30話 僕の不幸自慢
「読み飛ばした方ごきげんよう。皆さんごめんなさい、メンヘラの話は長いんです」
「もうやめようよ……。そういうの」
「やめる?一体何をです?」
「…………」
正直、今の僕の気持ちは言葉じゃ形容しがたい。
悲しみ。孤独。虚無感。閉塞感。苛立ち。絶望。
そういったネガティブな単語をいくら並べても例えようがない気持ちだ。
「自分が空想の世界の人だとか、自分は生きてる価値がないとか、死んで生まれ変わりたいとか……、そういうの、見てて辛いよ……」
僕だってそういう空想で気を紛らわす事がある。
片桐さんも、僕が日頃するような妄想と同じような妄想をして現実逃避するという事がわかった。
でもこんな風に言われても、親近感が湧く以上にただ虚しくなるだけだ。
「なんでですか?私は精神異常者なんですよ?」
さっきの話を聞いて、片桐さんが僕以上にやるせない人生を歩んできて、沢山寂しい思いをしてきたのはよく伝わってきた。
片桐さんが自分で自分を嫌うのも無理はないと思うし、片桐さんの自己評価がとてつもなく低くなったのもこの境遇だと仕方がないと思う。
でも僕には、その事を踏まえたとしてもどうしても言いたい事があった。
「片桐さんは……、ちっとも異常なんかじゃないよ……」
「いいえ、異常です」
僕の気持ちとは裏腹に、片桐さんはきっぱりと否定した。
「私はメンヘラです。キチ○イです。最低のクズです。生きている価値のないゴミクズのゴキブリ以下の駄目人間なんです」
片桐さんが自分で自分を否定するような言葉を発する度に、僕の胸は締め付けられるように痛くなる。
自分が悪口を言われるよりも、ずっと辛い気持ちになる。片桐さんは本気で自分の事が嫌いなんだと思うと、とてつもない程に悲しくなる。
「片桐さんが今まで沢山酷い目に遭ってきて、自分の事が大嫌いで、唯一自分に優しくしてくれた直樹の事を大好きになって、直樹に好かれたい一心で色んなことを頑張ってきたってのはよくわかったよ……」
「そうですか。なら私がどうしようもない駄目人間だって事もよくわかりましたよね?」
「片桐さんは全然駄目じゃないと思うし、ましてやキチ○イでもないって、僕は思うよ……」
「何故です?こんな私のどこがまともだって言うんですか?」
「そりゃ、そんな目にばかり遭ってたら誰だって自分が嫌になるだろうし……、小さい時からそんな辛い目にばかり遭ってたら、病気になるのも仕方ないよ……」
「理由なんてどうでもいいんです。私はメンヘラでキチ○イの社会不適合者なんです。それだけが事実なんです」
「片桐さんは確かにメンヘラかもしれないけど、死んだ方がいいなんて事絶対にないよ……」
「そんな上から目線の取ってつけたような台詞どうでもいいです。私はこれ以上ない最低のどうしようもないダメ人間なんです。それだけが事実なんです」
「そんな事……、ないよ……」
「私の気持ちをわかってくれる人なんてどこにもいません。私程どうしようもない人なんて他にはいません。私はこの世界において一番駄目な人間で完全にいらない人間なんです」
「いらない……、人間……」
片桐さんのその言葉を聞き、僕はどうしてもある事を伝えたくなった。
「昔さ……、こんな事があったんだ……」
「はい?」
「あれは今から三年前……、僕が中学二年の夏の日の事だったよ」
「なんですかそれは?」
「ただの……、不幸自慢だよ……」
*
僕は三年前のプールの授業の後にクラスのリア充の気晴らしに巻き込まれ、一方的に殴られた時の事を片桐さんに話した。
この話を誰かにするのは初めてだった。
何故今この事を片桐さんに話したくなったかというと、正直自分でもよくわからない。
ただなんとなく、片桐さんに僕の人生の中で起きた一番嫌な出来事を知ってもらいたかったのだ。
片桐さんは僕の話を笑うこともなく、またバカにすることもなく、あの時と同じように僕の話を最初から最後まで真剣に聞いてくれた。
「酷すぎます……。なんで……、なんで誰もモエさんを助けなかったんですか……?」
片桐さんはとても悲しそうな顔をしながら言ってくれた。
「だってそいつは社会に必要なリア充で、僕は社会に不必要なキモオタだもん」
「そんなの、酷すぎますよ……」
「でも誰も僕を助けてくれなかったし、それどころか殴られている僕を見て笑う奴もいた。誰も僕を庇ってくれない理由って、そういうことでしょ?」
「せめて誰か一人くらい、モエさんに声をかけてくれたっていいのに……」
「一応ね、声をかけてくれた人はいたよ」
「じゃ、じゃあ!その人は、モエさんを助けてくれたんですか?」
片桐さんは期待するような視線を僕に向けた。だけど僕は首を振った。
「女子生徒が一人ね、廊下で力尽きて倒れてる僕を見て少し立ち止まったんだ。だけど『気持ち悪い』って言って、そのまま通り過ぎて行っちゃったんだ」
「なんで……」
僕がそう言うと、片桐さんは落胆したように肩を落とした。
「気持ち悪かったんでしょ。やっぱり。着替え途中で半裸だったし僕」
「そんなの……、あんまりですよ……」
「そうだね。結局僕は次の授業が始まってしばらく経つまでずっと廊下で倒れてたんだ。何十分もそのままでやっとのこさ先生が僕を見つけて、すぐに先生の車で病院まで搬送されたよ」
「酷すぎますよ……」
「そうだね……」
普通の人なら、僕がこんな事を言っても同情はしない筈だ。
笑うかバカにするかが常だろう。でもやっぱり片桐さんは違った。
「でも最悪なのはこの後だよ。病院で調べたら案の定アバラが二本折れていたんだ」
「大怪我じゃないですか!?学校の中でこんな事が起きるなんて大問題ですよ!?」
「いいや。何も問題はなかったんだよ」
「なんでですか!?」
「学校はもみ消したんだ。で、結局僕が勝手に怪我をしたことになった」
「なんで!?」
「よくあるでしょ。虐めで生徒が自殺して、学校や先生が必死でもみ消そうとする奴。あれと一緒だよ」
「なんでそんな酷い事を……」
「まだ序の口だよ。僕は何も悪くないのに、その事をずっと学校で馬鹿にされ続けたんだ。逆に僕を殴ったそいつはクラス内じゃちょっとしたヒーロー扱いだったよ。キモイ奴を殴って皆をスッキリさせてくれたってね。勿論僕に対する謝罪もなかったよ」
「なんでモエさんばかりがそんな目に……」
「そうだね。自分でも本当そう思う」
もっとも、こう思ってくれる人と出会えるだなんて、今まで思ってもみなかった訳だが。
「モエさんのお父さんやお母さんは何も言わなかったんですか……?普通なら教育委員会とかに掛けあったりするんじゃ……」
「その時ね、僕の家が大変な時期で、父さんの会社が倒産しかけたり母方の方の爺さんが急に死んで他にも色々な事が重なって大変だったんだよ。だからそれどころじゃなかったんだよ」
「だからってそんな、学校でこんなに酷い目に遭っているモエさんを蔑ろにして……」
「だって爺さんの家は片道車で一時間以上かかる田舎にあったし、役所の手続きとか、空き家になった実家の処分とか、色々大変だったんだよ。だから当然僕の事なんて一番後回しにされたんだ」
「そんなの酷い目に遭ってる子供を放っておく言い訳になりませんよ!」
片桐さんはテーブルをバンと叩き、怒りを露わにした。
片桐さんはこんな僕の為に、顔も知らない人達に対して怒ってくれている。
そんな片桐さんの様子を見ていると、なんだか僕の方が泣きたい気持ちになってきた。
「……そうだね。『学校なんてもう生きたくない。こんな酷い目に遭う所なんてもう嫌だ』って言ったら、父さんに怒鳴られたよ。『社会に出たらもっと嫌な事なんていくらでもある。たかが子供の喧嘩くらいで我儘を言うな』って、いかにもな正論振りかざされたよ……」
「それのどこが正論なんです?モエさんの事面倒に思ってるようにしか聞こえませんよ……」
「うん……、そうだね……」
「皆、モエさんに対して、冷たすぎます……」
あの時友達も親友も先生も親も、酷い目に遭って苦しんでいる僕に対して何もしてくれなかった。
でも片桐さんは赤の他人の僕のつまらない不幸自慢にこれだけの憤りを感じてくれた。
「親も僕を無視したんだ。普通親なら、仕事や葬儀の事後処理の事よりも、子供の事を大事にする筈だと思うよね?でも僕にはそれだけの事をされる価値なんてなかったんだ……」
「なんでそんなことに……」
「親も先生も友達も、皆僕に対して同情も何もしないから、段々こんなことを気にしてウジウジしてる僕の方がおかしいんじゃないかって思うようになったんだ……」
「おかしいのは、どう考えてもモエさんの周りの人達ですよ……」
「……そうだね」
少なくとも、今までの僕の短い人生の中で、僕に対してこれだけ親身になってくれる人は一人もいなかった。
だから皆僕が酷い目に遭おうと、僕がどれだけ傷つこうと誰も関心を持たなかった。
でも今目の前にいるこの人は違った。
「だからね、この一件以来僕は人が信じられなくなったんだ。僕が困っても、僕が苦しんでいてもこの世には助けてくれる人なんて誰もいないって、そう思うようになったんだ」
「そう思うのも……、当然ですよ……」
片桐さんは僕の不幸を、まるで自分のことのように悲しんでくれているようだった。
「だからあの日以来、僕は友達を作らなくなったんだ。というか作れなくなったんだよ……。誰も信じられなくなったから、元いた友達や親友とも話さなくなったんだ……」
「そうなるのも……、当然ですよ……」
片桐さんは少し泣きそうな顔をしながら僕に同情の目を向けてくれた。
片桐さんはこんな僕の話をここまで真剣に聞いてくれて、こんな僕の為に本気で悲しんでくれている事がたまらなく嬉しかった。
「僕の家は片桐さんの家ほど酷い環境じゃないし、僕は別に病気でもなんでもないよ。でも片桐さんに言われて今日、なんとなくわかったよ」
「何が、わかったんですか……?」
「多分僕もこの社会に必要のない人間で、いるだけで周りの人達に嫌な思いをさせて迷惑をかけるゴキブリみたいな存在で、だから誰も僕を大事にしてくれないんだろうなって……」
「モエさんは何も悪くありませんよ……、悪いのは、モエさんの周りの人達ですよ……」
その言葉を聞き、嬉しすぎて涙が出そうになった。
僕はその言葉をずっと誰かに言われたかったからだ。
「正直ね、何度も死のうと思ったよ……。自殺したらこんな辛い世界から抜け出せるんじゃって思った事は沢山あるよ」
「私だって、そうですよ……」
「死んだらチートスキルを持って異世界に転生して、俺TUEEEして女の子達にチヤホヤされてハーレム生活を謳歌して、楽しい人生を送れるんじゃないかっていつも思ってたよ……」
「私だって……、似たような物ですよ……」
「死んだらそういう都合のいい世界にいけるんじゃないかって思った事は何度もあるよ……。でもあれはお話だからって自分に言い聞かせて、死にたいって気持ちを誤魔化して……」
「その気持ち、よくわかりますよ……」
今になってやっと気付いたが、僕と片桐さんは本質的に気が合うんだと思う。
似た者同士というか、多分波長みたいな物が合うのだろう。
度合いは違うけどお互い陰鬱な人生を過ごしてきた訳だし、常に孤独感に苛まれている点も共通しているし、二人ともこの世の中に対してある種の絶望感を覚えているし、自己評価が低く自分の事が大嫌いという点も似ている。
おまけにストレス解消の為にする現実逃避の手段までよく似ていた。
だから片桐さんは無意識中に僕を同類だと認識し、今まで何かに付けて僕に気をかけいつも僕の事を心配してくれたのだろう。
「少なくとも、僕等みたいなのにとって現実は嫌な物でしかないと思うし、片桐さんの言う事は本当だと思うよ。世の中嫌な事ばかりだし、死にたいって思うのも無理はないよ。だから片桐さんが唯一自分を助けてくれた直樹を心の支えにしてたってのもわかるよ……」
「だったらモエさんは、今まで何を支えに生きてきたんですか……?死にたいって思った時、どうやって踏みとどまっていたんですか……?」
「それはまあ……、生きていればその内いい事があると思っていたから、かなあ……」
「いい事……、ですか……」
「ある日嘘みたいなサプライズが起きて、僕の人生を一変してくれるって。それこそ、ある日突然何の前触れもなくトラックにひかれて異世界に転生する……。とかね」
「そんな都合のいいサプライズありえませんよ……」
「うん、そうだね。その通りだよ」
僕が思い描いていたような都合のいいサプライズは確かになかった。
「でもね、ほんの少しだけいいことがあったんだ」
「なんですか?」
「片桐さんと会えた」
「はい?」
「僕が小鳥遊さんや橘さんに色々酷い事言われて落ち込んでいたあの日、片桐さんが僕を心配してくれた時は嬉しかったんだ。そりゃ僕が今まで味わってきた不幸に比べるとほんの些細な出来事だよ?あの一件が起きる前から僕の人生は悲惨としか言えなかったし。でもとっても嬉しかったんだ。こんな僕でも心配してくれる人がいるんだなあって……」
「私、そんな大したことしてませんよ……」
「でも今まで僕の事を心配してくれる人なんて一人もいなかったし、僕に親切にしてくれる人もいなかった。でも片桐さんと会ってから、こんな僕にでも優しくしてくれる人がいる。世の中にはこんなにいい人もいるんだって、初めて思ったんだよ」
「私は……、全然いい人なんかじゃありませんよ……」
「片桐さんはとってもいい人だよ。僕の話を笑わずに親身になって聞いてくれるし、今日だって自分とは全然関係のない事でも僕の為に悲しんでくれたし怒ってもくれた」
「いい人なら……、いきなり暴れて物を壊したりしませんよ……」
「でも片桐さんは僕をバカにした連中や、僕を無視した人達に対して酷いって言ってくれた。だから少なくとも、僕にとって片桐さんは最高にいい人だよ」
「そんなんじゃないですよ……。あんな話、されたら怒るのが当然ですよ」
「僕は今まで、その当然の事すらしてくれる人とは出会えなかったよ……」
「……………………」
「片桐さんはさっきまであんなに悲観して自分を卑下してばかりいたのに、今は僕の身に起きた不幸を、まるで自分のことのように悲しんでくれているから。僕なんかの為にこんなことしてくれる片桐さんは、本当に優しい人なんだって思うよ」
「全然……、優しくなんかありませんよ……」
「片桐さんはたった一人だけ僕の事を心配してくれたし、いつだって僕を助けようとしてくれた。小鳥遊さんに振られて橘さんに酷い事言われて落ち込んだ時も、湯呑の事で小鳥遊さんが酷い事言ってきた時も、橘さんが僕が性犯罪者だって嘘を言いふらすかもしれないって相談した時も、いつだって片桐さんは僕の味方をしてくれた」
「そんな……、大した事してませんよ……」
「僕にとっては十分大した事だよ」
「……………………」
「確かに僕も、この世の中は嫌な事ばかりで最低だと思うよ。死にたいって思うのも無理はないよ。でも片桐さんと出会えた事だけは、素直に良かったって思うよ」
「……………………」
「もしもあの時、倒れていた僕の前に通りがかった女子が僕を助けてくれたら、多分僕も片桐さんと同じようにしてたと思う。でも片桐さんは言ってくれたよね?僕は何も悪くないって。だから僕も片桐さんは何も悪くないと思うよ」
「……………………」
「だから死にたいとか、死んで別の世界に行きたいとか、自分は生きている価値がないとか、自分はゴキブリみたいな駄目人間だとか、そんな悲しいこと言わないでよ」
「……………………」
「そのさ……、片桐さんは自分の事が大嫌いかもしれないけど、ちゃんと努力して、自分を変えようと一生懸命頑張ってきた片桐さんは、凄いと思うよ」
「何も……、変わってませんよ……」
「それでも凄いよ」
「……………………」
「片桐さんはどれだけ頑張っても自分の事を褒められないかもしれないけど……、僕は片桐さんの事、立派だと思うよ……」
「…………………………………………」
片桐さんは黙っていた。
片桐さんが僕の言葉で喜んでくれているのか、或いは逆に怒っているのかどうかもわからない。
ただ片桐さんは喜ぶ訳でも悲しむ訳でもなく、ただずっと黙っていた。
しばらくすると片桐さんはまた口を開いた、
「今日はつまらない話に付き合わせてすみません。今日はもう、帰ってくれませんか……?」
「うん、わかった」
僕は書いて貰った進路希望調査書を鞄にしまい、片桐さんの部屋のドアに手をかけた。
「今日はありがとう」
僕はそう言い、片桐さんの部屋から出て行った。片桐さんは何も言わずに僕を見送った。




