6話 晴れ着・拒絶
ーー泣かないで頼様。
う、う、すみれ……
ーー大丈夫だよ、きっと。
でも、ぼくは、ぼくは!
ほんとうは こんなこと したくない!
ーー仕方ないよ、頼様……
女の子が泣いている男の子をぎゅっと抱きしめる。
男の子がぎゅっとしがみつくように抱きつき返し、一段と泣き出す。
男の子が落ち着くまで二人はそのまま動かなかった。
もぞっと女の子の腕の中から顔を出し、男の子は上目遣いに覗き込む。
すみれ、おねがい。
ーーうん、何?
ぼくのこと わすれないで……
何時もの可愛い男の子の顔と震える声に、今度は女の子の目が潤む。
ーーうん忘れないよ。
やくそく?
ーーうん。
約束しながらも男の子より年上な女の子には、これが無理な約束だとは分かっていた。
ーー忘れても、絶対思い出すからね。
どこか自分に言い聞かせるように言う。
じゃあ、ゆびきり。
ーーうん。
ゆびきり げんま……
―― またこの夢か。
ただの夢なのか昔の出来事を追憶しているのか最近では菫自身もよく分からなくなっていた。
母に聞くのが一番なのだろうとは分かっていたが、何故か頼様のことを話すのははばかられ未だに彼のことを話せないでした。
この最近になって急に見始めた夢が菫は不思議で仕方ない。
それにここのところほぼ毎日見ている気がする。
そもそも夢を覚えているのが珍しい菫にとって、起きた時にこんなにハッキリと覚えている事自体が非常に珍しく。かれこれ2週間も続いている事を、さすがに異常に思っていた。
先週、両親に話した後で改めて若旦那に縁談の返事を待ってもらえる様にお願いした。
「急いでないので菫の気持ちが固まるまでいくらでも待ちますよ。ただその間私も少しでも気持ちを傾けてもらえる様頑張ります。」
改めて若旦那に真っ直ぐに気持ちを伝えられ、それ以来何かと仕事でも接点が増えて少し菫もドギマギしていた。
―― このドキドキは恋なのかしら?
さて今週からいよいよ大口の注文が来ると針子小屋の空気も朝から少しピンと張っている様子だ。
前回の修羅場の様に今回はどうなるのか若い針子の少女たちは戦々恐々としているのだろう。
「ちょっといいかね」
そんな空気の中と旦那が若旦那を引き連れて入って来た。
今し方まで呉服屋で大口注文の客との話し合いをしていたのだろう。
「皆が気にしていたと思うから早めに報告に来たのだが、前回と同じお客様から大口の注文が入った。前回は男性物の着物を仕立て上げたが今回は男女の晴れ着を1着ずつに女性着物を5着ほど用立てして欲しいそうだ。」
―― 女性物?館様の奥様のかしら?
疑問に思いながらも旦那から言い渡される作業工程を菫は頭の中に入れて組み立てて行く。
今回は男性の晴れ着・女性の晴れ着・女性着物の大きく3チームに別れて作業にあたる事となった。
菫は女性の晴れ着着物の担当で何時も以上に呉服屋の仕事の方も一緒に手伝ってほしいとのことだ。これは本格的に嫁入り修行ならぬ呉服屋入り修行になりそうだと菫も改めて気合を入れ直す。
菫の呉服屋入り修行の初仕事はお客様に見せる反物の候補を選んでお客様と一緒に決める接客の仕事となった。
どうやら男性の晴れ着、女性の着物の反物は今日の打ち合わせで粗方決まったのに対して、女性の晴れ着の反物が決まらなかったらしく「どうせなら同じ若い女性の感性で選んで頂けないか」と言う事らしい。
「とりあえず今日も何点か見せたのだが、これっというものが無かったようでね。要望は相手方が好きな、紫の反物の中から選んでくれないか?」
そういう旦那の言葉を受けて、午前中で自分の縫いの作業を終えると午後は反物選びに費やした。
反物を選ぶのは菫だが、それを出すのや片付けるのに針子の仲間にも手伝ってもらいながら作業を進めた。
その間も何時ものようにお喋りは止まらない。
大口の注文の話があった後から彼女たちの話題はこれで持ちきりだった。
「これって公家の次男様のご結婚のためって噂は本当なのかな?」
「他の店の子たちも言ってたんだけど、嫁入り道具みたいなの注文入っているんだって」
「きゃー、それってもう確定ね!」
それは館の息子である頼政様がお嫁さんを迎えるのではないかというものだ。
この晴れ着というのがまず「婚約じゃない!」と騒ぎ立てられた原因の一つ。
さらに「同じ若い女性の感性」という言葉からこれを親方の奥方でなく長男夫妻でなく、未だに独身でいた次男がとうとう婚約されるのではという話になったのだ。
2週間ほど前に都から何か館に届いた又はお客が来たというのも、この話に拍車をかけたのだろう。
「婚約といえば、うちの若旦那も……」
「しー!……菫さんの前でしょ」
「そうだったね……そういえば新しい劇もうすぐ始まるね」
「神隠しって昔話を題材にしているんでしょ?」
「恋の話なんだって!」
「昔、妖とかがいて人間に恋した妖の頭の鬼がいて」
「切ない鬼と人間の禁断の恋!」
「見に行こうよ!」
菫はそんな皆のコロコロ変わる噂話を聴きながらも、黙々と作業を進めていた。
しかし、ふっと夢で出て来た幼い頼様らしき顔が浮かんできて胸がツキンと痛んだ気がした。
――何故だろう?恐れ多くもより様のことを弟のように思っていたみたいだから、少し寂しく思ったのかしら?
朝は異常だと思っていた最近の夢。
それでも頼様との子供の頃の思い出たちの夢は、冬の朝の厳しい冷え込みを一瞬忘れさせるように目覚めた菫の心をほんのりいつも暖めてくれた。
大切にして来たような大切にしたかった幼い日々の夢たちは、夢を見るごとにまるできらきら降る雪のように菫の心に降り積もっては溶けて心にじんわり染み渡る、そんな気がしていた。
そんな大切な夢たちだからこそ、こんな気持ちの今の菫では受け止めたくないっと菫は思ってしまった。
――何でだろう?
今夜は頼様の夢は見たくない。