12話 駄目人間
片桐さんの思わぬ言葉に僕は耳を疑った。
「いや、さっきからずっと不機嫌そうな顔してましたから、もしかして椿さんと何かあったんですか?」
「…………」
まさかと思うけど、この人は僕を気にかけているのだろうか?
いや、それはない。この人が落ち込んでいる僕を心配するなんてありえない。
この人だってきっと橘さんみたいに僕をバカにする気なんだ。
「誰が見てもわかりますよ。午前の探索以降ずっと辛そうな顔してるじゃないですか」
口ではこう言っているが、この人だって内心僕を軽蔑しているに決まっている。
「振られたんですか?」
「……そうだよ」
「まあ、気にする事ないと思いますよ。あの人、誰に対してもあんな感じですから」
そんな訳ないだろ。小鳥遊さんは相手が僕だからあのような態度を見せたのだ。
相手が僕だからこそ、あそこまでの嫌悪感を向けたのだ。
「もしかして、その事を小夜さんにからかわれたんですか?」
あれはそんな生温い物ではない。もっと残酷な、徹底した否定の言葉の数々だった。
「だから落ち込んでるんですか?」
片桐さんの表情は、一見すると落ち込んでいる僕を心配しているかのように見えた。
だがさっきこの人は他の皆と同じように僕を無視していた。
それなのに急に親切に語りかけてきても白々しいとしか思えない。
片桐さんは昨日僕を無視して直樹との談笑を楽しんでいた。
それだけでなく僕の歓迎会のカラオケで直樹に近づく為に好き勝手し、僕と二人きりになると急に無愛想になり、ファミレスでは落ち込んでいる僕を無視して楽しそうに直樹達と盛り上がっていた。
それなのにここにきて急に親切心を出されても、正直腹が立つだけだった。
「なんだよ……、さっきから」
僕がそう言うと、片桐さんは首をかしげた。
「どうせあんただって……。他の皆と同じように僕を見下してるだろうに……」
「そんな事ありませんよ」
「じゃあなんで僕と二人になると黙るんだよ……?」
「それはまあ、愛想を振りまく必要がないから……、ですかね」
「でもみんなの前じゃあんなに明るいじゃん」
「まあ、モエさんの前でまで明るく振舞ってたら疲れますから」
「こんな派手な格好して、いつも直樹に好かれようと必死になってる癖に、僕相手に愛想良くするのは面倒だって言うのかよ?」
「まあ……、正直、モエさんになら嫌われても別にいいやって思ってますから」
彼女のその言葉で僕の頭の中の糸がプッツンと切れた。
「やっぱり僕の事見下してるじゃん!?他の皆と同じで、あんただって僕の事嘲笑って楽しんでるんだろ!?」
「周りがそうしてるからそうしてるだけです。本気で軽蔑してる訳ではありませんよ」
「信じられない!」
「まあ、別に信じなくてもいいですが……」
「僕の事バカにしてるだろ!?」
「してないですって」
この人の言動はなんて不誠実なのだろうか。
直樹の周りにいる女の子はどうしてこうも僕に対して酷い対応ばかりするのだろうか。
橘さんも、小鳥遊さんも、そしてこの人も、僕に対して嫌な事ばかり言ってくる。
「なんだよ、もう……。この部活と関わってからロクでもない事ばかりだよ……」
「何があったんですか?」
「気持ち悪いって言われたんだよ!迷惑だって!一緒にいるだけでも嫌だって!」
「椿さんに言われたんですか?」
「そうだよ!橘さんにも同じような事を言われたんだよ!どうせ君だって似たような事思ってるんだろ!?」
「そんな事ないですって」
「小鳥遊さんが言ってたよ!僕は直樹の友達だから我慢する。だから僕も小鳥遊さんの事好きになるのを我慢しろって!ロクに話した事もない僕に好かれても気持ち悪いだけで、小鳥遊さんの事何も知らないのに好きになるって事は性欲だけで見てるだろうって!そりゃ僕はキモイよ!?自分でもわかってるよ!?でも好きになったんだから仕方ないじゃん! 付き合えるなんて思ってないよ!?でも友達くらいにはなりたいよ!?それなのに我慢しろって、何をどう我慢しろって言うんだよ!?」
「我慢しなくてもいいじゃないですか……」
「そういう訳にもいかないよ……。ぶっちゃけ言うと性的な目で見てたのも事実だよ……。だって小鳥遊さんあんなに綺麗だしスタイルだっていいし、可愛いし……。橘さんの言う通り、胸を揉みたいとか、舐めまわしたいとか……、正直そういう事したいと思った事だって……」
「それの何がいけないんですか?」
「でも、僕みたいな駄目人間がそんな風に思っても、嫌な思いをさせるだけなんだよ……」
「嫌な思いさせたら、駄目なんですか……?」
「駄目なんだよ……。橘さんだって言ってたよ……。この世界には僕の居場所はないから、いっそのことさっさと死ねって……」
「………………………………」
片桐さんはしばらく黙りこんだ。
「……それって私も死ねって事ですか?」
片桐さんは思いもがけない言葉を口走った。
「私だって直樹さんにキスされたいとか舐めまわされたいと思ってますよ?ぶっちゃけ言うと犯されたいと思ってますよ!?直樹さんの事を考えながらオナった事だって何度もありますよ!?でもそれっていけない事ですか!?好きな人とそういう事をしたいって思うっていけない事なんですか!?気持ち悪いって後ろ指差されて非難されないと行けないんですか!?真人間しかそういう願望を持っちゃいけないって言うんですか!?私みたいな駄目人間はそういう事を望む事すら許されないって言うんですか!?死んだ方がいいって言うんですか!?さっさと死ねって言うんですか!?」
片桐さんは涙目になりながら僕を恫喝した。
この人が日頃抱えている物の一端が見えたような気がした。
「その……、ごめん……」
結局のところ、彼女の怒声にビビった僕はこんな事しか言えなかった。
「すみません……、取り乱しました」
片桐さんはそう言うと、持っていたバッグの中から何かを取り出し、ペットボトルの水と一緒に飲み干した。そして片桐さんは大きく深呼吸をした。
「もう……。大丈夫です」
何がどう大丈夫なのか、正直僕にはわからなかった。
「あの、もしよかったら何があったか私に話してくれませんか?」
彼女はそう尋ねてきたが、僕としては片桐さんの身に何があったのかを聞きたかった。
*
僕は今まであった事を洗いざらい片桐さんに話した。
先ほどの片桐さんの自分の腸の一部を見せるかような言動を思うと、僕も今まで僕の身に起きた事全てを片桐さんに話すのがフェアだと思ったのだ。
会話は思いのほか弾んだ。
片桐さんの方も日頃愚痴をこぼせる相手がいなかった様子で、色々な事(主に橘さんと小鳥遊さんの悪口)を僕に話してくれた。
それにしても、この友誼部に入って初めてまともに人と会話したような気がする。
というか、僕がこんなに人と話したのは一体何年ぶりだろうか……。
「確かに小夜さんならやりかねませんね……」
「信じてくれるの?」
「まあ……、はい」
「僕なんかの言う事を信じてくれるの?橘さんも言ってたよ。僕みたいなキモイ奴が何を言っても信じてくれないって……」
「まあ、強いて理由を上げるとしたら、私も小夜さんの事を嫌っていますから」
「橘さんの事、嫌いなの?」
「あの人、本気で性格悪いですからね……。本当、よくこんな酷い事思いつきますね」
片桐さんが僕と同じように、橘さんに対して性格が悪いという印象を持っていた事に僕は安堵感を覚えた。
自分と同じ考えを持つ人が身近にいると知れただけで、僕の心に渦巻いていた孤独感はかなり拭えた。
その上片桐さんはこんな僕の為に同情してくれている。僕の言葉を真摯に受け止めてくれる。
思えば女性から同情されたのも初めてな気がする。情けないようだが本気で嬉しい。
そういえば、さっきから片桐さんの一人称がボクではなく私になっている事に今更気付いた。
やはりこの一人称はキャラ付けの為に直樹の前でのみ使う一人称なのだろう。
片桐さんは僕になら嫌われてもいいと言っていたが、それは好意的に解釈すれば僕の前でなら飾る事のない素の自分を更け出す事が出来ると言う意味なのかもしれない。
「それにしても、椿さんの発言もかなり酷いですね。椿さん。大人しそうな顔してますけど、小夜さんとは別方面で性格悪いですから……」
「そう、かなあ……。でも直樹の前だと普通な感じに見えるけど……」
「そりゃあ直樹さんは別ですよ。好いてるんですから」
「そう、だよね……」
「でも酷いですよ。自分を好いてくれる人の気持ちをそんな風に思うだなんて……、その上当の本人をそんな風に罵倒するだなんて、最低ですよ……」
一方的とはいえ、僕は小鳥遊さんに対して好意を持っている。
だから最低と言われるのはいささか複雑な気分ではある。
「でも、僕、気持ち悪いのは確かだし……」
「仮にそうだとしても、自分を好いてくれる人にそんな事を面と向かって言うのは人としてどうなんですか?相手がどう思うかも考えずに……」
確かに僕が気持ち悪いという理由だけで、あれ程までの拒否感を持つのは少々度が過ぎているような気がしないでもない。
そういえば、以前に橘さんが小鳥遊さんは潔癖症だと言っていたような気がする。
潔癖症だから僕にあのような事を言ってきたのだろうか。
「小鳥遊さんはやめた方がいいですよ。私が言うのも難ですけど、本当あの人ロクでもないんで。まあ、一度好きになった人が、ロクでもないってわかっても中々諦めは付きませんけど……」
片桐さんは意味深な表情をしながら虚ろに空を眺めていた。もしかして直樹の事だろうか?私が言うのも難というのは、そういう意味なのだろうか。
「それにしてもさ、なんで僕にこんな事を……?その、僕なんかの話を聞いてくれたりさ、小鳥遊さんはやめろって忠告してくれたりしてさ……」
「まあ、単に嫌いな人の悪口を言いたかっただけですよ。マジで」
片桐さんはふとスマホの画面を見た。
「そろそろ合流時間ですね」
「そう、なんだ……」
正直、僕は片桐さんとのこの時間が終わってしまう事に名残惜しさを感じていた。
ついさっきまで僕はこんな派手な格好をした人とは一緒に歩きたくないと思っていたから、我ながらげんきんな奴だと思う。
この数時間の間に片桐さんの色んな一面を見る事ができた。
しかし僕が片桐さんの事について知っている事はあまりにも少ない。
見た目は派手なギャル。中身はアニメ好きのオタク。ロリータ趣味がある。明るい。直樹の事を好いている。とにかく目立とうとする。
僕の前だとキャラが変わる。実はアニメとかそんなに好きじゃないっぽい。たまにキレる。よく直樹の事を考えながらオナってるらしい。
そしてもう一つ。彼女は僕と同じく自分の事を駄目人間だと思っている。
片桐さんについてはわからない事ばかりだが、少なくとも悪い人ではないと思う。
勿論それは僕目線であり、橘さんや直樹にとって彼女がどう映るかはわからない。
*
合流地点に近づき、片桐さんと別れる時間が近づいてきた。
僕は思い切って片桐さんに聞いてみた。
「片桐さんはさ、直樹の事が好きなんだよね?」
「ええ」
「その……、さ。なんで、直樹なんかの事が好きなの?」
「なんかって気になる言い方ですね」
「だってあいつ、正直何がいいのかわからないし。顔も特別よくないし、話もつまらないし、趣味もないし、いつもダルそうにしてるし、なのに何故か女の子にはモテてウザいし」
「まあ、確かにそうかもしれませんね」
「じゃあ、なんで……?」
片桐さんは少し考えた上で言った。
「他に相手がいないから……、ですかね」
片桐さんのこの発言の意味は今の僕にはわからなかった。
これはあくまで僕の主観になるが、少なくとも片桐さんは僕と同じような駄目人間ではない……。と思う。
見た目だって流石に小鳥遊さんと比べたら大分見劣るが、十分綺麗な方だと思う。
だから直樹以外の人なんて、そんな変な格好をしないで無理なキャラ付けもやめたらいくらでも見つかる筈だ。
なのに片桐さんはどうして自分を駄目人間だと言うのだろうか。
あの時僕に見せた涙は一体どこから湧きあがったのだろうか。
直樹なんかに好かれる為だけに何故あそこまで必死になるのだろうか。
僕にはわからない事だらけだった。
でも少なくとも、今の僕に言える事がただ一つだけある。
名目上とは言え、この友誼部の目的は友達を作る事。
そして現時点で最も僕の友達に近しい人は恐らくこの人だろう。
今日は嫌な事がいっぱいあった。
しかし、片桐さんと話せた事だけは素直に良い事だと胸を張って言える。
恐らくこれから先、僕は今以上に橘さんの卑劣な行いに翻弄される事になる。
今日以上の心ない言葉を小鳥遊さんから浴びせられるかもしれない。
直樹のモテっぷりに苛立つ事も更に増えるだろう。
不安な事は色々あったが、でも今日の片桐さんとの一件のお陰でもう少しだけ頑張れるような気がした。