36話 売女
ある日の休み時間、僕は教室移動の為に教材を持った状態で廊下を歩いていた。
そんな時、廊下にいた小鳥遊さんの前を通りがかり、目が合ってしまった。
この人と関わるとロクな事にならない。
そう思った為、僕は無視してその場を去ろうとした。
その時、小鳥遊さんの口から思いもかけない言葉が放たれた。
「ごめんなさい」
小鳥遊さんは僕に頭を下げながら言った。
「今までモエ君に酷い事してきたから、本当にごめんなさい」
「…………」
小鳥遊さんは僕に向かって深々と頭を下げながら謝罪をしていたが、正直僕としてはどうでもよかった。
どうせ今だって、直樹の事を考えているに違いない。
それを踏まえると、この謝罪だって本気で僕の事を思った上でやっているのか怪しいものだった。
「あたし決めたんだ。親を説得して、許嫁との婚約をなかった事にしてもらうって」
「ああ……、そう……」
「直樹くんよりいい人なんていない。直樹くん以外の人と付き合うなんて、絶対に嫌だから……」
案の定と、僕は思った。
やはりこの人は直樹の事以外頭にないのだろう。
「たとえ直樹くんが小夜と付き合ってても関係ない……。もしそうなら、別れるのを待つの……。何年かかろうと、ずっと待つつもりだから……」
「…………」
「だからもうモエ君を傷つけるような事は絶対しない。直樹くんがあたしの元に戻ってくれるのを、待つ事に決め……」
「……気持ち悪い」
僕は思わず、心の中に潜めていたある言葉を呟いた。
僕のその言葉を聞き、小鳥遊さんはきょとんとした表情をした。
多分、男からこんな事を言われたのは初めてだったのだろう。
「気持ち悪いって……、どういうこと……?」
「前々から言いたかったんだけどさ、あんたさ、頭おかしいよね?」
「え……?」
「四六時中直樹直樹。他に考える事ないの?」
「だって、直樹くんは……」
「あんた相変わらずだね。相変わらずイカれてるよ。学校やめて、あんたに何度も酷い事した。その上人一人の人生を台無しにした。そんなあいつを未だに慕ってるなんてどうかしてるよ。自分でもそう思わないの?」
「だって直樹くんの事が、好きなんだもん……」
小鳥遊さんのその発言を聞き、僕は笑いを堪える事ができなかった。
「なんで、笑うの……?」
僕に真剣な眼差しを向けながら問いかけて来る小鳥遊さんの姿を見ていると、やはり僕はどうしても笑いを堪える事ができなかった。
「調教済みの性奴隷かよ?あんた直樹のオナホにでもなりたいの?」
「それ……、どういう意味……?」
「なろうの小説でもあんたみたいな大バカヒロインいないよ?あんたの頭の中、直樹とヤる事しかないの?」
「ねえ……、なんでそんなこと言うの……?」
「だってあんた、他の男なら指一本触れられただけでも嫌がる程の潔癖症なのに、直樹相手なら簡単に股開くクソビッチじゃん」
「ち、違うよ……。そんな事ない……」
「何が違うの?どうせ直樹の事考えながら毎日グチョってるんでしょ?」
「…………」
小鳥遊さんは黙った。
「ああ、否定しないんだ?僕に謝りたいとか言ってたけど、あんたやっぱり何も変わってないね。やっぱりあんたイカれてるよ」
「ねえ、なんでそんな事言うの……?あたしはただ、モエ君に謝りたくて……」
「ねえ、小鳥遊さん。謝るつもりなのに、なんで僕の名前を呼ばないの?」
「え……」
こんな事を僕の口から言われるとはこれっぽっちも思っていなかったのか、小鳥遊さんは唖然とした表情をしていた。
「モエってさ、明らかな蔑称だよね?謝る時にそれを使っていいと思ってるの?」
「…………」
「僕の本名知らないんだ?謝るつもりなのに?」
「ごめんなさい……」
「まあ、あんたの謝罪の気持ちなんて所詮その程度だよね。どうせ自分が楽になりたかっただけなんでしょ?それとも、僕に謝ると直樹とよりを戻せるとでも思ってたの?」
「ち、違うよ……」
小鳥遊さんは小さな声で弱々しく否定した。
やはり僕が推測した通り、僕に謝罪すれば直樹が再び付き合ってくれるとでも思っていたのだろう。
「だってあんた、今まで散々僕を黴菌扱いしてきたのに、直樹と仲が上手くいかなくなるといつも擦り寄ってくる恥知らずの売女じゃん。僕の事舐めてるの?それとも人生舐めてるの?」
「ち、違う……」
小鳥遊さんは必死で首を振りながら否定した。
「ふーん。じゃあ本気で詫びる気があるんだ?」
「う、うん……」
「じゃあヤらせて」
「え……」
小鳥遊さんの表情が雲った。
初めて僕とちゃんと話した時と、同じ顔をしていた。
でも今更、何の感傷も湧いてこない。
「冗談だよ。小鳥遊さんみたいな人とは頼まれたって無理」
「なん……、で……?」
「なに?僕みたいなキモオタにまで断られてショックなの?プライドが傷ついた?でも小鳥遊さんが今まで僕にしてきた事はこんなのの比じゃなかったよ。そこんとこわかってる?」
「ごめん、なさい……」
「いやさ、あんた直樹のお古とか以前に無理なんだよ。生理的に絶対に無理なんだよ」
「ごめん、なさい……」
小鳥遊さんは涙を流しながら謝ってきた。
「女の子っていいよね。泣けば全部許されるんだから。そりゃ人生舐めたくもなるよ」
「ごめん……、なさい……」
「どうせあんた、気に入らない事があれば大声でヒス起こしたり泣けば男は何でも言う事聞いてくれるとでも思ってるんでしょ?」
「ごめん……、なさい……」
「そりゃ直樹だって愛想尽かすよ。だってあんたウザいもん」
「ごめん……、なさい……」
「もう謝らなくていいよ。謝られてもウザいだけだから。頼むからもう僕の側に近づかないで。一緒にいるだけでも苦痛なんだよ」
「ごめん……、なさい……」
「顔とかスペックとか以前に受け付けないんだよ。あんたの全てが無理なんだよ」
「ごめん……、なさい……」
「良いとか悪いとか以前に、あんたの人間性そのものが無理」
「ごめん……、なさい……」
「もう顔も見たくない。あんたといると気分が悪くなる。同じ空気吸ってるって思うだけでゾっとする。一緒にいるだけで吐き気がする」
僕がそう言うと、小鳥遊さんはその場に泣き崩れた。
「直樹を待つんだったら勝手にやってよ。もう僕を巻き込まないで。小鳥遊さんみたいなキチガイとはもう関わりたくないんだ。気持ち悪いから」
僕はとどめとばかりにそう言うと、その場を静かに立ち去った。
小鳥遊さんは壊れたロボットのように、その場で延々と泣きながら謝罪の言葉を繰り返していた。
痰でも吐きかけてやればよかったかと一瞬考えたが、周りにいた他の生徒達がこの一部始終を変な目で見ていた事に気付き、やはりやめておいてよかったと僕は思った。
でも言いたい事は全部言った。
罪悪感は特になかった。
もうこの人に対する好意も興味も微塵もない。
この人が死のうと生きようと自殺しようと、もうどうでもいい。