらすわよ!?」
「だからそれやったのもあんただろ。好きにすれば?」
「ストーカーみたいに無言電話入れまくったのも、小鳥遊椿の使用済み生理用ナプキンをキモい手紙と一緒に送りつけたのもあんただって言いふらすわよ!?」
そんなことまでやってたのかよ……。毎度の事だから今更驚くのも面倒くさい。
「だからもう好きにしてよ」
「私を強姦したって言いふらすわよ!?」
頼まれてもそんな事するかよ。
「だからもう勝手にしてよ」
「なんで私の言う事を聞いてくれないのよ!?」
「馬鹿馬鹿しいからだよ。もうあんたとは関わりたくないんだよ。ロクでもない事にしかならないから」
僕がそう言うと、橘さんは落胆したように肩を落とした。
「なんで……、なんであんたまでそんな事言うのよ……?」
「理由があるとしたら、僕が直樹もあんたの事も嫌いだからだよ」
「直樹は……、私の全てなの……」
「あっそ」
「私は……、直樹の事が大好きなの……」
「だから?」
「直樹は……、私にとって唯一の人なの……」
その発言を無視してそのまま勝手に帰ろうとすると橘さんがまた怒鳴って呼び止めてきた。
「待ってよ!」
「嫌だ」
「話はまだ終わってないわ!」
「しらない」
「聞きなさいよ!」
もうこの人本当面倒臭い。
「はぁ……、逆に聞くけど、橘さんはなんでそんなに直樹に執着してるの?」
「直樹は、私の幼馴染だから……」
「いや、幼馴染ってだけでそれだけ執着するのは変だよね?」
「だって私を受け入れてくれる人は、直樹しかいないんだもん……、私に優しくしてくれるのは直樹だけなの……」
まるで片桐さんみたいな事言ってるなあこの人。
それにしても、直樹の周りにいる女の子って皆こんな感じの人ばかりだなあ。
「いや、直樹だけが男じゃないんだしさ、他に相手なんていくらでもいるんじゃ……」
「だって私ブスだもん!」
橘さんはまたしても大声で怒鳴った。
「は?」
「こんな酷い顔じゃ、誰も私となんか付き合ってくれないわ……」
僕は橘さんの思わぬ発言に耳を疑った。
本気で言ってるのかこの人?
橘さんの性格は醜いという表現ですら控えめと聞こえてしまうくらい酷いが、容姿に関して限定するならそこまで悪くない筈だ。
というか世間一般で見れば十分美人の部類だ。少なくともそこいらのアイドル声優より全然イケてる。
「顔も、目も、肌も、鼻も、髪も、全部醜いの……。気持ち悪いの……」
橘さんはさも悲観的にそう言うが、彼女に褒められる点があるとすれば、逆に容姿くらいしかないと僕は思う。
そりゃ小鳥遊さん見たいな規格外の人とは比べられた物ではないが、それでも橘さんは十分可愛い方だと思う。
多分クラスの男子数人からはオカズにされている筈だ。まあ福島原発みたいな性格のせいで全てが台無しだけどさ……。
「こんな醜い私を受け入れてくれる人なんて、他にいないの……。直樹以外は……」
まさかと思うけど、橘さんは自分の容姿のことを間違えて捉えているのだろうか?
もしかすると橘さんは醜形恐怖症の類なのだろうか?
「橘さん、鏡見たことある?」
「あるわよ……」
「それで自分が醜いと?」
「そうよ……、だって私、男に言い寄られた事なんか、一度もないもん……。ブスだし……」
四六時中直樹に付きまとっているんだから男なんて寄ってこないだろ……。
まあ小鳥遊さんみたいな規格外の人は例外だとしてさ。
やっぱこの人凄くズレてるよ。頭もおかしいし。
「直すとしたら、顔より性格を直した方がいいんじゃないの?」
「なんでそんなこと言うの!?私の性格はこの顔より酷いって言うの!?」
「いや、顔が悪いっていうか、それより他に気にする事あるよね?」
「なんでそんな酷い事言うの!?」
駄目だこの人。話が全然通じない。
面倒くさいから勝手に帰っちゃおうかなあ。
僕がそう思っていたら、突然着信音が鳴り、橘さんは鞄からスマホを取り出した。
「うん……。そう……。ええ…。モエもここにいるわ。わかった。今行く……」
橘さんは悲観モードを引きずりながらも通話していた。
誰と話しているのだろうかと思ったが、性格が悪く友達も少ない橘さんが電話する相手なんて一人しか思いつかない。
橘さんは電話を切ると、僕に話しかけてきた。
「直樹からよ」
だろうなあ。
「皆に話がしたいって。今から私らの教室に来てだって」
「今更あいつが何を話すって言うんだよ?」
「大事な話がしたい。皆に謝りたいんだって言ってるわ」
もうこの友誼部には関わりたくないと思っていたが、人の好奇心というのは難儀な物だ。
あの直樹にちゃんと謝罪する意思があるかどうかは怪しいものだが、それでもやはり直樹の真意は気になってしまう。
何故直樹が、今までハーレムアニメの鈍感難聴主人公みたいに片桐さんや小鳥遊さんからの度重なる告白をスルーしていたのか、今回の謝罪を機にわかるかもしれない。
そう思った僕は、直樹の謝罪会見見たさに橘さんに同行するのであった。




