22話 謝罪
部室に入った時、橘さんはラノベを読みながら寛いでいた。
一瞬でもこの人が本気で僕に詫びる気があると期待した自分の矮小な脳みそを咎めてやりたい。
「最近のアニメってさあ、ループとかタイムリープとかですぐやり直すわよねえ。一度しかない人生なんだから大事にしなさいよって思うわ。あとちょっとくらい人生が上手くいかないからって、来世だの転生だの不確かな物に望みをかけて今自分が過ごしている人生を諦めるような態度ってどうなのかしらねぇ。この手の作品読んでると本当そう思うわ」
橘さんが僕に語りかけた話題は、何の変哲もない世知話だった。
毎度の事だがこの人の発言はウザい。やはりこの人は詫びる気なんて毛頭ないのだろう。
「まあモエみたいな冴えないキモオタの場合、時間遡ったり異世界行ってやり直そうとしてもきっとどうしようもないでしょうけど」
この台詞にはカチンと来た。
「なんなの?喧嘩売ってるの?」
「違うわよ。私は謝りたいのよ」
とてもじゃないがそんな態度には見えない。
「こういう話って絶対主人公の男の子がモテモテで主人公は最後にどの女の子を選ぶのかって感じになるじゃない?なんか現実で女に選ばれないような寂しい男が、空想の世界でくらい女を選別したいって願望が見えてきて仕方ないのよ。なんか気持ち悪いわよねえ」
そう思うなら読むなよ……。つーかこの人明らかに喧嘩売ってるだろ……。
「なに?世知話しに来たの?謝るって聞いたからきたんだけど、謝る気ないなら帰るよ」
「まあそう慌てないで」
「僕もうこんな胸糞悪い部活には関わりたくないんだよ。だからもう謝らなくてもいいから、早く辞めさせてよ」
「あんたの気持はよくわかった。私はあんたがなんで怒ったのか私なりに考えてみたの」
どこまでが本気なんだか……。
「私はあんたの気持ちを知る為にあんたの好きそうなラノベを見たわ。それで私が思ったのは、あんたはラノベの主人公に憧れてるって事。あんたは異世界に行って始まりの調べを鳴らしたいの」
なに言ってんだこの人。
「あんたは要するに、こういう小説の主人公みたいに異世界でTUEEEして大勢の女の子にチヤホヤされたい。そうでしょ?」
この人の言う事はいつもどこかズレている。それと橘さんの謝罪が一体何の関係があるというのだろうか。
「でも現実じゃ眩い光のファンファーレは待ってなんかいないし、そもそもあんたはゲロ以下のキモオタだからあんたに靡く女の子は一人もいない」
あんたはゲロ以下の性悪だろうに。
「だからこういうラノベ主人公みたいにあんたは女の子を物に出来ない。あんたはこれみたいに女の子にモテまくりたいのに、ハーレムどころか彼女すら出来る訳がない」
「だから何が言いたいの?」
「そこで私は一晩考えたのよ。あんたはしたい事が出来なくてフラストレーションが溜まっている。自分の願望は決して満たされることがないからいつもイライラしてる」
さっきからなに言ってんだこの人。頭おかしいのかなあ。
「そこで私はモエに対する扱いが悪かったと今更ながら気付いたの。私に協力した所で、あんたは小鳥遊椿に嫌われるだけで何も得をしない。だから私の言う事も聞きたがらない。そこで私はどうしたらモエが満足できるのか考えたわ」
なんというか、僕が何故あの時怒ったのかこの人はやっぱり何もわかっていない。
「正直ね、今まで私はあんたに対する敬意が足りなかったわ。そりゃ報酬もなしに協力だけさせるなんて、怒りたくもなるわよね」
橘さんはそう言うと、僕にチャック付きのポリ袋の様な物を手渡した。
「なにこれ?」
「これは私の感謝の気持ち。受け取って」
橘さんに渡されたポリ袋の中の物体を確認してみると丸められた布のような物が入っていた。一体これはなんだろうか?
「あんたが小鳥遊椿と付き合うのはどの道絶望的だった。それならせめてと思ってね」
袋を開封すると、中から女性用の白い下着と思しき物体が出てきた。
「なに……、これ?」
「パンツよ」
「見たらわかるよ……」
「これで好きなだけオナればいいわ。クロッチ部分も適度に汚れてるし、あんた的には最高のオカズでしょ?」
「これ……、誰の……?」
「勿論小鳥遊椿のよ。去年水泳の授業の時に盗んだ物だけど、密封してたからかすかに匂いが残ってる筈だわ」
橘さんは嬉しそうに僕にそう告げた。
「だからこれからも私に協力して。そして一緒に小鳥遊椿を追い出しましょう!」
橘さんは満面の笑顔で声高らかに僕に言ってきた。
とてつもない怒りの感情が僕の頭の中を渦巻いた。
「人をバカにするのもいい加減にしろよ!」
僕は怒鳴りながら持っていた小鳥遊さんのパンツを橘さんの顔面目がけて投げつけた。
「うわっ!汚っ!」
橘さんはそう叫びながら顔に付いたパンツを地面に投げつけた。
「汚いのはあんたの心の方だろうが!」
「人の好意を何だと思ってるの!?」
「何が好意だ!?思いっきり悪意だろうが!」
「折角人があんたの為にやってあげたのに!」
「何が僕の為だ!あんたはいつも自分の事しか考えてないだろ!」
「そんな事ないわよ!直樹の事だって考えてるわ!」
「結局自分の事じゃないか!」
「折角私が一生童貞確定の可哀想なあんたの為にご褒美をあげようとしたのに!」
「何がご褒美だ!こんな物貰って僕が喜ぶとでも思ってたのかよ!?」
「喜ぶでしょ!?ニュースじゃよくモテない男が女の下着盗んでるじゃない!」
「なんで僕を性犯罪者と同列に考えるんだよ!?」
「だったらなんなら喜ぶのよ!?靴下?歯ブラシ?髪の毛!?使用済の生理用品!?」
「そんな物もらって喜べる訳ないだろ!今まで散々思ってたけど、あんたやっぱり頭おかしいだろ!」
口では謝罪だの感謝の気持ちだの言いつつ、明らかにこの人の発言は僕を見下している。そんな態度に凄まじく腹が立つ。
「じゃあ何が欲しいのよ!?小鳥遊椿と付き合わせろとでも言いたいの!?無理に決まってるでしょ!?」
「わかった!もういい!もうあんたには付き合いきれない!」
「何よそれ!?あんた私に逆らう気!?だったら精液の事バラすわよ!?あんたがしようとしなかろうと、皆あんたの事を信じないに決まってるわよ!?だってあんたキモイし!」
橘さんのその発言を聞いていると、なんだかもう何もかもがどうでもよくなってきて、僕は大きくため息をついた。
「もういい、わかったよ。今まで言おうかどうか迷ってたけど、本当の事を言うよ……」
「なによ?本当の事って……?」
「この前……、たまたま見たんだよ」
僕はついに、あの事を橘さんに教えることにした。
「この前、小鳥遊さんが直樹に告白してたんだよ。『好きです。付き合ってください』って」
「え?ほんと?それで結果は?振られたの?」
「そんないい物じゃないよ……」
こんなに性格の悪い橘さんに真実を告げるのは凄まじく抵抗はあったが、僕は自分の知ること全てを包み隠さず橘さんに教えることにした。
もうこんな狂った人間関係に付き合わされずに済むと思ったからだ。
「直樹は小鳥遊さんの告白を無視したんだよ。『え、なんだって?』ってラノベによくいる難聴主人公みたいに聞こえない振りして、その後用事があるって言って帰ったんだよ」
「え……、どういうこと?」
「僕もそう思って後で直樹に聞いたらまともに答えてくれなくて……。だから代わりに小鳥遊さんに聞いたら、今まで直樹に何度もこういう態度取られてるらしいって。何度も告白してるのにいつも直樹に無視されるって……」
「それって、つまり直樹は小鳥遊椿のことは何とも思ってないってこと?」
「そんなのわからないよ……。単に小鳥遊さんの気持ちを弄んで遊んでいるだけなのかもしれないし、付き合うのが面倒で適当なことを言っているのかもしれないし、もしかしたら小鳥遊さんの事が嫌いだから、そうしてるのかもしれないし……」
橘さんは僕の話を聞きながら目を丸くしていた。
そりゃそうだ。こんな突拍子もない話をしているのだから。
「でも小鳥遊さん、それでも直樹の事が大好きみたいで、直樹は素晴らしい人だから自分の人生を変えてくれるとか、頑張って直樹に認められたいとか散々言ってたよ」
「それってつまり、小鳥遊椿の一方的な片想いってこと……?」
「多分……、そうだと思うよ」
僕がそう言うと、橘さんは拳を握りプルプルと身を震わせていた。
「うそっ!本当!?マジ!?何それ!やったあ!もう最高ね!ざまあみろ!」
橘さんはぴょんぴょん跳ねながら手を叩き大いに喜んでいた。
「何それ!最高じゃない!今までなんでこんな面白い事教えてくれなかったの!?」
「橘さんに言うと、確実にロクでもない事になると思ってたからだよ……」
「もー!それ知ってたらモエにあんな事させずに済んだのにぃー!」
そう言いながら橘さんは僕を肱で何度も小突いた。痛かった。
「小鳥遊さんが直樹にこれっぽっちも好かれてないってわかったんだからもういいでしょ……。僕はもうこの部活には関わらないからね……」
「うん、わかった!モエ!ありがとう!」
この人にこんな形で感謝されても全然嬉しくない。
「あんたには本当に感謝するわ!ああー!最高っ!嬉しいー!」
橘さんはそう言いながら畳の上に寝転がりそのままゴロゴロと回転しだし部室内を周っていた。
橘さんはかつてない程に上機嫌で、上機嫌過ぎてスカートが捲り上げり思いっきり水玉模様のパンツが僕に見えていたということにすら気付いていなかった。
僕はそのまま部室を立ち去った。
*
そして翌日。放課後になったので僕は真っ直ぐ家に帰ろうとしていた。
そんな時、橘さんに話しかけられた。橘さんはとても嬉しそうだった。
「ねぇ、モエ。今から部室に来てくれない?」
「退部……、認めてくれるんじゃなかったの?」
「認めるわよ」
「僕もう、あんた等とはあまり関わりたくないんだけど……」
「わかってるって。これはまああんたの退部祝いみたいな物よ」
何故だろう。今まで散々僕を冷遇してきた橘さんが、急にこんな事を言いだすもんで物凄く胡散臭く聞こえる。
「最後にモエに今まで協力してくれたお礼をしたいの」
「お礼って何だよ?また僕に変なモノでも渡す気なの?小鳥遊さんの使用済のナプキンとかさ」
「何それ、キモ。あんたそんなのが欲しいの?」
橘さんの尺度に合わせて発言したのに、なんて人だ……。
「じゃあなんだよ?」
「まあちょっとした余興ね。面白いものを見せてあげるわ」
本来なら、橘さんにこんな事を言われたところで絶対に行く事はないだろう。
だけどその、上手くは言えないが、とてつもない胸騒ぎがしたのだ。このまま僕が家に帰ったら、何か嫌な事が起きてしまうと僕は直感的に悟ったのだ。
橘さんのこの笑顔、この人は間違いなくロクでもない事を考えている。
心配になり、結局僕はその日は橘さんに連れられ部室に行くことにした。




